(8)魅惑的な響き

 夜遅く、ルセリアが暮らす屋根裏部屋に唯一取り付けられている明かり取りの窓を、サイラスが軽く叩きながら室内に声をかけた時、傾斜している天井を見上げたルセリアの反応は、至極もっともなものだった。

「今晩は」

「ええと……、どちら様でしょうか?」

 困惑と警戒の色も露わに問いかけてきた彼女に気を悪くする事無く、サイラスは静かに名乗る。


「こんな時間にこんな所からの訪問で申し訳ないが、俺はエルセフィーナとイーダリスの友人のサイラスと言うんだ」

「お二人の?」

「ああ。彼らに頼まれて、君への伝言と品物を預かって来たので、部屋に入っても構わないだろうか?」

 夜である上に女性の部屋である事もあり、サイラスが礼儀正しく入室の許可を求めると、ルセリアは漸く我に返って、慌てて鈎棒で窓の留め金を外した。


「はい、狭くて申し訳ありませんが、どうぞお入り下さい」

「失礼します」

 そして開けた窓から室内に飛び降りたサイラスは、前回のソフィア同様室内の狭さと貧相さに眉を顰めたが、それに関しては何も言及しなかった。その代わりにさっさと話を済ませるべく、腰に提げてあった小さな布袋から、掌サイズの鏡を取り出して起動させる。


「それではまず、身分証代わりにこれを見てくれ。ケール・リ・スレム…」

 そして鏡を乗せた手をルセリアの方に差し出すと、その上部にソフィアの映像が浮かび上がった。


「こんばんは、ルセリア。私が直接出向けなくて、ごめんなさいね。こいつはサイラスって言って、こんな見た目でも身元ははっきりしている凄腕の魔術師なの。だから心配しないでね?」

「『こんな見た目でも』って何だよ、おい……」

 いきなりソフィアの映像が出て来てルセリアは少し驚いたが、ソフィアの話を聞いたサイラスがボソボソと文句を言っているのを聞いて、思わず笑ってしまった。それで緊張が解れたらしい彼女は、落ち着いて話に聞き入る。


「それで今回サイラスに、この前会った時に話した、結婚式の時に使う薬を持たせたの。微妙な物だから、調整に手間取ってしまってごめんなさい。使用法とか注意事項に関しては、万が一の時の為に文書に残しておけないのでサイラスが口頭で説明するから、頭に叩き込んでおいてね? それじゃあ、神殿で会えるのを楽しみにしているわ」

 そこで前触れ無しに映像が消えた鏡を元通りしまったサイラスは、次に懐から掌に握り込める位の小さな薬瓶を取り出した。


「それで、今話に出たのがこれなんだ」

「これですか……」

 神妙な面持ちでそれを受け取り、無言で見下ろしているルセリアに、サイラスは一応尋ねてみる。

「物が物だしな……。どうする? 止めるか? それならステイド子爵家の方には、俺が伝えるが」

 しかしその問いに対する彼女の答えには、微塵も迷いが無かった。


「いえ、一度決めた事は、最後までやりきってみせます。それにエルセフィーナ様にも言いましたが、この家に未練はありません」

「よし、じゃあそれの使い方と、再度当日の段取りについて説明するから」

 そして一通り語り終えたサイラスは、ルセリアに復唱させてから満足そうに頷いた。


「よし、きちんと理解できているな。後は、明後日の式を待つばかりだ」

「はい、サイラスさんにはご面倒おかけしました。そういえばこの前の騒ぎは、やはりエルセフィーナ様が見つかって、家の者に追われたんですよね?」

 心配そうに尋ねてきたルセリアに、サイラスは苦笑いで答えた。


「ああ。それで今回は大人しくしてろと周りから諭されて、代わりに俺が出向く事になったって次第だ」

「そうでしたか。それでは怪我などはされなかったのですか?」

「ああ、ピンピンしてるから、心配しないでくれ。それじゃあ、俺はそろそろ失礼する」

「はい、ご苦労様でした」

 安堵した様に笑顔になって、頭を下げて送り出してくれたルセリアに、サイラスもソフィア同様好感を覚えた。


(うん、良い子じゃないか。イーダリスはなかなか人を見る目があるな)

