第18話


 先輩と再会したのは1年後のクリスマスイブの夜だった。

 シンガーソングライターとして音楽活動を続けていた私は、性懲りも無くライブハウスの舞台に立っていた。相変わらずライブハウスは狭い箱だし、身内を除いた客の人数は片手に収まる。ユーチューブの再生回数は多くて300、1年前と認知度はそう変わらない。


 いつもと違うのは、客席に先輩が立ってるってことだけだった。


 これが偶然なのか、必然なのかは良く分からない。

 先輩が私を探して会いにきてくれたんじゃないかって気がするけど、勘違いだったら恥ずかしいから、別に期待はしなかった。それにしても、クリスマスイブに売れないミュージシャンのたむろするライブにやってくるなんて、先輩も相当なもの好きだと思いながら、マイクスタンドを調整する。

 久しぶりに見る先輩は、あんまり変わってなかった。胸まで伸びた髪は真っ黒に染められていたし、服のセンスも赤文字系になっていたけど、先輩の身体全体を包み込んでいる悲しみの色は一層濃くなっていた。


 先輩は私だけをじっと見ていた。

 私はもう、先輩から逃げたくなかった。そこから動かずに、私を見ていてください。そんな気持ちをメロディに乗せて、彼女の目をまっすぐに見据えて、曲を歌った。

 どれもこれも、かつての私を詰め込んだ歌だった。表現物を見て自分を知った気になってほしくないって言う人もいるけど、私はそうじゃなかった。先輩に知って欲しかった。マイクを通して、過去の私の気持ちと、今の私の精一杯が全部、先輩に伝わるといいなと思った。


 人を馬鹿にするときに良くする、懐かしい目つきは今もそこにある。偉そうに腕を組んで人を批評したがるそのくせも。人には変われっていうのに、自分は可愛いんだから。

 先輩が瞬きをした拍子に、一粒の涙が頬を伝ったような気がした。


 ねえ先輩。どうして私に会いにきたのか知らないけど、私は先輩に会えて嬉しかった。上手く言えないけど、先輩はやっぱり、私の大事な人なんだよ。それは今までも、これからも同じだと思う。

 ごめんね、今まで迷惑かけて。私、ずっと先輩のことが好きだったよ。だけどそろそろ、先輩を卒業しなきゃいけないときが来ちゃったんだと思う。先輩のことを考えたって仕方がないんだってことを、私はもう良く解ってる。

 大人になるってどういうことなんだろうってずっと思ってきたけど。

 先輩を卒業するってことが、私にとっての大人になるってことなんだよ。


 どうか心配しないで。私は一本のギターと、この声だけを武器に、前へ進む。

 これは私だけで切り開いていく、たった一つの道。

 どうして歌を歌うのかって?意味なんてない。

 もちろん、先輩に対する執着からでもないから、安心してね。


 私が歌を歌うのはね、私がこの方法で、生きていきたいからだよ。

 先輩と語り合ったいつまでも続くような夜を、先輩に教えてもらった音楽のおもしろさを、忘れないよ。


 私の体を照らす明るいスポットライトの光が、薄く柔くなっていく。この部屋の中に光の粒子が溶けていく。

 ああ、曲が終わってしまう。名残惜しさに目を閉じて、もう一度だけ。

 きっと私に会いにきてはくれない生真面目な先輩の耳の中に残るように、思いきり弦を弾いた。



 演奏が終わって楽屋に戻ると、私のギターケースの側に忘れな草の花束が置かれてあった。

 ピンクの混じった藍色の中にメッセージカードはなかったけれど、先輩が私にくれたものだとすぐに分かったのは、先輩のことをあれほど愛していた忠犬の嗅覚かもしれない。選ばれたがっている花がひしめく中から、忘れな草を選ぶセンスが先輩らしいと思った。一度大事に思ってしまった人にはどこまでも未練タラタラになってしまう往生際の悪い性格は私とそっくりだ。


 楽屋に居る人々に変な目で見られるのも気にせずに、私は何度もその花弁にキスを落とした。ずっと、先輩にそうしたかったように。

 花束の中に顔を埋めると、少しこそばゆくて、懐かしい匂いがした。


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スポットライトをあびながら ふわり @fuwari

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