図書室には怖い番人がいる
九曜
1.貸出
『図書室には怖い番人がいる』。
その噂は新入生である涼月(すずつき)も聞いたことがあった。
話は放課後、友達数人とグループ研究の課題に取り組んでいたことに端を発する。
「やっぱさ、もうちょっと資料が必要じゃない?」
最初は順調だったそれが行き詰りかけたところで、ひとりがそう提案した。
「じゃあ、図書室かなぁ?」
涼月が何気なく応じる。
「図書室?」
「うん、図書室」
至極常識的な解決法を提示したつもりだったのに、だが、なぜか問い返されてしまった。
急に自信がなくなってきた。調べものなら図書館、図書室というのが我が家の常識なのだが、普通は違うのだろうか、と。
どうもみんなピンときていない様子だ。
「あ、そうだ! 図書室って言えばさ、あの噂、知ってる?」
「知ってる知ってる」
「「 『図書室の怖い番人』! 」」
涼月は何のことかわからなかったが、口をはさむ間もなくすぐに答えが示された。
友達ふたりは互いを指さしながら口をそろえてそう言い――その噂の内容が原因なのか、それともこうして声がユニゾンしたからか、可笑しそうに笑い出す。
「ああ」
その噂なら涼月も耳にしたことがあった。
曰く『図書室には怖い番人がいる』。
「なんかすっごい不良なんでしょ?」
「そうそう。このへんじゃ知らないものはないってくらいの」
「へぇ」
詳しい内容までは知らなかった涼月は、初めて聞く話に相づちを打つ。……マンガみたいだ。やはりこのあたり一帯をシメていたりするのだろうか。なかなか興味深い話だ。
「しかも、女の子とっかえひっかえしてんだって」
「あ、それも聞いたことあるー。1年の女子でもひどい捨てられ方した子がいるんでしょ?」
「そうなの!? 誰、誰?」
「さぁ。あたしも友達から聞いただけだから」
思ったより具体性のない話のようだ。でも、まぁ、噂なんてそんなものか、とも思う。そもそも楽しければいいみたいな部分がおおいにあるのだ。
そうして話は盛り上がっていく。
さて、一緒になってグループ研究の課題に向かい、今は噂話に華を咲かせているこのメンバーは、普段から仲のよい友達同士でもあった。
その中で涼月は周りよりも頭ひとつ抜けた容姿をしている。おそらく真っ当な感性の持ち主なら、十人が十人ともかわいいと評することだろう。
母親譲りの緑の黒髪はセミロング。ストレートだが毎日丁寧にブラシを通しているので、朝はナチュラルメイクと合わせて1時間近くかけている。ただ、本人としては、きれいと言われて悪い気はしないが、染めるか何かしたいと思っていた。黒髪はあまりかわいくないのだ。
そんな容姿に加えて帰国子女で英語も話せるとなれば、注目されないはずがなかった。
「でも、なんで図書室?」
と、涼月が疑問を口にする。
そんな女ったらしで不良が、なぜ図書室にいるのだろう。もしかしてほかにも不良仲間がいて、たまり場になっていたりするのだろうか。
「さぁ? あ、でも、図書室のお金で好き放題してるってもっぱらの噂だよ」
「うわぁ、なんかいよいよガチっぽい」
そうしてまたみんなで可笑しそうと笑い出す。
「じゃあ、ジャンケンで負けたら、ひとりで図書室に本を借りにいくってことでー」
§§§
涼月は今、図書室の前に立っていた。
言うまでもなく、先のジャンケンに負けたからだ。
「本当にいたらどうするのよ」と抗議の声を上げたのだが、「負けてから文句を言わない。大丈夫だって。ちょっと中を覗いて、危なそうだったら帰ってきたらいいから」とのこと。完全に肝試しのノリだ。
「えっと、生徒証がいるんだっけ?」
図書室を入ると、まずはゲートがあった。生徒の入退室管理と資料の無断持ち出しの防止を兼ねたものだ。
涼月はスカートのポケットから裸の生徒証を取り出すと、読み取り機に軽くそれを当て、開いたゲートから中に踏み入った。
やや警戒の眼差しで室内を見回してみる。
放課後は生徒の自主学習のために開放されているはずだが、しかし、閲覧席には利用者の姿はまばらだった。放課後に学校で勉強しようという生徒が少ないのか、それとも周知がされていないのか。もしかしたら『図書室の怖い番人』の噂のせいかもしれない。
そして、
「誰もいなくない?」
ゲートを入ってすぐのところにあるカウンタにすら、人の姿はなかった。近くに寄って中を覗いてみれば、端末があったり資料が積み上げられたりしているのだが、やっぱり無人。『図書室の怖い番人』はおろか、図書委員もいない。
「まいっか」
しかし、涼月はひとりそうつぶやくと、閲覧席を抜けて書架へと向かった。