 すでにその思考が兄馬鹿のそれになりかかっていると、サイラスは全く自覚していなかった。


 それから無事にステイド子爵家に帰り着いたサイラスは、ソフィアの姿を探して首尾を報告した。

「ソフィア、ルセリア嬢に例の薬を渡してきたから。使い方もファルドさんから聞いた通り、しっかり説明してきたし」

「ありがとう、助かったわ~。怪しまれなかった?」

 それに彼女は笑顔で礼を述べつつも、若干心配そうに問い返す。


「普通に考えたら、夜中に屋根裏部屋に忍び込む輩なんて、怪しんで下さいと言ってる様なものだろ。やっぱりソフィアの録魔像を持参して、正解だった」

「そうでしょうね。それで? 実際に薬を渡したら、怖じ気づいたとかは?」

「その心配も不要だな。とっくに覚悟を決めてる顔だ。よほどルーバンス公爵家に愛想を尽かしてるらしいな」

 呆れ気味に告げたサイラスに、ソフィアは苦笑いして話題を変えた。


「今回はそれは私達にとっては、不幸中の幸いだったけどね。ところで、神殿から一番近い医者とか、棺桶屋は調べて来てくれた?」

「ああ。どっちも明後日神殿で騒ぎが起こり次第、駆けつける様に日中暗示をかけてきたから、安心してくれ」

「後から調べられたら、不審に思われないかしら?」

「どっちも突発的な事で急いで駆け付けるわけだから、呼びに来た人間の人相風体がうろ覚えでも、別におかしくはないだろう?」

「確かにそうね」

 そこで二人で顔を見合わせて苦笑いしてから、思い出した様にソフィアが言い出した。


「それじゃあ、明日は朝一で、ハリード男爵領の男爵邸と魔導鏡回線を繋いで頂戴。今回の事で、ディオンさんを介してハリード男爵に骨を折って貰ってるけど、両親がまだ色々打ち合わせする事があるって言ってるから」

「両親?」

 ここで怪訝な顔になったサイラスを見て、ソフィアは重大な事をサラリと告げた。


「ああ、言い忘れてたわ。サイラスが外に出ている間に、明後日のイーダリスの結婚式の為に領地から出て来た両親が、ここに到着したのよ」

「どうしてそれを早く言わないんだ!?」

 さすがに顔色を変えたサイラスだったが、ソフィアは怪訝な顔で事も無げに言い返す。


「え? だって赤の他人のサイラスに、一々言う必要無いじゃない。遅くに到着してバタバタして、まだ休んでいない筈だから、この際ついでにサイラスの事を『この件で色々手伝って貰ってる人』だって紹介するわ。ほら、付いて来て」

 そう言ってソフィアが強引に手首を掴んで歩き出した為、サイラスは狼狽しまくった。


「こら、ちょっと待て! いきなり両親と対面なんて、心の準備が!」

「私の両親にちょっと顔を見せるだけで、どうして心の準備が要るのよ。ほら、他にも色々する事があるんだから、時間が勿体ないわ。さっさと来なさい!」

 そして問答無用で引きずられていくサイラスを目撃した者達は、彼を憐憫の眼差しで見送った。


「お嬢の奴……、サイラスが正体を明かしてから、こき使ってんなぁ……」

「彼の事を、シェリル殿下から派遣されてると思い込んでますからね。殿下から正当な報酬を貰うから、自分は全く支払い義務は無いと。それで殿下への恩は、これから仕える事で、しっかりお返しするって事で納得してるみたいだし」

「……ノーギャラ。ソフィアは自分だったら間違ってもそんな事はしないが、他人をそれで使えるなら、最高に魅惑的な響きだろうな」

 そして顔を見合わせた彼らは、心の中で(これ位で挫けるなよ?)と、密かにサイラスにエールを送った。

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