第15話

「……」

 田中ダイスケだ。

 私の自己紹介はいい加減飽きたであろうから、今は目の前のことに目を剥いておくことにしている。

 ああ、場所はというと、ここは立教大学。都内でそれなりの大学の正門を、道路挟んで向かい側から私は、校内を見ている。

 今日は7月2日。

 暑い。

 日差しも照り付ける中、私はというと、先ほどまで寺田シロウと話していた携帯電話を下ろして、やはり目を丸くしていたのだ。

 ああ確かに、見つけた。

 志野原洋人の居場所だ。

 というより、本人だろう。

「……」

 正門を出る一つのカップル。

 それは、それなり仲睦まじそうな二人だった。肩を寄せ合い、男は日傘を持って日差しを遮り、女は俯きがちに男の隣を歩く。

 もはやこの炎天下の最中、ホッカイロを背中にくっつけるばかりの拷問であろう。

 甘い、そして熱い。

 東京の大学生は総じてチャラいかオタク―――――そんな偏見を持ち合わせていた私にとって、これは意外だった。

 いやいや、そんなことよりも、だ。

 私は手元の写真を見比べる。

 其れはヒジリが「なんでぼくがこんなことを……」と言いながら、入手してきた麦倉浩二の顔写真である。交通課にこっそり問い合わせて手に入れてもらった。

 そう、確かに向かい側の歩道を歩く男と、その顔写真は一緒である。

 間違いなく本人だ。

 で、隣にいる女も、見たことがある。

 あの男が、したり顔で出した写真だった。

 ―――――ダイスケ、これが志野原歩美だ。

 シロウがあの山の崖から落ちて、そこに捨てられた無数の家財の中から見つけ出した一枚の写真。

 アパートのものはすべて捨てられ、写真の入手は現状困難だと思った矢先に手に入れたものだった。

 私とて、シロウから写真を見せられるまで、本人の顔は知らなかった。

 病院の中でシロウにそういうと、アイツは苦笑いを浮かべた。

 ―――――ならどうやって警察はあの自殺体を『志野原歩美』と特定したんだろうね。

 イヤミな男だ。

 わかっていて、あえて疑問を口にする。

 まぁ、今はそれはいい。写真の女と、隣にいる女は確かに瓜二つだ。

 髪の長さも、背丈も、服装も、何一つ写真のままだ。まるで、写真の中から浮き上がって出てきたような不気味さがあった。

 他人の空似、とも思ったが、男が道路越しに何かしゃべっているのを聞いて、すぐにその考えは失せた。

「歩美、今日はもう帰る?」

「うん」

「どっか寄ってく? 今日スゲー暑いしさ、俺最近すごいおいしいコーヒーの店見つけたんだよッ」

「……ごめんね。今日はいいや」

「そっか。じゃあまた今度だな。駅まで送るよ」

 そんなそこそこに恋人らしい会話をしているあたり、確かにあの女は『歩美』らしいことがわかった。

「ダイスケさん、やっぱり彼女っていいですよねぇ」

「……」

「ダイスケさんもあんな感じで結婚したんですか?」

「つぎにその口を開いたらお前の首をねじ切るぞヒジリ」

「……察します」

 隣で顔をしかめるヒジリをよそに、私はとりあえず尾行を開始することになるのだが。

「ダイスケさん。あの人ですよね、麦倉浩二って」

「……カオル君。君は家に帰っていなさい」

 そこにはやはり、シロウのお付きの梅本カオル君もそばにいた。下ろすタイミングを間違えたのか、家まで送るつもりがなぜか、ここについてきていた。

 シロウは怒っているだろう。私は「あ、お構いなく」と言って素知らぬ顔でついてくる彼の厚顔さに深いため息を漏らすばかりであった。

「ヒジリ、彼は自宅まで」

「え、俺彼の自宅の居場所は知らないですよ?」

「ならあの男の事務所まで送れ」

「そっちも」

