第13話
5時間。
レンタカーで海岸沿いの高速道路を走り、やがてその幹線道路も途絶え、舗装された道が砂利道へと変わるころ、ナビの指示が止まった。
私は、車を砂利道の端に止めると、やがて落ちつつある夕焼けを横目に見つつ、あたりを見渡した。
私が立つのは、山の中腹。そこから見下ろしたところに、何やら葺屋根らしき家屋が海岸沿いに並んでいるのが見えた。
波打ち際にはボートが反転させ打ち捨てられ、確かにそこには漁村のようなものが波打ち際に並んでいるのが見えた。
「ここか」
地図にはない村。
目的の場所。
私は、打ち捨てられた砂浜へ行く道はないかと車を再び走らせると、やがて砂浜へと下る脇道が見つかった。
さらに細い道。人が通るのがやっとの道で、私は車を降りると、街で繕ってもらった花束を手に砂浜へと降りていく。
鬱蒼とした獣道を通り過ぎ、やがて開けてくる視界。
光が差し込み、そこには一面の青い海、澄み渡る空がどこまでも広がり、一面のパノラマ風景には、南国の景色がまざまざと映し出された。
聞こえるのは、鳥の音。
潮騒が砂を踏む音をかき消し、潮風に揺れる木々の音が耳をつんざく。
ああ、静かだ。
ここに何があるのかわかるはずもない―――――そう言われていそうな気さえする、そんな穏やかさがそこにあった。崩れた家々はそこいらに散らばり、木の破片が砂に埋もれる。ボートは錆びて寄せる波に身を沈める。誰もおらず、空を飛び交う海鳥の影が砂浜に揺らめくだけだった。
隠すものなどなにもない、そんな場所。
私は、そんな毒気の一切を抜かれるような感覚に腰を落とすと、砂浜に座り込んで空を見上げることにした。
「……無駄足、か」
そう思えてくるが、別段不思議と落胆が胸中をよぎることはない。この穏やか景色が彼女の起源だというのなら、それはそれで素晴らしいことではないだろうか。
何もない、平和が一番であろう。
そう思い、手持無沙汰に私は波打ち際へと足を運ぶと、子供のように寄せる波を軽く蹴り上げた。そうすると雫が宙を舞い、頬をたたいた。
「―――――ッ」
痛み。
まるで刺すような―――――私は顔をしかめつつも、波を蹴った拍子に飛んできた何かが当たった頬をさすった。
僅かに痛みが残る。何が飛んできたのか足元を見まわしていると、つま先に、砂の色とは明らかに違う何かがあった。
「金属片?」
それは錆びた鉄の破片。
ボードの底のソレだろうか。私は海岸に捨てられ横倒しになっていたボートへと徐に足を運ぶことにした。
「―――――そういうことか」
ボードの側面。描かれていたのは、エンブレムであった。
『united states』―――――このボートはおそらく戦争があった時代のアメリカ軍のものだろう。沖縄は大戦中での数少ない陸戦地。そう思えば、ここにアメリカ軍の跡があることに何の違和感もない。
ならば、この周辺のさびれ具合は―――――
「……」
砂を踏む音が潮騒に掻き消え、私は潮風に背を押されながら踵を返し、周囲を見渡した。
昔、学校の修学旅行でいったことがある。
沖縄の人たちは、戦争がはじまると、自然の洞を防空壕として使っていて、そこで人々は身をひそめていたという。
本当かどうかは知らない。昔の出来事を、今の人間が証明する術など所詮一切持たないのだから。それでも何かあると信じ、私は海岸線を目を皿のようにして見渡した。
だが、見つからない。
結局杞憂なのか―――――私は日差しの暑さにけだるさを覚え、砂浜を離れ、鬱蒼とした木々のほうへと避暑しようとした。
と、森のほうに入り、目の前に見えたのは、なだらかな斜面。
薄暗い雑木林の中、横倒しになった木々。ソレは焼け焦げて、苔を表面にはやしたものだった。
その隣には、横倒しになった小さな車両。同じく走行表面にはあのエンブレムが描かれていた。
木が焼けた跡、戦争―――――おそらく、このあたり一帯を焼いたのだろう。森に逃げ込んだ人間を火で炙り出す。出てこなければ焼け死に、出てくれば撃ち殺される。逃げ場の残酷な選択肢がここにはあった。
私は、倒れた焼木の先を見上げた。
