第六回 鏖殺
翌朝。
男が一人、訪ねてきた。部屋で、いつもより遅い朝餉を摂っていた時である。
「何用ですかな?」
清記が老婆に問うと、
「さぁ」
と、皺首を捻らせた。
「じゃが、御用の筋でしょうねぇ。相手は目明の
昨夜、賊を斬った事だろうか? しかし、それは賞金を与えられた事で話が終わっているはずだ。
「判りました」
全てを食べ終えていた清記が腰を上げたので、小弥太は残りをかき込み、その後に続いた。
旅籠の店先に、その男は控えていた。
目明し。格好から判断すれば、老婆の言うとおりだ。三十路は過ぎているだろう。背が低く、顔は四角。男はこちらを見ると、深々と黙礼した。
左耳から顎の先端にかけて、古い刃傷がある。眼光は鋭く、佇まいに隙はない。醸し出す雰囲気に、武士には無い、侠気の世界で生きる日陰者の翳りと凄味がある。
(堅気ではない)
小弥太は、瞬時にそれを感じた。
「朝早くに申し訳ございやせん」
低い声だった。それだけでも、この男の貫禄というものが伝わる。
「手前は仙次と申しやして、鏑木の手下でございやす」
なるほど。鏑木の遣いとなれば、自ずから用件は判る。鵙鳴山に巣食う土鮫の一味の話だろう。
「私は平山清記。後ろのは倅の小弥太という」
小弥太は軽く黙礼をした。仙次も頭を下げるが、それもまた慇懃だった。
「鏑木の代わりにお迎えに参上いたしやした」
「それはご苦労。それで、鏑木殿は?」
「木戸門で待っておりやす」
「ほう。どこに連れて行こうとしているのかな?」
「詳しくは、鏑木からお話しやす」
と、それ以上の説明は無かった。説明は自分の役目ではないと決め込んでいる様子である。
仙次と並んで歩いた。やはり背は低い。並べば、ちょうど目の位置に頭頂がある。だが、身体の線は太い。骨太というべきか。
目明しというが、かなりの手練れであろう。小さな身体から発せられる獣臭が、それを物語っている。剣術を修めているか知らないが、相当な修羅場をくぐり抜けている事は確かだ。
(鏑木とかなり違うな)
鏑木は自ら使い手だと言うが、垢抜けていて、獣臭を感じさせる事はない。飄々とする事で、何かを隠している風がある。
石垣造りの木戸門で、鏑木が待っていた。昨日の着流し姿とは違い、野袴に打裂き羽織という、武士らしい格好である。
小弥太と清記の姿を認めると、鏑木は片手を挙げた。人懐っこい笑みを浮かべているが、相変わらず目の奥には、底が見えない鋭さがある。
「悪いですね、お呼び立てして」
鏑木は、清記に軽く頭を下げた。
「いや、構わぬ」
「今日は色々準備をします。そして、本番は明日」
「討ち入るなら、早い方がいいのだがな」
「準備というものがあるのですよ。万全を期すためにね」
そして鏑木は、後ろに控えていた仙次に目を向けた。
「この仙次も企みに一枚噛みます」
「出来るのか?」
出来るとは、剣の腕の事だろう。すると、鏑木は含み笑いを浮かべた。
「それは言わずとも判るでしょう」
「まぁ、そうだが」
「心配ご無用。その辺の武士よりは使えますよ。それに、この男がいないと始まりません」
鏑木は、始まらない理由までは言わなかった。此処では言えないという事か。
「で、今からはどうするのだ?」
「まず、お二人にどうしても見てみてもらいたいものがありまして」
「何を?」
清記が訊いた。
「まぁ……これから行きますから。正直、気持ちの良いものではないです。特に、ご子息には」
鏑木が、小弥太に目を向けた。らしくない真剣な眼差しである。
「ただ、一つの結果として見る必要がある。平山さんが言う『背負うべき業』として」
「いいだろう。同行する」
鏑木を先頭に、清記、小弥太、仙次と続いた。
歩いている間、小弥太は気を抜かなかった。岩寂を出ると襲われる、と大槻に言われたからだ。鏑木にも同様の事を言われた。
氣を研ぎ澄ます。それだけではない。臭いにも注意した。相手は、鉄砲も持っているという。どんなに剣を磨いても、鉄砲だけはどうにもならない。
「小弥太君、そう気張りなさんな」