閲覧席があのような惨状なので、書架は推して知るべし。完全に人気(ひとけ)の絶えたそこで、涼月はグリム童話の初版訳や完訳本などを数冊ピックアップした。どれもグループ研究に必要なものだ。
それらを抱えて戻ってきて――そこでようやくひとつの問題に気がついた。
「どうやって借りたらいいかわからないんですけど……」
思わず途方に暮れる。
普通は貸出カウンタで処理をしてもらうものではないだろうか。少なくとも中学のときはそうだった。あまり利用はしなかったけど。だが、見ての通りカウンタは無人。これでは借りようにも借りられない。もしかして貸し出しはしていない図書室なのだろうか。
と、そのときだった。
「貸出ならそっちの機械だよ」
「え?」
急に声をかけられて振り返れば、そこにひとりの男子生徒がいた。端正な顔立ちだが、全体的に色素が薄いようで、瞳は鳶色、髪は茶色がかっている。
彼の後ろには閲覧席があり、そこには一冊の本が読みかけの状態で伏せられていた。どうやらさっきまでそこに座っていたらしい。思い返してみれば、確かに涼月がこの図書室に入ったときから、彼はそこにいた。気だるげな、ともすれば傍若無人にも見えるような、頬杖をついた姿勢でページをめくっていたのを覚えている。
「えっと、そっちの機械っていうと……」
「そう。カウンタの横に2台あるそれだな」
確かにある。
モニタ付きのよくわからない機械が2台。
「……」
よくわからないが故に、涼月はそれを黙ってじっと見つめてしまった。
「うちは自動貸出機を使ってるから、貸出はセルフなんだ。……まずは
「え? あ、はい」
一瞬何のことかと思ったけど、すぐに彼が使い方を説明してくれているのだと気がついた。涼月は言われた通りにする。
「画面に自分の情報が出てきたな?」
「……出てる」
上部に涼月の名前、学年、クラス、6桁の学籍番号が並んでいる。だが、画面の大半を占める表のような部分には何も表示されていない。この欄は何なのだろうか。
「下は借りている資料が表示される部分だ。その様子だと初めてここにきたんだろうから、今は何も出てなくていい」
まるで涼月が考えていることを読んだかのように、彼は説明してくれた。
「じゃあ、次はバーコードリーダに資料のバーコードを読み込ませる」
「……」
何もかもが初めてのことで、涼月はただただ黙って指示に従う。と、画面に次々と資料名が表示されていった。資料名と著者名、それに数字が2種類ほど。この数字は請求記号と登録番号だっただろうか、と不確かな知識で思う。
「それで貸出は完了だ。もう持って出ていいよ。これをしないとゲートでアラームが鳴るから、気をつけるように」
「あ、はい。ありがとうございます」
「じゃあ、次からはひとりでできるな」
そう言うと彼は踵を返し、もといた席に戻っていった。
「……」
呆気にとられる涼月をよそに、再び頬杖をついて読書を続行しはじめた。その姿はやはり気だるげであり、どこか傍若無人にも見えた。
涼月はそんな彼に背を向け、図書室を出ていこうとして――足を止めた。おそるおそる彼のそばまで寄っていく。
「あの、先輩って――」
「図書委員」
彼は視線を本に落としたまま、間髪容れず言葉を重ねてくる。
「あ、うん。そんな気してた……」
聞きたいのはそこではない。だが、果たして聞いていいものかどうか。聞くにしても何と言って聞けばいいやら。
と、言葉に困っていると、彼は、パタン、と本を閉じた。
そして、顔を上げ、涼月を見上げる。
「お察しの通り、僕が『図書室の怖い番人』だ」
§§§
「おかえりー、涼月」
本を数冊抱えて教室に戻ると、待っていた三人が出迎えてくれた。
教室を見回してみれば、ほかにもいくつかのグループがいた。みんな課題を進めるために残っているのだ。
「どうだった?」
「何冊か見繕って借りてきた」
涼月は手に持っていた本をどっさと机の上に下ろした。
「じゃなくてー」
しかし、涼月のこの返事では不満だったらしく、文句が飛んできた。
「ん?」
「『図書室の怖い番人』」
「ああ」
そう言えば、そんな話もあったなと思い至る。
「……」
確かにいた。それを自称する生徒が。だが、本当に彼なのだろうか。お世辞にも怖いとは言えなかったし、行く前に聞いたばかりの噂とはぜんぜん違っていた。ただ単に懇切丁寧に図書室の使い方を教えてくれた優しい上級生だった。
もし本当に彼が『図書室の怖い番人』だったら、少し拍子抜けだ。
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