「……」
あった。
斜面をくりぬいた、人がようやく入れる横穴。
足を踏み入れると、それだけで熱気と圧迫感が体全体を縛り付けるように覆ってくるのを感じる。
なのに、背中にはつんざくような悪寒が走る。
寒い。
汗が流れるのに、震えが止まらない。このブヨブヨとした暗闇を覗き込んでいるだけで体が引きずり込まれそうなのを感じる。
何かが警鐘を鳴らす。
ここには決して立ち入ってはいけないと―――――ここは、死者の眠る場所だと誰かが叫んでいる。
ここは、まずい。
引き返すほうが―――――
「ガァッ―――――」
刹那、何かが首に絡みつく。
指―――――何本もの指がグッと喉元に食い込む。
息ができない。何かに体が洞の奥に引っ張られていく感覚がある。
意識が―――――
――――――――――
闇の中、目の前には、闇の中で燃え上がる木々があった。
闇の中、逃げ惑う人の影が地面に移り、火花が宙に舞い、火炎が森の中をまるで大蛇のごとく、木々の隙間を飲み込み走った。
焼け焦げていく大地。
炎に絡まれ崩れ落ちていく大木。
ガラガラとキャタピラー音が鳴り響き、闇の静寂をかき消し、無数の軍靴が砂を踏む音が夜空を奏でる。
火炎放射器。アメリカ軍の上陸。防空壕と呼ぶのもずさんな、自然の洞へと逃げ込む人々。
ここでは多くの人が死んでいった。
ここでは、多くの人たちが炎に焼かれたのだ。
―――――走って、早く。
闇の中、小声で、しかし促すはっきりとした声で、小さな影が二つ、炎が渦を描く森の中にあった。
手をつなぐ小さな影たちは、やがて自然の洞へと逃げ込むことに成功する。
だが長くはない。
声を上げれば、その声を炎の大蛇は見つけ出し、呑もうとするのだ。
早晩、みつかることになるだろう。
崩れた木々を踏む軍靴の足音が近づく。
ああ、二人とも死ぬのだろうか。
―――――生きなさい。
そう囁く声とともに、一人の少女は一人の少年を狭く暗い洞窟の更に底へと、突き落とした。いつ崩れるともしれないその洞の底は狭く、少年が体を縮こまらせてようやく入るサイズであった。
少年は目を上げる。
そこには洞の外へと出ていく小さな背中が見え、数舜後、それも炎の渦に飲まれていった。
少年は闇の中、目を腫らしじっと見つめていた。
自分の姉が焼け死ぬ姿を。
見殺しにした自分の姉の最期を。
そして、少年はじっと待った。村人の最後の一人が炎に焼かれ死んでいくまで、軍靴の足音が消える瞬間まで。
自分の爪を食べた。
自分の髪を食べた。
土を食み、血を飲み、命を命で切り繋いだ。
一週間。
洞を出た少年の目に映ったのは、焼け切った村の姿だった。
そして、いたるところに広がる村人の焼けた姿。
誰もいなかった。
誰もが死んだ。
もう自分しかいなかった。
―――――生きなさい。
呪いに等しい言霊が頭をよぎる。
ふと腹が鳴った。よだれが口元からあふれ出てきた。
生きなければいけない、生きないと怒られる。生きないと申し訳が立たない。ああそんな風に自分を誤魔化し、自分を偽り、ただただ衝動を抑えきれなかった。
これは人として当然のこと、人として当たり前の感情。
いくつもの心の枷を外し、少年はその場に崩れ落ちると、洞のすぐそばで倒れていた焼死体に手を伸ばした。
うつぶせに倒れ、煙を全身から上げる黒い死体は、どこかで見たものだった。
だけど、それが誰だか、少年にはもうわからなかった。
―――――生きなさい。
背中に日差しを受け、嗚呼、その言葉のまま、少年は大きく口を開けた。
―――――いただきます。
少年は生き延びた。
その先も、そのずっと先も、生き延びて、この呪いを自らの器にため込み、そして次代へと注ぎ続けた。
これは呪い。
生きなければならない、何を食っても生きなければならないという、古い言葉。
これが『泥』。
ここは、確かに地獄であった。
夢の中、悪夢の底で、私は確かにそれを見た。
これが―――――起源だと知った。
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