 ―――――そうだった。

 たとえ調べて送れ、といってもおそらく不可能だろう。シロウは探偵事務所としてその一切を社会に公表していない。

 看板もなければ、事務所として表示もない。

 内装を見えないようにしているし、外見だけでは、貸しビルか廃ビルのどちらかにしか見えない状態だ。

 だから、世間のどこで調べてもあの住所には通常たどり着かない。

「もういい。麦倉浩二に接触する」

「いいんすか? 僕ら警察ですよ?」

「ならカオル君を見ていてくれ。俺一人でいい」

 軽くヒジリの頭を小突いてそう指示すると、ひとごみをかき分け私は麦倉浩二と『志野原歩美』の二人を追う。

 とは言っても、二人はすぐそばの駅の改札前で分かれ、黒髪の女のほうは改札をくぐってしまった。

 女を逃してしまった。そう思いつつも、外堀を埋めるつもりで私は踵を返し駅を出ようとする麦倉浩二の肩をたたいた。

「麦倉、浩二君だね?」

「え……誰ですか?」

「僕ら公務員ですわ」

「あ、僕は探偵の助手です」

 と言って交互に喋るのは、後ろからついてきていたヒジリとカオル君であって、断じて私ではない。

 ため息が漏れた。

 振り返る気もなく、もう身分を隠すような気分でもなく、私は大きくうなだれ、ポケットに隠し持っていた手帳をちらりと彼に見せた。

「こういうものだ……」

「け、警察ッ?」

「あ、田中さん、手帳無断で持ち出すとか、金子さんにすっげぇ怒られますよ」

「誰のせいだと思っているアホたれが……」

「?」

「ただまぁ公務じゃない。個人的に聞きたいことがあるだけだ、脅したつもりはないのだが、少し話をしたい。

 近くの喫茶店で飲まないか麦倉君?」

「は、はい……」

「気構えなくていい。君についてじゃない、志野原歩美について、だ」

「あいつが、何か?」

「……。彼女、先週自殺したという報道をテレビで見ていないのかい?」

 彼の顔がみるみるうちに蒼白になっていく。

 私は踵を返すと、ひとごみでうんざりする駅中をかき分け、二人とともに歩き出した。

「気分が悪そうだ。どこかで休まないか?」

「そ、そうします」

「ならいい店を知っている」

 そう言って、私は駅を離れ、人気のない住宅街にある小さな喫茶店へと足を運んだ。その間、炎天下の中ずっと暗い面持ちの彼を横目に見ながら。

 店の隅、大声を出しても聞こえなさそうなブースに入り、私がコーヒーを頼むと、麦倉君はようやく顔を上げた。

「……あの、歩美が自殺したって」

「言葉通りの意味だ。志野原歩美は自殺して、命を落として、もうこの世にはいないという意味だ。

 報道された以上そこから先の道理もない」

「……。そっすか」

「あっさりだね」

 力なく項垂れると、彼は小さく首を振り、苦々しく笑って見せた。

「大学生だって、ニュースは見ますし、それに噂でなんとなく、聞きます。歩美が自殺したって、もう死んでしまったんだって。

 だけど……歩美はそれにもかかわらず、大学にやってきた」

「それで報道が嘘だと」

「別人だと思いました。同姓同名の別人だと、大学に問い合わせてもそういった連絡は受けていないっていうし」

 だから、彼女はまだ生きているんだって」

 やはり、その顔に憂いはあるものの、動揺はない。このことを彼は事前に知っていたのだろう。知ったうえで我々の言葉に応じた。

「それで、警察は何を」

「半分公務だがな。君の『彼女』と接触を図りたい。君の隣にいた女は何者なのか、なぜ志野原歩美をしているのか。聞く必要があるんだ」

「わかりました」

 ―――――あっさりすぎる。

 何かを、秘密を隠しているという表情はまだしていない。だが、頷く彼の顔には妙に引っかかるものがあった。

