第17話


 それからの日々は、よく覚えていない。

 アカリから連絡はなかった。店長からかかってくる電話を無視して、私はバイトを無断欠勤しつづけた。携帯の電源を落として、ひとりぼっちの部屋に引きこもっていると、自分の存在が溶けてなくなっていくような気がした。


 その間何をしていたかというと、何もしなかった。

 私は一日中ベッドの上に居て、仰向けになったり寝転んだり体育座りになったりして、アカリの言っていたことを頭の中で反芻し続けていた。お腹が空いたらコンビニに行って、パンやらおにぎりやらを買ってむさぼるような、そんな生活だった。

 アカリと音楽のない世界の色はどこまでも灰色だった。自分が生きているのか死んでいるのかも分からなかった。このまま誰からも忘れられて、透明になれたらいいのにと思った。


 ある日、そんな日々が終わりを迎えた。

 ごろごろするのにも寝るのにも考えるのにも飽きて、私はテレビをつけた。

 手グセで点けたチャンネルで放送していたのは奇しくも音楽番組で、普段ならバカにするような安っぽくて薄っぺらいJ—POPのシンガーがそこにいた。若くて綺麗なだけが取り柄の喋るお人形みたいなアナウンサーは、「女の子の気持ちを代弁するナンバーです」、と言った。そして演奏が始まった。雲よりも軽いギターの音色だった。


 だから目からあふれる雫に気づいたとき、私はひどく驚いた。

 ハッピーという単語が計20回も出てくる安っぽい歌詞に感動している自分に、アカリの言葉と先輩の亡霊に何処まで深く傷つけられていたのかと正直呆れた。

 私が思い出したのは、新歓のときに見た先輩のギターの音だった。先輩の演奏を聴いて、私の心はたしかに震えた。触れただけでこなごなにこわれてしまいそうな、ガラスみたいな音だった。自己表現なしでは生きていけない先輩が持て余す、波のように満ちては去っていく永遠のような悲しみが、私の胸いっぱいに広がった。深海へつづく絶望的な青い色、その色が眼前いっぱいに広がる。

 動画サイトにアクセスして、もう一度その曲を聴いた。

 好きだと思った。音楽に感動してしまった私の心に、嘘をつくことはどうしてもできなかった。


 だからギターを手に取った。冷たくて柔らかな楽器の感触が、私の手の中にあった。

 一人きりの四畳半のワンルームを見回す。何もない、空っぽの部屋。

 もう一度、ここから始めてみようと思った。


 私は寝食忘れ、ひたすら作曲に没頭した。ギターとレコーダーとにらめっこしながら、メモに音符を書き続けた。自分の中にこれだけの集中力と熱量があることを初めて知った。

 出来上がった曲は、先輩を思う陳腐な愛の歌なんかじゃなかった。

 それは私だった。現実の自分と、なりたい自分とのギャップに足踏みしてばかりいる私を、できる限りの表現をつかってさらけ出した曲だった。



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