第14話

「―――――ぐぅ」

 痛みが後頭部に伝わる。

 軽い二酸化炭素中毒だろうか。

 気が付けば砂浜に横たわっていたようで、私は砂だらけの体を起こすと、ガンガンと警鐘を鳴らし続ける頭をさすった。

 いつの間に外に出たのだろう。最後の記憶では私は、木々の中に隠された洞の前にいたはずだった。なのに今は、その外、海岸で胡坐をかいて座っているではないか。

 不可解な感覚。しかし誰かが気絶した私を引きずってここまで運んだという跡はなく、砂浜には自分の足跡が私の背後から点々と続いているだけだった。

 おそらく、無意識にここまできたのだろう。

 痛む頭を押さえつつ、私は立ち上がろうとして、地面に手をつくと、ふと硬い感触が手についた。

 夜の闇の中、星明りを頼りにそれを見下ろせば、それは白い骨の断片だった。

 砂に混じるいくつもの白い破片。

 多くの人たちがなくなった跡が、白い砂に埋もれていた。

 一人の人が生きようとした、その痕跡だった。

「……同情は、しませんよ」

 私はその骨から手を放すと、立ち上がっていつの間にか手に持っていた花束を肩の上に置いた。

 と、ポケットの中で鳴り響くバイブレーション。携帯を取り出せば、懐かしい声が耳に入ってきて、私は笑みをこぼした。

『シロウ、お前何をやっているッ』

「ダイスケ。どうしたんだい?」

『アホが。こっちが聞きたい。二日も連絡取れずに何をしていたんだ』

「ああ。そんなに時間が経っていましたか」

 まるで浦島太郎である―――――そんな初めての経験に新鮮な気分になりつつも、私は受話器の向こう側の状況を聞くことにした。

「それで、そちらはどうです?」

『いたよ。麦倉浩二のそばにやはりな』

「刺激はしないでくださいね」

『早晩こっちも見つかる。遠目からしか確認していないが、こちらを警戒しているのが見て取れる』

「カオル君は大丈夫なんでしょうね」

『……。ついてきている』

「ダイスケ。ぼく任せたって言ったのはそういう意味じゃないんですよ?」

『ついてきたいと言ったのは向こうだ。いやなら早く回収に来い』

「まったく……すぐに帰ります。そっちについたら連絡入れます」

『わかった。今那覇市内にいるのか?』

「いいえ。なぜです?」

『いや。随分とたくさんの足音がそっちから聞こえてくるからな。ブーツの音か、随分と響いているぞ』

 潮騒に消えていく、足音。

 重たく厚い何かが、背中からいくつもの手を伸ばし、迫ってくるのを感じる。

「……何も」

『そうか。すぐに戻ってこい。志野原洋人の居場所が分かったからな』  

「わかりました、では」

 私は、電話を切り、携帯電話を耳元から降ろすと、宵闇にささめく波打ちの音色に耳を傾け目を閉じた。

 大きく息を吸い込み、近づいてくる無数の足音に耳を傾ける。

 グッと肩をつかまれる感覚に、眉を顰める―――――


 ―――――刹那、鳴り響くバイブレーション。


 私は目を開くと、開いたまま携帯電話の液晶を覗き込んだ。

 非通知。

 画面にそう浮かんだそれを覗き込みつつ、私は受話器を耳元に押し当てた。

 ほどなくして聞こえてくるのは、雑音。

 いや、潮風の音。

 私は顔を上げ、遠くに広がる深き宵の水平線に目を見開いた。

 そこにははためく赤いレインコートがあった。

 水平線の上、まるで水の上に浮かぶように、小さな赤い影が私の目の前に立ち、こちらを見つめていた。

 フードに隠れ顔はわからなかった。

 ただこちらを見つめ、耳元に携帯電話を押し当てていた。

 かすかに唇が動く。

「―――――赦シテ―――――」

 ノイズの中から、浮かび上がるか細い声。

 潮風に聞こえそうなその声は、それでも私の耳に、胸に、体全体に響いた。

 ああ、やっぱりそうだと、苦しくないはずがなかったのだと、どこまでも自分の生まれを呪い、自分が食った来たもののおぞましさに絶望し、それでも、助けを求めたのだと、私は涙がこぼれそうになった。

 助けてやれなかった虚しさかもしれない、彼女の境遇に同情の念があったのかもしれない。

 でも、どれも結局意味がない。

 彼女は―――――『志野原歩美』はもうこの世にいないのだから。

 だから私にできることは―――――

「……必ず、依頼はこなしますよ」

 たった一つできること、死者を弔い、生きるのみ。

 私は用意していたハイビスカスの花束を寄せる波へと放り投げた。

 赤い花は宙を舞い、花びらを散らしながら潮風に舞いながら、やがて星明りの海へと吸い込まれていく。

 吸い込まれた花は、やがて海辺に大きく広がり、やがて深く暗い海へ沈んでいく。

 波間に消えていった死者を弔うように。

「さて、帰りますか」

 足音が途絶え、寄せる波に奏でる潮騒の向こうへと、無数の気配が溶けて消えていき、私の独り言だけが、砂浜に響く。

 其れとともに、肩を掴む強い感触と悪意にも似た重たい気配が、私の背中から離れていき、ただ寄せる波だけが踝を飲み込んでいく。

 行こう。引く波に背を向け、私は踵を返した。

 最期の秘匿、最初の起源は破られた。

 おそらく、『彼女』はその牙を、剥き始めるだろう。

 私と―――――彼に。

 麦倉浩二、おそらく彼が唯一『彼女』知る者。

 


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