 なんだろう、逆にこちらが網にかけられているかのような。

 一抹の不安を覚えつつ、私は彼に場所の指定を行った。

「では、明日会いたい。場所だが―――――」

「あの、今夜じゃだめですか?」

「……。なぜだね」

「いやアイツ、夜にしか基本外に出ないんです。今日昼間であったのも、偶然だったもんで」

「―――――わかった。君が『彼女』を連れてきてくれ。場所も時間も自由でいい」

「わかりました」

 と、脇を小突くような痛みに、私は早速スマートフォンを操作し始める麦倉浩二を見遣りつつ、横を振り返った。

 そこには苦い表情を浮かべるヒジリが隣で、こちらを見上げていて、私は(仕方ないだろう……)という表情をせざるを得なかった。

 少しムッとしつつも、彼は小さくため息をつきつつ、また正面を向く。

 と、麦倉浩二は手に持ったスマートフォンをおろし、再び私のほうを見る。

「あの刑事さん。アイツ、やっぱり夜なら大丈夫だって。場所なんですけどここから近くの公園がいいって」

「時間は?」

「午後7時19分だって」

「わかった」

 随分と細かい時間と場所の設定に、軽く首をひねりつつも私は頷いて見せた。

 無論その場には、彼が『彼女』を呼んでもらうということで同席を依頼すると、彼は快く頷いた。

 あとは連絡先を交換し、その場は解散ということで、彼に一度帰ってもらうことにしようとして

「あの刑事さん……」

「ん?」

「……アイツ、人殺しなんですか?」

「それは『誰』のことかね?」

「……」

「まぁいい。誰かもわからない人間に、人殺しだと罪は着せられない。『誰か』が『誰か』を殺した、これで社会は初めて『誰か』に罰を背負わせるものだ」

「罰……」

「それとも―――――君は知っているのかね?」

「いいえ。じゃあ、また後で」

「ああ。頼むよ」

 そう言って喫茶店を後にする麦倉浩二を横目に、私はコーヒーをすすり、深いため息を漏らした。

 と、隣のヒジリはまたもや苦い表情を浮かべている。

「……アレ。間違いなく何か知ってますよ」

「だろうな。その上で間違いなくアレはこっちに牙をむく」

「田中さん。やっぱりなんかしら応援を呼ぶほうが」

「誰を?」

「……」

「『志野原歩美』は自殺した。これは事件じゃない、表立って動ける人間なんて一人もいないさ。

 俺とお前以外はな」

「なんでぼくまで、誰か代わって……」

「ああ、そうだな。忘れていた、一人いるぞ。『正義の味方』がな」

「はい?」

 怪訝そうな顔をするヒジリを横目に、私は向かいに座りきょとんとするカオル君の顔を見る。

 カオル君は眉を顰めつつ、自分を指さし首を傾げた。

「僕ですか?」

「いや、君にお願いしたら、それこそ俺がアイツに殺される。動くのは君のところの所長さんだよ」

 ガクリとヒジリがテーブルに突っ伏すのを横目に、私はそう言った。

「だと思ったっす……はぁああああ誰か代わって」

「諦めろ、お前は俺に苦役される運命だ」

「そんなひどい運命聞いたことねぇよッ」

 そう言って俺の首根っこをひっつかむヒジリを横目に、私はカオル君に自分の家に帰るよう促した。

「まぁというわけだ。シロウにドヤされるのも難だしな。君はここで一度家に帰ってくれ」

「で、でも」

「自宅に戻るのが不安ならアイツの事務所でもいい。君は安全なところにいるんだ。

い。

 苦労するのはコイツだけでいい」

「あんたも苦労してくださいよぉ!」

「そういえばヒジリ。噂じゃ彼女以外の女とも仲が良いそうだな。先週二課と上田女子と渋谷の夜の繁華街で」

「あっあっあっ」

「諦めろ」

「あああああああああああっ!」

