3.リクエスト

「聞いて聞いてっ」


 と言ったのはいつもの友達グループのひとりで、時間は昼休み。みんなでお弁当を食べているときだった。


「『図書館の怖い番人』の話、また仕入れてきましたー」

「なになに?」


 応じるのは、さらに別の友人。

 でも、少なからず興味のあった涼月も、思わず身を乗り出した。


「やっぱね、中学のときから荒れてたんだって。先生も殴ったって話」

「ほんとっ!?」

「ほんとほんと。あまりに手が負えないんで担任が3回変わって、最後は学校で一番怖い体育の先生になったんだって」


「因みに、パンチパーマ」と付け加えると、全員ぶっと噴き出した。


「いるいる。うちにもいた。学年主任の野瀬先生。パンチパーマだった。必殺技は野瀬パンチ!」


 見事なダブルミーニングだ。


「あとさ、中学ンとき『販売』ってなかった? 週に一回、学校指定のものを業者が売りにくるの」

「あったあった」


 残念ながら、去年までアメリカにいた涼月には馴染みがなかった。聞けば、制服のブラウスや体操服、上靴といったものを、週に一回や隔週で業者が販売するのだそうだ。


「それのお金、盗ったんだって」

「うっわー。もう人殺し以外なんでもありって感じ?」

「うん。でも、殺してないって保証もないよね」

「さらっと恐いこと言わないでよー」


 そう言って皆で笑い転げる。


「あ、そうそう。女癖が悪かったのもそのころからみたい」


 脱線気味の話がもとに戻った。


「何があったのか知らないけど、当時つき合ってた女の子が引っ越しちゃったんだって」

「えーっ!?」


 確かに先日涼月は、かわいい女の子の情報はちゃんと仕入れている、といったようなことを例の先輩が言ったのを聞いている。女癖の悪さ故だろうか。自分も気をつけたほうがいいのかもしれない。





                  §§§





 放課後


「涼月ー、今日どこ寄って帰るー?」


 終礼が終わるなり、さっそくお誘いの声。


「ごめん。今日は行くとこあるから、パス」

「バイト?」

「じゃないけどね」


 そもそもバイトではなく、単なる手伝いだ。涼月にはアメリカから単身日本に帰ってきて、ずっと世話になっている家族がある。そこが喫茶店を経営しているので、世話になっているお礼に週に何回か店を手伝っているのだった。


 涼月は鞄を引っ掴むと教室を飛び出した。


 向かった先は図書室。目的地に着くと、先日からパスケースに入れることにした生徒証を取り出した。交通カードと重ならないように二つ折りのパスケースを広げながら、その生徒証で読み取り機カードリーダを叩いた。


 ゲートを抜け、彼――『図書室の怖い番人』を探すが、


「あれ? いない」


 いつも傍若無人な読書姿勢で座っている閲覧席にその姿はなかった。どこに行ったのだろうか? 配架? それとも今日は休み?


 と思っていると、




「何か用か?」




「おおぅ」


 不意を衝くようにして声をかけられ、涼月は飛び上がった。人はいないものと思い込んでいたカウンタからだった。


「あ、いた。藤原マ太郎」

「違うけどな」


 彼だった。

 カウンタの中、本が積まれたいくつかの山の向こうで、端末に向かってキィボードを叩いている。


「もしかしてセンパイ、仕事してます?」


 図書委員であるにも拘らず、いつも閲覧席で本を読んでいて、返却処理や配架が仕事だと言っているが、それをしているのを涼月はまだ見たことがなかった。その彼が、今はカウンタの中で仕事をしているように見える。