鏑木が呑気に言った。
「土鮫の一味が見張っているのでしょう」
「まぁそうだが、今は大丈夫さ。役人がいる所では襲わんよ」
「何故、それが判るのです?」
「そう決まっているんだよ」
「理由が判りません」
「そりゃ、まぁ暗黙の了解というもんでねぇ」
「取引しているのですね」
咎める声色を察してか、鏑木は肩を竦ませた。
「そういう事はな、敢えて口に出さないのが大人というもんだぜ」
そう言われ、小弥太は横を向いた。
役人を襲わなければ、見逃してやる。そうした取引をしているのだ。腐っている。唾棄したいほど不快だ。そもそも、気乗りがしない話なのだ。自分達には、利景より受けた藩命がある。賊と取引するような腐れ役人の為に働く時間はない。
◆◇◆◇◆◇◆◇
岩寂から一刻ほど歩くと、数軒の家屋か建ち並ぶ集落が見えてきた。川の傍にあり、畠に囲まれたその村は、三十人も住んでいれば多い方と思われる小さな村だ。
鏑木の足が、微塵の迷いもなく、そちらに向いた。
(あの村に行くのか)
そう思った矢先、血臭が鼻腔を突いた。一歩、また一歩と歩みを進めるにつれ、その濃さが増す。
空気が張り詰めていた。殺気に似た氣が、辺りに漂っている。お喋りな鏑木も、今に至っては無言である。
人が畠の中で倒れていた。
「小弥太」
清記に名を呼ばれ、小弥太は反射的に畠に駆け込んでいた。
老いた百姓だった。仰向けになって倒れている。死んでいるのは、すぐに判った。頭蓋を一刀で斬り落とされ、柘榴のように割れていたのだ。
小弥太は振り返ると、清記に向かって首を横に振った。
その先にも、俯せで倒れていた。若い男で、畝を抱くように死んでいる。背中には、無数の刺し傷。槍にて殺されたようだ。
(得物を持っていないとは)
鍬や鋤すら持っていない。抵抗しなくても殺されたというのか。
傍に、清記達が寄って来た。
「土鮫の一味の仕業なのか?」
清記が、鏑木に訊いた。
「おそらく。朝一で報告がありましてね」
鏑木は神妙な面持ちで答える。流石に笑っていられる状況ではないのだろう。
「先に進みましょう」
鏑木に促され、一行は歩みを進めた。
(それにしても、鏑木はどうして自分達にこの惨状を見せたのだろうか?)
と、小弥太は思案を張り巡らせた。
土鮫の一味がこの様な酷い事をしていると、伝えたかったのか。だから、斬れと。ならば、鏑木が言っていた結果や業とは、何を指しているのだろうか。
血臭が一段と強いものになった。それだけではない。殺されて垂れ流す、糞尿の臭いもする。
案の定と言うべきか、五人の死体が転がっていた。五人とも百姓で、路傍や畠で同じように殺されている。
村に入ると、更に目を背けたくなる光景が広がっていた。中央の広場で、死体が積み上げられていたのだ。二人や三人ではない。ざっと数えただけでも、十人以上はいる。足元に、血の水溜りが出来ているほどだ。
横にいた仙次が、不意に低い唸り声を挙げた。
その視線の先を追うと、突き立てられた槍の穂先に、
「何て事を」
小弥太は、思わず俯いた。
犯されていたのだ。内股は破瓜の血で真っ赤に染まっている。
背中を叩かれた。振り向くと、鏑木だった。
「場に飲まれちゃなんねぇよ」
「すみません」
「無理もないがな。犬畜生の所業だ」
清記が、しきりに辺りを見回していた。生存者を探しているようだ。
(それにしても静かだ)
と、思った。
それは異様なほどである。聞こえるのは、風が草木を揺らす音だけだ。つまり、人の声は無い。その意味は考えなくても判る。この村の者は、
「あれを」
仙次が、一際大きな屋敷を指差した。庄屋屋敷だろう。そこから、中年の男が出てきた。髷は乱れ、足元は覚束ない。
庄屋の久米衛門だと、仙次が言った。
「おお、やっと来て下さいましたか」
久米衛門は、安堵した表情を見せた。
「生き残りはお前だけか?」
鏑木が訊いた。
「ええ、私だけです。私だけが生き残ってしまいました」
思いの外、しっかりとした声色である。皆殺しに遭った後とは思えない。
「土鮫の一味なのか?」
