2.返却

 借りたら返す。それが図書館、図書室のシステムだ。


 尤も、涼月すずつきは借りっぱなしですっかり忘れていて、担任の先生に言われてようやく思い出したのだが。


 借りた本はグループ研究の仲間でもあった友達のところに分散していた。涼月は慌ててそれをかき集め、さっそく返却しにいくことにした。


(延滞に又貸し……本場アメリカから説教が聞こえてきそう……)


 本を抱えて放課後の廊下を歩きながら苦笑する。


 図書室に辿り着くと、今回は何の警戒もなく中へと踏み入った。開室中は常時解放されているドアをくぐると、まずはゲート。


「てりゃ」


 両手で本を抱えていた涼月は、それを一瞬だけ片手で支え、その隙に生徒証で読み取り機カードリーダを叩いた。電子音とともにゲートが開く。


 無事ゲートを抜けると、そのままカウンタ横の自動貸出機へと向かった。機械の前に本を置いて、ほっとひと息。


「って、あれ?」


 前回教えられた通り端末の読み取り機(カードリーダ)に生徒証を読み込ませたところで、涼月は首を傾げた。


 本の返却画面にならないのだ。


 自動貸出機と言われたが、それは通称みたいなもので、当然返却もできるものだと思っていた。だが、最初の画面にも生徒証を読み込ませた後も、返却を選択する工程はなかった。いま出ているのは貸出の画面だ。


 試しに資料のバーコードを読み込ませてみたが、『延滞資料です。期限延長はできません』と出た。どうやらすでに借りている資料を読み込ませると、貸出期限の延長ができるらしい。尤も、涼月の場合はすでに延滞していて、延長は認められなかったようだが。


 涼月はあたりを見回してみた。が、目当ての人物の姿はなかった。それどころかほかの図書委員もいない。カウンタはいつも通り無人。


 涼月は途方に暮れた。


 ここにくると必ず途方に暮れるなぁ、と思っていると、書架側からようやく涼月が唯一知る人物――『図書室の怖い番人』が出てきた。


「……」


 声をかけようと思ったが、何と呼びかけていいか迷った。実はというべきか、当然のようにというべきか、例の噂に付随するかたちで彼の名前は知っていた。だが、噂で知った名前を呼んでいいものか。


「あぁ、返却か? だったらカウンタに置いとけばいいよ。後で僕がやるから」


 そうこうしているうちに彼のほうもこちらに気がつき、素っ気なくそうおしえてくれた。


「あ、はい……」


 後で知ったことだが、やはりこの機械で返却もできるらしい。しかし、そうできないように設定しているとのこと。返却はカウンタの端末で図書委員がするのだ。


 涼月は言われた通り、自動貸出機からカウンタへと本を移動させた。


 そうしてから改めて向き直ってみると、彼はすでに前と同じ席に座って、頬杖を突いた姿勢で本を読みはじめていた。


「……」


 用は済んだ。だが、このまま帰るべきか迷う。じっとその姿を見ていると、不意に彼は何かに気がついたように顔を上げた。


「期限、過ぎてたんじゃないか?」

「え? あ、はい……」


 涼月は答えておいて、さっきから「はい」ばっかりだなと思った。


「返却期限はちゃんと守るように」

「……」


「はい」しか言わない自分に嫌気がさして黙っていると、今度は注意されても返事をしない生意気な生徒になってしまった。


 だが、彼はそんな涼月の態度を気にした様子はなく、再び本に視線を落とす。


「……」


 涼月は、今度はそばまで寄って、黙って横に立った。何となくこちらから声をかけたら負けのような気がしたのだ。だが、彼はいっこうに涼月に目を向ける素振りを見せない。……ダメだ。これはこういう生きものだ。涼月はプライドが傷つくのを感じながら口を開いた。


「あの、先輩ってもしかして全員の返却日を覚えてるんですか?」

「まさか」


 と、彼。


「基本セルフなのに、個々人の返却期限なんて僕には知る由もないよ」

「あ、それもそうか」

「でも、目立つやつや印象に残るやつは覚えてるな」


 そこで彼はようやく顔を上げた。


 椅子の背もたれに体を預け――どうやらテーブルの下の見えない部分では腹の上で指を組み合わせ、足も組んでいるようだ。そうして見上げてくる。えらそーな態度、と涼月は思った。


「その点では君は不運だったと言える」


 かすかに苦笑する彼。


「むー」


 涼月はむくれる。

 だが、言い返せない。貸出の仕方がわからず彼に世話になったのは涼月だし、初めてにも拘わらず派手に延滞したのも事実だ。


「次からは気をつけるように」

「わかってますよーだ」


 涼月は、ふん、とかわいく鼻を鳴らして、勢いよく踵を返した。そうして図書室を出ようとして――今日もまた足を止めた。


「先輩、名前教えてください」


 振り返って尋ねる。

 彼はまだこちらを見ていた。今の一連の子どもっぽい行動を見られていたと思うと、少し恥ずかしくなる。




「藤原マ太郎」

「嘘ですよね?」

「もちろん。嘘に決まってる」




 彼はあっさりと認めた。


「どうせ僕の噂はすでに聞いてるだろうし、名前も知ってるんだろう?」

「ええ、まぁ」


 涼月は曖昧にうなずく。


「だったら、君が知ってるそのその名前であってる」

「むー」


 涼月は再び不満げな声を上げた。どうにもさっきから見透かされてばかりいる気がする。


「そういう君は『涼月ちゃん』。……だろ?」

「え? わたしのこと知ってるんですか?」


 思わぬひと言に涼月は目を丸くする。


「そりゃあそうさ。新入生にかわいい子がいれば話題にもなる」


 そう言って彼は楽しそうに笑った。


(なんか意外……)


 それを涼月は少し呆け気味に見ていた。

 いつもこんな利用者の少ない図書室で本を読んでいるから、てっきりそういうことには無関心なのだと思っていた。でも、こんな部分もあるらしい。


 とは言え、やっぱりその姿は『図書室の怖い番人』には不似合いだった。

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