「そりゃあ、図書委員だからな。仕事もするさ」


 彼は涼月のほうを見ずに答えた。


 その態度に涼月は少なからずむっとした。わたしのことかわいいと言ったんじゃなかったのかよ。少しはこっち向けよ、と。


「尤も、今はしてないが」

「……」


 おい、と思う涼月。


「じゃあ、何してるんですか?」

「リクエストを書いてる」

「え? 購入希望って生徒も出せるんですか?」

「高校の図書室で生徒が出せなくてどうする」


 彼は苦笑。だが、それでも指は打鍵を続けている。


「それにしても――リクエストと聞いて、すぐに購入希望とわかるあたり、意外によく知ってるな」

「え? ええ、まぁ、ちょっと……」


 涼月は誤魔化すように、曖昧に笑った。

 それから話題を逸らすように次句を継いだ。


「リクエストしたら何でも買ってもらえるんですか?」

「選書会議で通ればな」

「おおっ」


 思わず目を輝かせる。


「理由がいるけど」

「ぐえぇ」


 そして、今度は一転して情けないうめき声をあげた。


 そこで彼は作業が一段落ついたのか、キィボードを叩いていた手を止め、涼月へと向き直った。座った姿勢から見上げてくる。


「コツは、理由欄で自分以外の生徒にも有用であることを強調することだな」

「……」

「どうした?」

「いや、センパイってお父さんに似てると思って」

「僕はそんなに老けてない思うんだがなぁ」


 彼は少しショックを受けたように天を仰ぎ見た。


 もちろん、容姿の話ではないのだが。


 実は涼月が彼をじっと見つめてしまった理由はもうひとつあった。それは本の山の向こうで講釈する姿が、意外に様になっていたからだ。やはりそういう意味でも父に似ていると思った。


「で、僕に用があるんじゃなかったのか?」


 彼は本題を促してきた。


「あ、そうだった。えっと……」


 涼月は確かに彼に用があった。用があって、ここまできたのだ。しかし、いざその段になると聞い淀んでしまった。


 そんな涼月を見て、彼は何かを察したように鼻を鳴らして笑った。


「おおかた僕の噂について、というところだろうな」

「む」


 見透かしたような彼の言葉に、思わず眉根を寄せる涼月。だが、事実だった。

 仕方なく意を決し、話を切り出した。


「センパイの噂、聞きました。本当なんですか?」

「さて、僕の噂なんていくらでもあるからな。どれのことやら」


 どこか楽しげに言うと、彼は腹の上で指を組んだ。その姿が涼月には「何でも聞いてくれ」と言っているように見えた。ここまできたら遠慮は無用かもしれない。覚悟を決める。


「センパイ、中学のとき先生に手を上げたって本当ですか?」

「そんな事実はないな」


 彼はあっさりと即答した。


「ただ、突っかかったことはある。詳しい話は省くが、あるとき先生がクラス全体に向かって、たるんでるだの怠けているだのと言って、怒鳴り散らしはじめてね。それがあまりに理不尽だったんで、僕が言い返したんだ。なかなか壮絶な言い合いだったな」


 そのときのことを思い出したのか、彼はくつくつと笑った。


 その後、学年主任の先生の仲介で話し合いの場が設けられ、すべて先生の勘違いであったことがわかったらしい。先生はクラスに謝罪し、一件落着、とのことだだ。


「つき合ってた女の子が引っ越ししたってのは?」

「お恥ずかしい話、僕はまだ女の子とつき合ったことがなくてね。でも、仲がよかった幼馴染みが引っ越したのは確かだな」

「センパイがフッたんですか?」

「なんで子どもの失恋で、家族が引っ越すんだよ。単に父親の仕事の都合だよ」


 彼は一笑に付した。


「じゃ、じゃあ、えっと、販売? のお金を盗ったっていうのは?」

「そんな衆人環視のもとで盗めるなら、僕は怪盗業で喰っていけるな」

「……」

「……」


 思わず言葉を失くす涼月。

 この調子ではほかにいくつか聞いた噂について問い質しても、悉く否定されそうだ。


「だったら、なんでこんな根も葉もない噂が広まってるんですか!?」

「静かにしろよ。ここは図書室だぞ。……そりゃあ、僕が去年先生を殴って停学になったからだろうな」


 こともなげに言ってのける彼。


 涼月は今度こそ唖然呆然とした。


「ま、きっかけはそこだろうな。そこから昔の話が面白おかしく脚色されたり、あることないことひっついてきたりってところか」


 つまり、事実無根。

 いや、まったくの無根拠というわけでもないのか。先生に手を上げたことは確かなようなので。


 しかし、彼は愉快げに笑っている。




「でも、いったい何が――」

「涼月」




 噂が本人に否定された今、涼月の興味はそのきっかけとなる出来事に移った。だが、それを聞こうとした矢先、言葉は彼によって遮られた。


「それは聞かないでくれ。たぶん少し聞いて回ればわかると思うけど、できればそれもやめてほしい。頼む」

「え? あ、はい」


 真剣な声に気圧されるようにして、涼月はうなずいた。


「悪いな」


 彼のいつもの飄々とした笑顔はすぐには戻らず、その中間のように薄く笑う。


「……」


 ここにきて噂の真偽はわかった。嘘もあったし、本当もあった。でも、なぜかわからないことが増えた気がする涼月だった。

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