第15話
10日後の土曜日は、年が明けてはじめてのライブだった。
出演者は顔を見たことのある人ばかりで、派手な衣装を豊満な身体にまとったあんずもその中に居た。雪のせいか客の数は今までで一番少なく片手で数えられる程度で、出演する前から私はため息をついた。アカリの歌にハモりを入れながら、さびしい客席を見、どうして私たちは相変わらず、あるのかないのか良く分からない才能や、売れることがイメージできない音楽にしがみついてしまうのだろうと思った。
ぼたん雪のちらつく道路を滑らないように慎重に歩いた先にある居酒屋で、あんずは以前と同じように輪の中で笑っていた。「この間のレコ発で、有名なレコード会社の人に名刺もらったことがきっかけで、今度デビューが決まったんですよぅ。」舌ったらずに口にする自慢に、は謙虚のけの字もないのに、テーブルを囲む皆が耳を傾けていることが分かった。自分たちと同列の人間だからこそ、つよく嫉妬する。
アカリは私と同じように、苦虫を噛み潰したような顔で籠に盛られた枝豆を淡々と口に運んでいた。団子状態の私たちから頭一つ突き抜けたのがあんずであることが私には信じられなかった。大して可愛くも美人でもないルックス、高音がうまく出ない音域の狭さ、どこかで聞いたことのあるような陳腐な歌詞。それら一つ一つの要素を酒の肴にして、あんずから聞いたことを忘れてしまいたかった。
誰かの特別になりたい。そんな切実な願いを叶えることができるのは一握りの人だけ。選ばれるのは誰もが認める努力家であって欲しかった。そうあるべきだと思っていた。
だから、トイレから戻ってこないアカリを呼びに行ったときに見てしまった光景に私は衝撃を受けたのだと思う。つけまつげを気にしながら鏡の前に立っているあんずの側で、彼女の気を必死で引こうとしているアカリは私の知らないアカリに見えた。
「あんずさぁん、お願いしますよぉ。新しくつくるバンドのギター、考えてもらえませんか。こーみえて私、働き者なんで」
「なーにー?あんた、あたしのことバカにしてたんじゃないの?」
「そんなことないっすよぉ。歌もうまいし声もかわいいし、あんずさんの書く歌詞って女の子の気持ちを代弁してるって感じだし、前からすっげー、そんけーしてたんです」
ふたりの会話に耳をそばだてていると、心臓が嫌な音を立て始めた。あんずのことを悪く言っていたのは、アカリも同じだ。女を売ってる、音楽で勝負してない、歌詞なんてスイーツ未満、そう言いながらふたりで笑いあったあの夜の記憶がはっきりと色を変えていく。
まだわかんないから考えとくね、と言ってトイレから出てきたあんずと目が合う。眉を下げたあんずに、同情するような視線を向けられた。震える足で手洗い場に向かうと、私に気づいたアカリは気まずそうな顔をした。
「今の、聞いてた?」
頷いた私を見て、アカリは後頭部の髪の毛をわしゃわしゃとかき回した。「私を裏切ったの」と口にする声が震えて、バカみたいなことを聞いているなと思った。アカリも私と同じように、そう感じたかもしれない。
「そうじゃないけど。何か、突然、分かっちゃったんだよ。自分には才能がないんだってこと。だから、人に媚びて、サバイバルするしかないってこと。」
達観したようなことを言うアカリを引き留めたくて、体が小刻みに震えた。私から離れてバスに乗ろうとする先輩の背中が脳裏をかすめ、夜行バスの赤色が目の前にちらついた。あの夜に感じた大事なものを永遠に失ったときの痛みを、もう二度と知りたくなかった。
どうして。どうしてみんな、私を置いて、一人で先に行ってしまうんだろう。
「嘘つき。最低。私の時間、返してよ。一緒に頑張るって言ったくせに。私を一人にしないで。アカリなしじゃやっていける自信ない」
矢継ぎ早に泣き言のようなことを口にする私を、アカリは黙ったまま見つめた。かわいそうなものを見るようなふたつの目に、ふつふつと苛立ちが増していく。
頭にある言葉を出し切った私はその内何も言うことがなくなり、肩で息をつくようになった。しばらくして、アカリは重い口を開いた。
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