第9話

 翌日、私は富士宮市近郊の毛無山へと足を運んでいた。

 カオル君にはホテルで待つように指示したのだが、彼は相も変わらず「行きます」の一点張りでこちらのことなど聞く耳持たず、今も助手席に座っている。 

 正直、何をそんなに意固地になっているのか、理解はできないが、あまり時間がないのでそのまま連れてきている次第である。

「カオル君、結構危ないよ、ここから先」 

「知っています」

「保険とか、きかないよ?」

「知っています」

「引き返す?」

「い・き・ま・す!」

「―――――そうかい」

 人間は自由だ。

 その選択を私が強制するのもどうかと思うし、彼が危険を冒してでもそうしたいという主張に対して、それを阻むだけの理屈を展開する脳みそがないのも事実である。

 是非もなし―――――そんな言葉で自分を鞘に納めつつ、私は車を走らせる。

 そして、そんなこんなで一時間かけてついたのは毛無山。

 正確には一般的な山道の入り口とは反対側の山のふもとであった。

 周りは田園風景が広がり、農家が立ち並ぶ、普通の田舎。

 私はそんな村の景色を背景に、砂利道を走っていると、やがて道の端に鈍色の影が見えてきた。

 それは道の端にとめられた大型の運送用トラック。

 間違いない、これが、ダイスケの言っていた、あのアパートから出てきたトラックだろう。

 私はそのトラックの後ろに車を止めると、後部ドアの鍵が開いていることを確認し、扉を開いた。

「……まじか」

 そこには、何もなかった。

 本来、入れられていると仮定していた冷蔵庫、本棚、ベッド等々は一切の影もなく、ただ伽藍洞の空間が広がっていた。

 さすがに何かないかと、中に入って周りを見てみるが何もなく、私はドアを閉め、運転席のドアを開いて、中を覗き込んだ。

 だがやはりそこにも、めぼしいものはなかった。

「そっか……まぁだよね。考えてみれば」

「所長ッ、こっちですッ」

 カオル君に呼ばれ、振り返れば、そこは砂利道を挟んで反対側に立って、カオル君が手を振っているのが見えた。

 そこは毛無山の中へと続く細い山道の入り口だった。

「どうしたんだい?」

「地面、なんか引きずった跡がありますよッ」

 そう言われ、山道の入り口へと赴くと、私はカオル君の隣に立ち、その足元を見下ろした。そこには確かに何か、重たいものを引きずったような跡があり、それは薄暗い山の中へと続いていた。

「所長ッもしかしたら、この山に、運んだのかも」

「そうだね、引きずったってことは、一人?」

「ちょっと考えられないですけど」

「カオル君。一つ君に頼みたい」

「車で待っておけって話ですか?」

「イエスだ」

 私は、彼の肩をたたくと、ポケットから車の鍵を取り出して不満げに頬を膨らませる彼に突き出した。

 彼はしぶしぶそのカギを受け取ると、おずおずと後ずさる。

「死なないですよね所長」

「さぁ、その時は電話するよ」

「できるわけないじゃないですかッ!」

「そうでなくてもするよ。君は絶対に僕から電話するまで車の中で待っていること。ドアは開けちゃいけないよ。

 後、ダイスケかヒジリ君に連絡をかけてくれないか?」

 彼は頬を膨らませて恨めし気に私を見上げる。

「返事は?」

「―――――了解です」

「いい子だ。もしもの保険だよ、どっちも。何もなかったらそれでいいのさ」

 私は不満げに口をとがらせる彼を背に、細い、獣道に近い裏の山道を上っていくことにした。

 といっても、長い道だった。

 一時間。

 舗装されていない道を通るのがこんなにも辛いとは思わなかった。

 道自体は平坦なものだが、やはり山道は、運動をしていない人間には苦でしかなく、悪い意味で胸を弾ませながら、草木が生い茂る道をかき分ける。

 こんな道を、なぜ選んだのか。それとも本当にここなのだろうか。

(そもそも、一人、なのか?)

