第14話


 久しぶりに顔を見せに来いという母からのメールがあった。1年ぶりの地元の空気には相変わらず工場地帯特有の煙の匂いが混じっていて、駅のホームに降り立った途端うんざりさせられた。

 東京から約5時間かけて帰省を終えた私は、地元の大学に通い地元で就職し地元の男と結婚した優子との待ち合わせのためにシャッターの閉まった商店街にある焼肉屋へキャリーを引いた。優子は地元嫌いな私が今も連絡を取り続けている唯一の友人だった。


「変わらないねえ、クミは」


 高校生の頃と何も変わらないよという決して褒め言葉にはなり得ないようなそれを聞き流しながら、薄すぎるカルピスを口に含む。爽やかな甘みが肉の脂と溶け合い、口内が唾液で粘ついた。正面で肉奉行に徹する優子のお腹はかすかに膨らんでいて、おぞましいと感じる気持ちを隠しながら「おめでとう」と言った。


 優子はチークで染めた頬をさらに赤くしながら「ありがとう」と返して、ワンピースでカモフラージュしたお腹を愛しそうにさすった。安っぽいメロドラマで繰り返し描かれるような安っぽい幸せに辟易しながら、「うらやましいな」と何の感情もこもっていないような声をかける。

 優子が鈍感でよかったと思うのはこういうときだ。どれだけ適当な対応をしても、それがその人の本心であると素直に受け取ることができる。


「クミはどうしてるの。そういえば、バンドはどうなったんだっけ」

「うん、なかなか上手くいかないけど、頑張ってるよ。五人編成のバンドでね、今度初めてレコ発ツアーするの」

「そうなんだ。順調そうだね」


 音楽といえばJ-popくらいしか聞かない優子は当然、レコ発がどういうライブなのかも知らないのだろう。柔和な笑みを浮かべながら私の近況に興味がないですとアピールしている優子の意を汲み取って、話題を変える。

 同級生の現在や旦那の愚痴、子供につけたいと思っている名前の話。平凡で所帯じみた話題を引き出すたび優子の表情が輝いていく様を見ながら、適当な相槌を打つ自分のことはあまり好きではない。お互いの興味がかみ合わないことをわかっているのにどうして私は、この時間を拒否することができないんだろう。


 高校生の頃は楽しかった。優子の無邪気な話に心から耳を傾けることができた。席を合わせてお弁当箱をつつき、おかずを交換してはしゃいだ。優子の涙を自分のものだと思えるほど深く、目の前の女の子のことを考えられたはずなのに。

 友情にも賞味期限があるのだろうか。こうやって同じ時間を過ごしているのに、一人でいるときよりも寂しさを感じるのはどうしてだろう。向き合っているのにすれ違ってしまう私たちはもう潮時なのかもしれない。そんなセンチな気分で会計をすませると、外には季節外れの雪がちらついていた。


 川沿いの歩道をふたりで並んで歩く。「きれいだねえ」と優子が夜空を見上げると、首に巻いている白いモヘアのストールがふわりと揺れた。


「ねえ、クミ。バンドもいいけどさ、ちゃんと恋愛しなきゃダメだよ」


 だって女はさ、年いくほど人生ハードモードだからねえ。

 卵子もくさっちゃうし、誰にもちやほやされなくなるし、仕事も押し付けられるし、おばさんになることなんていいことなんて何もないからねえ。


 前時代的な女性差別を口にした優子に、私は仰天した。自分を縛る呪いのような言葉を口にさせるのは一体、優子の周りに居る誰なのだろう。ママみたいに優しいお母さんになりたいなあ、と笑っていた高校生の優子の面影はもうそこにはなかった。中途半端に歪んだ下手くそな笑みを返しながら、優子の将来は安泰なの、と聞き返したかった。男に依存しきった人生を歩むことで優子は本当に幸せなの。


 もちろん臆病な私にはそんなことはできず、私たちは駅の改札で別れた。

 これきりになるかもしれないな、ということを多分、私たちはお互いによく分かっていたからかもしれない。なんだか別れがたくて、いつまでも見つめあい、永遠のさよならのように手を振り合っていた。


 正月の帰省客でごったがえしている東京に向かう新幹線の中で、窓ガラス越しに流れていく故郷の田園を見つめた。風に頼りなく揺れるすすきの穂や、廃れたように見えるけれどきちんと機能している無人駅が、私を置いて夜の彼方へ去っていく。

 何も変わらないと思っていたこの土地も、少しずつ変わっているのかもしれない。離れていると気づかないけれど、確実に。私が元居た場所はもう、私が戻ることを許してくれはしないだろう。


 「変わらないねえ、クミは」

 耳に残る優子の言葉が、身体にまとわりついてくるような気がした。

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