 テーブルでもだえ苦しむ彼を横目に、私は再度カオル君を促した。

「帰りたまえ。ここから先は、俺とアイツでなんとかする」

「でも、ぼくやっぱり」

 ああ、やっぱり食い下がるか、と思っていると、カオル君の胸ポケットからバイブレーションと着信音が聞こえてきた。

 彼のスマートフォンだろう。カオル君は怪訝そうに鳴り響くその機器の画面を覗き込んだ。

 そして、厭な顔をした。

「……はい」

『カオル君。君は、必ず、家に、戻りなさい』

 漏れ聞こえてくるのは、シロウの声。

 アイツどこかに盗聴器でもつけているのか、と疑いたくなるほどのタイミングの良さに私は肩をすくめた。

 さりとて、さすがに観念したのか、カオル君は項垂れて何度か頷く素振りを見せると再びスマートフォンを胸ポケットに納めた。

「……戻ります。ただ家は危ないので、事務所のほうにとのことで」

「わかった送っていく。ヒジリ車の準備を」

「いやいやいやいや。僕たちここまで徒歩で来たんじゃ」

「アパート近くだろう。それともこの炎天下、俺のために車を取りに店を出られないと言いたいのだろうか。

 そうかそれもいい判断だ。ところでヒジリ、噂じゃ丹羽先輩と」

「ちっくしょぉおおおおお! 覚えてろよぉおおお!」

「諦めろ」

 店を最速で出ていく彼を、俺は手を振って見送ることにした。

 と、今度は私のスマートフォンにバイブレーションがかかる。私はソレを手に取ると、画面を覗き込んだ。

 メールの着信が表示されていた。

『よろしこ@那覇空港』

 シロウからのメールであった。

 もうすぐ帰ってくるということなのだろう。私は安堵に肩をすくめるとともに、今夜のことに思いを巡らせた。

 やはり、麦倉浩二、彼は何かを知っている。知ったうえで何かを隠している。

 アレが『別人』であることは知っている。であれば、その中身か、本当は誰なのかを知っているのだろうか。

 時間の指定、場所の指定は向こうが行った。

 スマートフォンで、連絡を取り合っていた、画面は見ていないが、おそらくそうだろう。そして相手方も携帯電話なり、通信手段を持っているだろう。

 ―――――携帯電話。

 二日前、いなくなったシロウに頼まれ、毛無山に再度赴いたとき、遺留品がやはり多数捨てられているのを目撃した。

 そこには、確かに打ち捨てられた携帯電話はあった。志野原歩美の私物はすべて捨てられていた。

 なら、おかしい。

 麦倉浩二が接触している相手方の携帯電話は『志野原歩美』のものなのだろうか。

 もしそうでなければ、彼は―――――電話の向こうにいるのが『誰か』を知ったうえで連絡を取っているということになる。

 彼は知っているのだ。

「……」

「ダイスケさん?」

「いや、なんでもない」

 ため息が重たく手元のコーヒーにのしかかる。私は疑念を振り払うようにコーヒーを浴びるように飲み込むと、ヒジリの車が到着するのを待ち遠しく思い、窓を見遣った。

 外は炎天下で、今にも融けてなくなりそうな暑そうだった。

 寝苦しい夜になりそうだと、ため息がこぼれた。

「とんだ貧乏くじだよ」

「あ、あれ? ダイスケさん、ソレ……」

 カオル君の驚く顔を横目に、私は胸ポケットに突っ込んでいた手帳を取り出しては、店員に渡して、捨てさせた。

 カオル君は目を丸くしたまま、立ち上がる私を見上げている。

「どうしたね?」

「そ、それって警察手帳じゃ」

「アレが本物だと、一言でも言ったかな?」

「……その言い方、所長にそっくりですね」

「……腐れ縁だからな」

 ため息が虚空にこぼれて消えた

 


 

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