第9話


「お呼びいただき、ありがとうございまーす。今キテるみなさんと一緒にライブができることを楽しみにしてました。今日はみんなで、素敵な夜を過ごしましょう!」


 茶髪にパーマをきつくかけたボーカルの少年のMCの後、ドラムのシンバルから曲がはじまった。サビらしき部分に差し掛かると、半ば義務のように観客の片手がぱらぱらと疎らに上がる。ステージの陰から今日のライブハウスの入りを覗き見たアカリは、「クミさん、今日珍しく人きてますよ。」とはしゃいだような声を上げた。


*


 深呼吸を繰り返すと、冷たい空気が喉に流れ込んできた。何度舞台に立ったとしても、ライブ前のこの緊張感に慣れることはない。暗くなった舞台の上で、エフェクターとアンプのセッティングを行った。あと数分後には、眩しいくらいのスポットライトが私たちを包みこむだろう。

 目を閉じて、先輩の姿を思い浮かべる。この狭くて小さいライブハウスの中に、多いとは決して言えない観客の中に、先輩が立っている光景を想像する。これはライブ前に行う儀式の一つだった。彼女に恥ずかしくないような演奏をすることが、私にとっての全てだったから。

 演奏がはじまる。アカリのつくった曲は、アップテンポで軽快なメロディが多い。そこに私の書いた暗くて病的な歌詞を加えて、ギャップを狙う。「文学的なテクノポップ」、それが私たちのバンドのウリだった。アカリは「クミさん、それ名案です」と興奮した。ふたりきりの部屋の中、暗闇に一筋の光が差し込んだように、未来への道が開けていく気がした。そのときは、あの頃は、私たちの考えることは新しくて面白くて、人をあっと言わせることに足るものだと楽観していた。

 でも、現実は、そんなに甘くない。一つ前のロキノン系バンドも盛り上がっている訳ではなかったけれど、私たちの演奏はそれ以下だった。誰とも目が合わない。サビになっても、手を挙げる人はいない。毎晩アカリとふたりで顔を突き合わせてつくった曲は、誰の耳にも届いていない。

 ギターを握る手に、冷たくなった背中に、嫌な汗がつたう。


 次第に、アカリのハスキーボイスが聞こえなくなった。ギターのピロピロした高音や、心臓に響くバスドラの低音が、私の耳からどんどん遠ざかっていく。ギターのリフを弾き間違えた。染み込ませるように練習したはずの音が、私の指から滑り落ちていく。ひとりぼっちの舞台が怖かった。


 あの日の先輩の横顔はひどくさびしそうだった。

 誰も助けてくれない。私たちはみんな、舞台の上ではひとりきりだから。


 何をしているんだろう。

 まっすぐに胸に突き刺さるような一つの疑問が、真っ暗な頭に浮かぶ。

 何も考えないように、何も感じないように、封じ込めてきた疑問の一つ。

 故郷を捨てて、東京に来て、誰にも望まれない曲を演奏して。大学に行ったのに、就職もせず、フリーターになって。私、一体、ここで何をしているんだろう。


 何が、したいんだろう。


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