「その通りでございます」
「何故、この村は襲われたのか話せるか?」
「勿論ですとも。その為に、私は生かされたのですから」
「話してくれ」
「意趣返しでございます。土鮫の奴らは、仲間の仇討ちと申しておりました。岩寂は襲えないから、村々を襲う。仲間を殺した親子を差し出さない限りは、いつまでも村々を襲うとも」
「何」
小弥太は、思わず声を挙げてしまった。そして、怒りで沸騰した頭の血が一斉に引いていく。
(何という事だ……)
そんな馬鹿な話があるのか。小弥太は後退りする気持ちを抑え、清記に顔を向けた。清記に表情は無い。目を細め、男を見ている。
「もしや、あなた方が土鮫の一味がいう親子でしょうか?」
「そうです」
清記が、さも平然と答えた。
「あなた方が土鮫の一味に手を出したから、村の衆は私を除いて皆殺されてしまいました」
「すまぬ事をした」
「今更謝られた所で、死んだ者は戻りはしません。昨日までは、貧しいながら一生懸命に生きてきた百姓が、一夜で皆殺しにされてしまったのです。全て、あなた方親子が」
小弥太は、俯いた。そうするしかなかった。掛けられる言葉もない。
「利口な君なら判るな」
鏑木が、小弥太に言った。
「……」
判る。認めたくないが、判る。つまり、父と自分がこの村が皆殺しにされる原因を作ったのだ。これが、業なのだ。自分達が行った行為の結果とも言える。
「どうすれば良かったのですか」
小弥太は、俯いたまま言った。
「私は賊に斬られるべきだったのでしょうか? 斬られて死んでいれば、この人たちが殺される事はなかった……」
「そうです」
久米衛門が言った。
「死ねばよかったのです。二人の命で、村の衆の命が救われるのなら」
「……」
「罪の意識があるのなら、今すぐその身を差し出すべきでしょう」
その言葉を聞いて、鏑木が鬢のところを指先で掻いた。
「ま、そう言うな久米衛門。だがね、正直斬り殺さなければとは思うぜ。お前さん達の力量なら殺さず捕縛出来ただろう」
「それは結果論ですよ、鏑木さん。刃を向けられたら斬るしかないじゃないですか。どうしようもなかったのです」
「斬るしかないと考える。そう躾けられているんだよ。悲しいものだね」
その言い様に、怒りが込み上げた。
(何も知らないくせに)
小弥太は顔を上げた。鏑木を睨む。そして前に出ようとした時、肩を強く掴まれた。清記だった。
「父上……」
「下がれ」
小弥太は再び俯き、後ろに下がった。
「鏑木殿」
清記が言った。
「何でしょう?」
「確かに、貴殿の言うとおりだ。だが、土鮫の一味を野放しにした責任はないのかね?」
「手厳しいな」
と、自嘲気味に言った。
「悪かったな、小弥太君。責任を擦り付けるような事を言って。お父上が正しい」
鏑木が、小弥太を一瞥し軽く目を伏せた。
「いえ」
「懐柔策なんか取るからこうする。全く、俺たち役人の不始末さ」
「……武士の不始末とも言っていい」
清記が付け加えると、鏑木が賛同するように深く頷いた。
「あれを」
仙次が、話に割って入り西の方を指で示した。
西の丘の上。五人ほどの人影が見えた。
「土鮫の一味でございます」
久米衛門が言った。槍や刀を手に、こちらを伺っているようだ。その姿は、まるでかつての野武士のようでもある。
小弥太は、無銘の大刀に手が伸びたが、鏑木にその腕を掴まれた。
「何故です?」
「これから、全員をあの世に送ろうとしてんだ。下っ端をここで斬って台無しにすんじゃねぇよ。……さて、久米衛門。もうすぐ後続の役人が来る手はずになっている。万事処理が大変だろうが、気を強く持ってくれ」
「ええ。判っていますとも。この久米衛門は庄屋でございます。後始末が終わるまでは、その責任は果たすつもりです」
「その後はどうするつもりだ? なんなら」
「自裁致します」
「おい、そりゃ」
「生きていても仕方ございません」
「そうかい……」
それ以上、鏑木は何も言わなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます