第16話
「自分には才能がないってわかったってさっき言ったけど、それだけじゃないよ。バンド抜けようと思った理由」
私は俯いたまま、手のひらを握りしめた。切り忘れた人差し指の爪が突き刺さって痛い。心の柔らかいところを攻撃されるような冷たい気配に身を硬くする。
私の予想通り、アカリは私にひどいことを言った。とてもひどいことを。
1年前のあの冬に逆戻りしたように、心の空洞が広がる。
先輩とアカリの顔が重なる。
目の鼻も口も耳も眉毛も、ちっとも似てないのに、どこか二人は似ている。
私はいつも、似たような人間に依存したがるのかもしれない。
先輩の声が、耳の奥で聞こえるような気がした。
「あたしは、クミさんが重いんだよ。クミさんはなにもせず誰かにひっぱってもらおうとしてる。あたしにはそんなことできない。」
—クミと私の人生は、違うんだよ。どんなに近くたって、私たちは一緒にはなれない。
「前クミさんが話してた、先輩の気持ちがあたしには良く分かる。クミさんはずるい、励ましたりひっぱったりしてくれる人間を探してる。」
—私はクミをひっぱってやれないしクミの前にも立ってやれない。
「本当は歌いたい音楽なんてないくせに」
—クミはさ、音楽がやりたいんじゃなくてあたしといっしょにいたいだけなんだよ。
がくがくと震えだすひざを必死で押しとどめようとする。
私を置いて、アカリは何処かに行ってしまった。慰めの一つもないことに、甘えきった私はまた傷ついていた。上京してから1ミリも成長できていない自分に、痛いほど気づかされる。アルバイトの店員さんが私に水の入ったコップを手渡してくれるまで、私はトイレの前でうずくまって泣いていた。「ありがとうございます」とお礼を言うと、学生らしき男の子は「もう店じまいするんで、外行ってもらえますか」と冷たく言い放った。
胸の前にリュックを、背中にギターケースを背負い外に出ると、吐く息が白かった。涙の熱でぼうっとする頭で右足を一歩外に出すと、寒さに凍ったアスファルトに滑って盛大に転んだ。道行くカップルにくすくすと笑われながら、空から落ちてくるぼたん雪を見上げる。
ぶつけた右膝よりも胸のあたりがずっとずっと痛くて、たまらない。
部屋に帰って、熱いシャワーを浴びた。
身体も拭かないままベッドに座って、カーテンレールにかけっぱなしにしていたマフラーにぼんやりと見つめる。ウールのチェックのマフラー。死んでもいないくせに「形見だよ」なんて言って、ベリーショートの寒々しい私の首に巻いた。犬につける首輪みたいに大事そうに。飼い主のことをいつまでも忘れられないように私を束縛する卑怯な先輩。
呪いは成功したよ、先輩。
もういい加減、私の中から出て行ってくれたっていいじゃん。
マフラーに手を伸ばして、フリンジのついた端を引く。首に巻くと、繊維の毛がちくちくと肌を刺した。先輩の匂いはもうしないはずなのに、懐かしくてたまらなかった。くんくんと犬のように嗅いでいると、性懲りも無く、胸から熱いものがこみあげてきた。疲れるまで泣いて、そのまま眠りについた。泥のように身体が重くなっていて、夢のひとつも見なかった。
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