 こんな険しい山道、一人で家具を運ぶなんてありえない。

 どこか別の場所で捨てたのではなかろうか。

 そんな疑問を抱くたびに、足元を見下ろせば、相変わらず何かを引きずった跡が足元を先走っていて、厭になる。

 あとどれくらいだろう。

 そんな期待と不安を胸に抱きながら、薄暗い山の中を歩いていると、やがて光が目の前から差し込んできた。

 開けた場所だろうか。

 私は、おそらくゴール地点と思しき場所が近づき、幾分足が軽くなる感じを覚えた。

 もう少し―――――そう思ってどれくらいだろう。

 やがて光が体を包み、開けた場所へと私を誘った。

 山の中腹。

 坂道が途絶え、公園のような場所が目の前にあった。

 展望台みたいな場所だろうか、老朽化して崩れかけた柵が、崖を挟むようにして設置されていた。周囲にはボロボロの木のベンチ。案内表記の看板は地面に横倒しになり、人が踏み入らなくて久しいのか、草木が地面に生い茂っていた。

「あれ?」

 けど、ない。

 それらしいものがあるかと思ったが、特段何もなく、私は足元を見下ろした。

 そこには、変わらず何かを引きずったような跡が地面に刻まれていて、それは柵のほうまで伸びていた。

(彼は、あそこまで運んだ?)

 一人の青年が重たい家電などを、引きずりながらここまで運んで捨てた。そんなことを想像して、少し違和感を覚えた。

 それは、彼、志野原洋人が志野原歩美の弟であるということ。

 彼女は享年20歳。弟はおそらく20歳以下であるということ。

 トラックの免許は21歳からの取得。

 トラックを運転したのは、別にいる。

「ここにいたのは、一人じゃない」

 私は、柵の向こうを覗き込もうとした。


 ―――――足音。


 足元から伸びる影。

 ハッとなって振り返れば、そこには赤いレインコートをかぶったほっそりとした影が私の体を、強く押し出していた。

 その目は、赤かった。

「彼方よりほころぶ命よ」

「なッ」

 押し出されるからだ。崩れ落ちる柵。

 体が宙に放り出され、すぐさま地面に吸い込まれてたたきつけられる。

 見下ろせば、そこには深く暗い崖の底。

 そこに、冷蔵庫、本棚、ベッド―――――いくつもの家具や家電が捨てられ、積みあがっているのが見える。

 そこが―――――

「かはッ」

 落ち葉がクッションになり、斜面という地形が衝撃を和らげようとも、鋭い痛みが体を襲い、意識が断続的に途切れる。

 気が付けば、私は転がりながら、いくつもそそり立つ木の幹に体がもみくちゃにされていた。

 そして、ドスンと首を打ち付ける鈍い衝撃。

 一分ぐらいだろう。

 気を失い、目の前が赤く変色する中、私は打ち捨てられたいくつもの家具を背に、横たわっていた。

 苦しい。

 めまいがする。

 指を動かせば、しびれ、頭に全身が痛む。額からとめどなく流れる血が口の中に入り、熱い。

 指先の感覚が遠のく。

 なんだ。

 ここで、死んでしまうのか。

 明滅し、薄れゆく意識の中、私は頭上に、ほっそりとした影を見た。

 その影は、こちらを見下ろし、嗤っていた。

 ニィと歯を剥き、身を打ちふるわせていた。

「……命を食らい、魂を還す」

 影が背中を向け、やがて崖の上から遠のいていく。

 まずい。

 カオル君が危ない。

 ジクジクとしびれるような痛みとともに、手足の感覚が少しずつ戻ってくる。

 背中の痛みはまだ取れないが、動ける。

 私は震える足で立ち上がると、衝撃で壊れていないことを祈り、携帯電話を取り出した。血の濡れた手でボタンを押す手が震え、それでも私は歯を食いしばり、痛みで意識を鮮明にし、携帯電話に手をかけた。

「カオル君……!」

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