第12話

 ―――――起源。

 それについて、私が口酸っぱく呟いている事について、補足を加えつつ、少しばかり語りたいと願う。

 あくまで私の考え方だ。これがすべてではない。

 だけど、私は、自らが秘匿を破ったことについて、語らなければならない。

「よし、このアロハと短パン気に入った。買うよ」

「気合入っているねぇ兄ちゃん、今からサーフィンかい?」

 人は、生まれた時から『無』ではない。

 しかし人は、生まれた時から持たざる者である。

 『何もない』というものを持っている。故に外からありとあらゆるものを取り込もうとする。それは胎内にいた時からそうだ。

 音。

 声。

 心音。

 目は見えずとも、声は聞こえずとも、心はなくとも、人はその体に様々なものを取り込み、『己』を作り上げていく。そして生まれ地に立ち、親の手を握り、やがてその手を離れ、それでも多くのものを取り込み、人は人の内側に『世界』を作り上げていく。

 人は生まれた時から持たざる者である。

 その性質は、さながら空のグラスであろう。

 人はその器にありとあらゆる可能性を注ぎ込み、自らを成熟させていく。

 やがて注ぎ込まれた器は形を変えていき、それに合わせて人は望むままに未来を作り上げていく。そして、成熟した器の中身が溢れない内に、次の世代へと移し替えていくだろう。

 そして、やがてその器は壊れ、地に還る。

 人という器には、関わった全ての事象が内包されている。善悪構わず、文字通りすべてであるというのだ。

 まったく、悪食である。

 たとえ、取り込んだものが間違っていたものであっても。

 注ぎ込まれたソレが『ミてはいけないモノ』だったとしても、だ。

「このサングラスも買おう、サンダルはこっちがいいな。店主全部くれ」

「ついでにサーフボードも持っていくかい?」

「いや。それよりも近くに花屋はないかい?」

「?」

「綺麗なハイビスカスがいいね。きっと、供えるのに赤い色はよくこの空に映えるだろうからね」

 ―――――破裂した器。

 彼女が注ぎ込まれたものは『泥』だ。

 人が啜ってはいけないもの。

 人が呑んではいけないもの。

 人が見てはいけないもの―――――決して触れるべきではないもの、もっとも人の根幹に触れるもの。

 そして秘匿されなければならないもの。

 禁忌。

 彼女は『人を食った』のだ。

 ―――――ソレが、あの山でみたものかシロウ。

 あの場所には、彼女の手記があった。実家に残されたものとは別、東京に来てから記述されたものだろう。

 だが、ソレは日々の日常を綴るものとは、大きくかけ離れたものだった。

 思い出せる限りの過去の出来事から、今に至るまでの出来事。

 その時の心情。

 そしてそのとき、そばにいた人々のこと。

 それは、まるで―――――

「綺麗な、ハイビスカスだね」

「買っていかれますか?」

「花束にしてくれ。他は、きっと似合わないだろうから」

 ―――――さながら遺書、か。

 志野原歩美は知っていたのだ。秘匿したはずの禁忌を持ち出したことは、あの家から離れたということは、遠からず自分の命を危うくするものだと。

 彼女はそれでも家を出た。

 手記には、こう書かれていた。


 ―――――あの女は、私を洋人に食べさせるようだった。


 信仰。宗教。

 彼女が残した手記、そこには『あの女』と書かれた存在が、何かしら信念を以て、彼女を殺そうとしていた、という。

 カニバリズム。異常な嗜好―――――ソレを宗教として、信仰として、崇めていた歴史は確かにあった。そうでなくても、宗教は物騒なものだ。神のためなら人は人を殺せるというのだ。そうして殺した死体を食うというのだから、そちらのほうが随分とエコではなかろうか。

