第10話


 ざわめく喧騒が、小さな箱の中を包み込んでいる。

 男たちが吐くタバコ混じりのけむたい匂いが鼻腔をくすぐった。私とアカリは並んで二階の手すりに体をもたれかけながら、今日のライブに参加した人々同士が社交する様子を見下ろしていた。差し入れに配られた野菜ジュースのパックにストローを突き刺すと、アカリは深いため息をついた。


 私には、アカリの気持ちが手に取るように分かった。何を感じて、考えているのかも。それくらい、今日のライブの出来は良くなかった。いつもはまばらに鳴る拍手さえ聞こえないくらいに。


 「お疲れさんです」と言ってアカリの肩を叩いたのは、何度か顔を合わせたことのある30代のシンガーソングライターの男だった。豊満な体型、濃いあご髭をしたクマのような見た目に反して、ポップでかわいらしい曲を歌う。彼のステージを見て爆笑していた彼女は、パッと顔を輝かせて「お疲れ様です!」と飛び跳ねるように言った。アカリは目新しいことや、ちょっと変わったものがとても好きだ。


「君たち、良かったよ。僕、何度かライブ見たことあるんだけど、今日は特に感動しちゃった。特に三曲目、エモくていいよね。女の子っぽくて可愛いし」

「マジっすか、ありがとうございます、今日あんまり自信なかったんですっげー嬉しいっす!あ、これ良かったらどうぞ」


 アカリは合皮のバッグの中から私たちの作成した新譜のCDを差しだした。ライブに出る度宣伝したにも関わらず、片手で数えるほどしか購入者がいなかったCDは余ってるなんてものじゃない。ダンボールは、私とアカリが住む部屋に積み重なっている。

 男は大げさに喜んだ。「いいね、このパッケージ」とつぶやくように言った男の目線が、アカリの開いた胸元に寄せられていることに気づく。

 ライブの時はいつも勝負服という名の派手な衣装で臨む彼女は、今日は真っ赤なキャミソールとダメージ加工のされたショートパンツで攻めていた。男の目線は、アカリの大きな胸や細い腰、大胆に露出された太ももをなぞっていく。男が並べ立てる褒め言葉には、アカリや私たちのつくる音楽に対する賞賛のニュアンスは含まれていない。

 男の真意に全く気づかず、可愛い可愛いと言われて本気で照れているバカなアカリの頭を叩きたくなる衝動に駆られながら、私は男をきつく睨みつけた。

 二人から距離をとって、ライブハウスの出入り口の方にある椅子に腰掛ける。ドリングカウンターで受け取ったビールの味はいつもより苦い。私を除くアカリたちバンドメンバーは、一階にある社交場の仲間入りを果たしている。頬杖をつきながら彼女たちの笑顔を見つめていると、目のふちに涙がにじんできた。


 私たちはいつも脇役にしかなれない。

 私たちは誰かの人生を引き立てるスパイスにしかなれない。「可愛い」でごまかされるなにかを、私は突き止めたかった。突き止めて、壊して、自分だけの舞台の主役を張りたかった。それが私の、そして先輩の夢だった。

 はっきりと言葉で示されたことはなかったけれど、そう思う。


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