第3話


「でも、ピックの持ちかたが間違ってる」


 先輩は冷たくなった私の指に触れて、ピックの正しい持ちかたを教えてくれた。細くて長い指だった。薬指には木の葉をかたどった銀色のリングがはめられていて、私はその指が弦をなぞる美しい動きをぼうっとなって見つめた。

 そのとき、この人はこういうやり方で何人もの人々を絶望的な恋に落としてきたのではないかという確信に似た直感が、私の体を先輩から引き離した。


「どうしたの」

「あの」

「思いっきり拒否しないでよ。悲しくなっちゃう」

「全然、そんな風に見えないですけど」


 先輩は首をかしげて笑った。一つ一つの仕草が不思議と決まっている。

 その後、先輩が番号を教えて欲しいというので、メールアドレスを震える指で紙に書いて渡した。その晩に届いた簡素なメールから、私は先輩の名前がミナミであるということを知ったのだった。


 ミナミ先輩。ミナミ、という言葉を耳にしたり口にしたりする度、心を閉じ込めるピンクのリボンが簡単にほどけていきそうになるまで、そう時間はかからなかった。先輩はそれくらい、人を簡単に夢中にさせる引力のある人だった。



 【拡散希望】

 3月14日の土曜日、19時からライブします。

 場所は高円寺のライブハウスJAKE。

 そこにいるあなたに見て欲しい。きっと後悔させません。

 チケットまだ余ってるので、希望の方DMください。

 【RT・お気に入り希望】



 テンプレートを少し変えただけのツイートを送信しようとして、少し躊躇する。 

 華金の23時。飲み会関連のつぶやきであふれるタイムラインの中に、このツイートを紛れ込ませるのはしのびなかった。気づけば、卒業してもう一年が経過している。仲のよかった軽音楽部の同期たちは皆、新入社員として毎日に追われていることだろう。空気の読めないやつだと思われるよりも、まだこんな子供っぽいことしてるのか、と思われることの方がずっと辛くて、怖かった。

 卒業する前は彼らのことを見下していた。つまらない仕事に人生を浪費することに後悔はないのだろうかと、本気で不思議に思ったこともある。でも、今なら分かる。普通の人生を歩むのも実は結構大変で、それは決して諦めることでも放棄することでもないのだと。

 数分迷って、結局そのツイートは下書きに保存した。送信されなかったツイートは、雪のように積み重なっている。押しつぶされそうな心の重みはきっと、溶けることをしらない。

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