第20話
―――――そのあとはというと、さして大したこともなかった。
川から飛び降りた志野原洋人は、程なくして荒川の河川敷で見つかった。すでに心肺は停止していて、死因は薬物による心停止。
志野原歩美はというと、住所不定の名前不定の女性が荒川沿いで死んでいたというだけだった。
どちらも警察は自殺と判定。
場所は、奇しくもどちらもあのアパートの近くだった。
二人は何を思って、あの場所を選んだのだろう。あの赤いレインコートを追いかけていたとき、僕は少なくとも彼の背中に迷いを見出さなかった。
死に場所を、すでに選んでいたように見えた。
「所長、大丈夫ですか?」
「ああ。傷もふさぎ切ったよ」
「どっちの?」
「……。不思議なことを言うんだね君は」
「ほぉ、ならこの肋骨は触っても大丈夫そうですね」
「いだだだだだだだだだッ」
麦倉浩二はというと、偶然目撃者ということで処理されたそうだ。傷も偶然転んでできた、ということらしい。
本当は、深い切り傷があるのだが、誰もそれは伝えようとしない。
彼はというと、同じ病室にいたのだが、傷が元々何か所もあった所長と違い、すぐに回復したようで、一足先に出ていった。
―――――ありがとう。
彼は最後に所長にそう挨拶して出ていった。短い挨拶で大したことはなくて、それでも所長はそっぽを向きながら、どこか嬉しそうだった。
そして、全ての登場人物が退場していった。
残ったのは僕らだけだった。
「……所長、人ってそんなに変われないものなんですかね」
「三つ子の魂百まで。早々変わらんものさ。心が変わっても、体が覚えている。
もっとも最近の哲学者の間じゃ、心は即ち体であるがな」
「どういうことです?」
「魂とは人の体が表す所作である。……ドイツの哲学者の言葉をもじっただけだよ。心なんて存在せず、仮にあってもそれは人間という一個体のアビリティに過ぎない」
「はぁ」
「人が抱えた歴史、過去、記憶、感情、そして願望と未来。その全てが人であり、その一部である。どれ一つとっても、人という個体から切り離せないものさ。すべては『人』という基盤の上に在る」
所長はそういいながら、どこか寂しそうに窓の外を見つめていた。
「……それでも、僕は願うよ。彼女の魂があの夏の海に帰っていくことを」
「―――――よくわかんないすけど、大丈夫じゃないですか?」
「ほぉ?」
「だって人って寿命を迎えたら分解されて土になるんですよね。それっていつか海に流されて、どこかの浜辺にたどり着きません?
きっと、所長が考えるように、歩美さんと洋人さんもその海に行っていると思いますよ」
「……長い旅路だ」
「人生ですもの。そりゃ長いものです」
「違いない」
所長は嬉しそうだった。
だけど、少し気になることがあった。
最初に依頼をしてきたのは、誰なのだろう。
あの雨の中、僕らの事務所にやってきたのは本当に『志野原歩美』なのだろうか。それとも、別の人物だろうか。
最初は、自殺したから別の人間だと思った、けど彼女は生きていた。
なら、アレは本人なのか。
それとも、別人なのだろうか。
そんな疑問を思いながら、笑みを浮かべる所長の横顔を僕は見つめる。
「今日も外は暑くなりそうだ」
「あれ、どこに行くんです?」
「さぁね」
手を振りながら病室を後にするその横顔は、なんだかすべてを知っているように思えた。
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