 だけど、やはり人は何かのためにしか、人を殺さず、何かのためにしか人は食わない。

 何かのために―――――それがその信仰なのだろう。

 そこには『あの女』が信じていたことが、ただただ淡々と描かれていたのだ。

 一つ、一日二キロ、人肉を食うこと。これは先祖の霊に対する感謝の念である。

 一つ、年に一度、生きた人間を食うこと。

 一つ―――――男に女は食われなければならない。

 だから、弟の洋人が20になれば、女である志野原歩美、そして『あの女』自身も食われなければならない。

 偉大なる父祖の契約のため、全てが手順通りに履行されなければならない。手記にはそう書かれていた。

 ―――――ゲロを吐きそうだ。

 ゲロを吐きそうな顔をしていたダイスケはさておき、私は病室で彼と話していて、少し違和感を感じたのだ。

 こんな信仰、あまり聞かないな、と。

 息子が父親を殺し食らう、というどこかの国の民間伝承はおぼろげながら耳に入れたことがある。大凡父親殺しというのが、ある種名誉であることから来る、ある種陶酔にもにた信仰であるが、新しい人間である息子が、古い人間である父親を打ち負かすという行為自体は合点がいくものだ。

 だが、これは息子が、姉と母親を殺しその死体を食べる、というものだ。

 血が繋がっているとはいえ男女である。本来その思考は生への衝動、生殖行為に帰結するものだろう。だがこれは違う。

 胎内回帰願望、異常なフェチズム、病的な信仰―――――どう考えても、腑に落ちないものばかりだった。

 これはなんだ?

 あの家には『何が』あった?

 父祖の契約と、志野原歩美は語った。

 ならば―――――

「車種はどのようなものにします?」

「やはりオープンカーだろう。南国の海とくればアロハ、短パン、サングラスにオープンカーと相場が決まっている」

「わかりました、このレンタカーの申込書にサインを」

 ―――――他には何が書かれていたシロウ?

 病室でそう尋ねたダイスケに私は、回収した手記をさらに読み上げることにした。

 震える筆跡が手記に記されていた。

 人が背負うもとしては、大凡重いものだ。

 残りは、彼女の半生が記述されていた。

 五歳のころ、近所の友達が行方不明になった。いまだ見つからないその子の心臓が、自分の血肉になっていると彼女が知ったのは、17のころ『あの女』に語られたときだった。

 七歳のころ、飼っていた犬が骨だけになって帰ってきた。その日の夕飯がとても豪勢だったのを彼女は覚えていた。

 テーブルに出されたすべての肉はすべて、人のものだった。

 17年間、彼女は人を食い続けたのだ。

 食わされ続け、それを知らず、ただその味だけが彼女にとっての当たり前になっていたのだ。

 嘘だと思った。たくさんの人骨が庭に埋められていた、それらはすべて、志野原歩美が長い年月をかけて食らってきたものだと知らされた。

 17の誕生日

 吐いた。

 吐いて、吐いて―――――皮と骨だけになるかと思うほど吐いて、それでも『彼ら』が戻ってくることはなかった。

 彼女は知ったのだ。

 自分が一体何でできているかを。

 だけど、その手記の中には、一文字として『ある言葉』が書かれていなかったのだ。

 ―――――助けて、だろうシロウ。

 ダイスケの言う通りだった。

 救いは要らず、彼女は最後まで自らの半生を手記に綴り続けていた。悔いることもなく、悦に入ることもなく、ただただ書かれていた。

 震えた筆跡が途絶えたのは、12月25日。

 その先のページは血がべっとりとこびり付いて、読めずにいた。

 ノートの最後には、一枚の写真が挟み込まれていた。

 海を背にした二人の男女が写りこんでいた。

 裏には、こう書かれていた。

 ―――――ごめんなさい、コウジ。

 同情は一切しない。

 おそらく『彼女』は望んでこの結末を選んだのだろう。ソレが何よりの幸福だと信じたからこその選択でありこれが結果だ。

 彼女が骨の髄まで味わった絶望を肩代わりすることなどできないし、ソレを彼女は望まないだろう。

 私はただ、依頼をこなす。

「えっと場所は……」

 最後の秘匿―――――最初の起源。

『あの女』が不可解なほどに信じたもの。その信仰と愉悦の根源、彼女という器に注がれた泥の底を覗き込もう。

 それがきっと『志野原歩美』の願いなのだから。

 場所は、沖縄本島南東の、かつての漁村。打ち捨てられたという廃村へと向かう。

 

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