スノードロップ

せり

1 猫たちの集い


私はこの男が好きだ。少し長めの前髪も、撫肩で猫背の姿勢も、笑うと目尻が下がるところも、細く骨ばった手も、目の下にある可愛いほくろも、全部全部愛おしい。梓は膝の上で眠っている男の寝顔を見てそう思った。男の前髪がするりと落ちた。可愛いほくろが現れる。梓が指先でそのほくろを押すと、男は反射的に目を開け、夢と現実の境を行き来し始めた。


「駿、おはよう」


梓が声をかけると、男はゆっくり体を起こした。そしてじっと梓の目を見つめ焦点を合わすと、優しくキスをした。身体がふわふわする。


「おはよう。ごめんね、気づいたら寝てた」

「いいの。気持ちよさそうに寝てたから」


駿とは付き合ってもうすぐ半年になる。二人は駿が働いている古本屋で出会った。探している本がなかなか見つからず、ここになかったら諦めようと考えていたら


「お客様、こちらでよろしいでしょうか」


と、駿が持ってきてくれたのだ。店員だから客に丁寧に接するのは当たり前なのだが、駿は特に丁寧だった。きちんと目を見て話すところも、優しく微笑むところも、本を手渡すときの手も。温かくて優しい、猫みたいな男だと思った。


「店員さん、下のお名前は何て言うんですか」


彼の名札にはゴシック体で 間宮 と書いてある。


「シュンです。間宮駿」


それは甘美な響きだった。学校でも何人か同じ名前の男子はいたはずだが、彼らとは全く別の何かがあった。そして私は気づいたら告白していた。


「一目惚れしました」


自分でも驚くほど冷静な、淡々とした声だった。何故か今伝えなければいけないような気がしたのだ。途端に恥ずかしくなったが、一度口に出してしまったものは無かったことにはできない。


「はは、まいったな。僕は君の名前も知らないよ」


教えてくれるかな、と彼は言った。やはり優しい声だった。


その日から梓は毎日駿のいる古本屋に足を運んだ。他愛もない話をし、一冊だけ本を買う。そんな日々が続いた結果、恋人関係になった。駿は22歳、私は17歳。周りから見ればおかしな関係なんだろう。梓は早く、大人になりたかった。大人になって、自由を手にする。そうしたら駿と二人で何処か遠くに逃げよう。誰にも邪魔されない場所。でも駿は大人なのに、自由に見えない。


「梓、またお母さんと喧嘩したの?」

「いいえ。駿に会いたかっただけ」


駿は私が会いに来た理由を必ず知りたがる。会いに来るのを嫌がっているわけではなさそうだが、少し傷つく。


「駿は私に会いたくないの?」

「まさか。いつも梓と一緒にいたいよ」

「じゃあ泊まってもいい?」

「駄目だよ。ちゃんと帰らなきゃ」


駿は真面目だ。私がまだ子供だから、絶対に泊めてはくれない。私が母親と二人暮らしをしているから家にいても寂しいだけだと言っても、7時には必ず家に帰らせる。駄々をこねても困った顔をするだけ。もう一つ言えば、駿は私を抱かない。途中まではしてくれても、それから先はしてくれない。


「私がまだ子供だからしてくれないの?」

「君が大事だから、壊したくないんだ」


駿は真面目だ、真面目すぎる。私は駿と二人で一緒に気持ちを共有したいのに。私が駿を必要とするように、私も駿に必要とされたい。一緒に溺れてしまいたい。私はどうしようもなくこの人が好きだ。


橘 瑞樹という男は私にとってなくてはならない存在だ。梓と瑞樹は高校からの友達で、何の縁か今年のクラスも同じである。二年生になってもう3ヶ月が過ぎようとしているのに、瑞樹以外の人とまともに話していない。私はそれを別に悪いことだとは思っていない。もともと人と関わるのは面倒だし、恋人さえいれば十分だと思っている。それでも寂しいときは瑞樹を頼る。瑞樹は一人暮らしをしていてよく私を家に呼んでくれる。家に帰りたくないと言えば泊めてくれる。一緒に眠りたいと言えば眠ってくれる。瑞樹は優しい。私が眠りにつくまでずっと背中を撫でていてくれるし、私が泣き出したら泣き止むまで抱きしめてくれる。どうしてこんなに優しくしてくれるのか分からないが、私は瑞樹の優しさに漬け込んでいる。性格が悪いのだ。



「今日も駿さんに追い返されたの?」


私は今日も当たり前のように瑞樹の家に来ている。


「まあね。でも追い返されたんじゃないわ。駿が私を大事に思っているからこその行動よ」


なんと惨めな言い分だろう。自分で言っていて虚しくなる。本当にそうだろうか、駿の愛情なのだろうか。


「駿さんは優しいんだな」

「瑞樹も優しいわ」


そう言うと瑞樹はふわっと微笑んだ。微笑むのにこの表現はおかしいかもしれないが、本当にふわっと微笑むのだ、この男は。


「今日も泊まってく?」

「瑞樹が嫌じゃなければ」

「俺が嫌だって言ったこと一度でもあった?」

「いいえ、ないわ」


私たちは笑った。私も瑞樹も寂しい人間だ。だからこそお互いに寂しいと側にいたくなる。抱きしめたくなる。泣きたくなる。梓は瑞樹のために夕飯を作った。瑞樹はいつも美味しそうに食べてくれる。そのあとお風呂を沸かし、別々に入った。瑞樹が入っている間に梓が食器を洗う。梓が入っている間に瑞樹が布団を敷く。そして一緒に眠る。


私たちはそうやって生きている。

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スノードロップ せり @hi_372

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