(9)それぞれの思惑
ルセリアとイーダリスの挙式当日。
会場である王都端の神殿の、新婦側の控室に集まったルーバンス公爵家の面々は、晴れの日に似つかわしくなく、殆どの者が不満顔だった。
「全く腹が立つ。公爵家の慶事の中でも結婚式には、建国以来王族が立ち会う事が慣例になっているのに、今回は母親の氏素性がしれない、つい最近まで存在すら知られていなかった、王女とも言えない小娘を自分の名代として寄越すとは! ミレーヌの奴、最近益々実家を蔑ろにしおって!!」
「本当にそうですわね。後で王妃様に、きちんと仰って下さいませ。我が家の面目に関わりますわ」
ルーバンス公爵ロナルドが苛立たしげに妹であるミレーヌに対する不満を口にすると、妻のサーラが同調する。しかしすぐに思い直した様に、チラリと血の繋がらない義理の娘を見下ろしながら、皮肉っぽく意見を述べた。
「でも……、良く考えてみれば、花嫁の母親の氏素性も大した事ありませんから、その挙式に立ち会って頂くには、寧ろそんな王女様の方がお似合いかもしれませんわね」
そこで嫌らしく笑ったサーラだったが、ここでロイが不満げに口を挟み、父親に念を押してきた。
「ですが父上。私の挙式の時には、王妃なり王太子なりが隣席する様にきちんと根回しして下さいよ? 誰が臨席したかで、その式の格が違ってくるんですから」
それにロナルドが、鷹揚に頷いてみせる。
「分かっている。それを考えると、今回取り敢えずルセリアだけ先に挙式させる事になって、却って良かったな」
しかしそれを聞いたロイは、益々不満そうな顔付きになった。
「しかし、それにしても何なんだ! あのステイド子爵家の対応は。『母親の体調が優れないので、できれば自分の挙式は持参金等は無しで構わないから、一刻も早く執り行いたい。だが姉が嫁ぐとなると、小身なりに支度を整えないと体面に係わると父が主張するので、私の挙式に時に父を呼び寄せてきちんと相談するので、その後に正式な婚約としたい』などとほざきやがって」
ロイがイーダリスについての不満を口にしたが、ロナルドは苦笑いしながら彼を宥めた。
「まあまあ、それで挙式後に改めてステイド子爵夫妻が私達に挨拶に来て、その上で正式な婚約と挙式の日取りを決めると確約したのだから、文句を言う筋合いは無いだろう。寧ろ思ったより早く話が纏まって、肩の荷が下りたぞ」
「そうそう。さっき侍女が、向こうの控室に入った子爵夫人を垣間見たそうだけど、どうにも優れない顔色だったそうよ? 子爵ご自身も、何やら脚を痛めている様な歩き方だったらしいし。あなたが首尾良く婿に収まれば、すぐに頼りにされると思うわ」
「それもそうだな」
サーラにも宥められて機嫌を直したロイは、今日の挙式の主役であるにも係わらず、この間ずっと無言を貫いていたルセリアを見下ろし、横柄に言い放った。
「ルセリア。せいぜい私が結婚するまでの間に、義理の両親に媚を売って、気に入られておけよ?」
「……はい」
そして消え入りそうな声で彼女が返事をした時、神殿の係官が部屋にやって来て、主賓の来訪を告げた。
「公爵様、神殿の正面玄関に、シェリル王女殿下がご到着されたそうです」
それを受けて、ロナルドが億劫そうにサーラを促しながら歩き出す。
「……分かった。忌々しいが、小娘を出迎えに行ってくる。お前も来い」
「分かりました。ああ、馬鹿馬鹿しい事。氏素性の知れない小娘に頭を下げなければいけないなんて、本当に腹立たしいわ」
そんな悪態を吐きながら夫妻が出て行くと、部屋の空気が少しはマシな物になった様に、ルセリアは感じた。そして夫妻に続いて兄姉達も不機嫌そうな顔でぞろぞろと出て行き、室内に一人きりで取り残されると、ルセリアは胸元に隠し持った小さな薬瓶をドレスの上から軽く押さえながら、今は亡き母親に向かって心の中で語りかける。
(お母さん……、お願い、私を見守っていてね)
そんなルセリアの緊張と不安を、徐々に高めていく挙式開始時刻が、刻一刻と迫っていた。
一応、その結婚式の主賓であるシェリルは、神殿の正面玄関で馬車を降り、出迎えの神官に笑顔で応えてから、警備役を兼ねてエスコートをしている婚約者に、引き攣り気味の表情で囁いた。
「う、うふふ……。とうとうこの日が来ちゃったわ。ソフィアに頼まれた通り、上手くできるかしら? 正直言って、あまり自信が無いんだけど……」
そんな彼女の手を取っている、近衛軍司令官の第一級礼装姿のジェリドが、彼女を優しく宥める。
「そんなに心配しなくとも大丈夫だ、シェリル。私が付いているから」
「そ、そうね。ジェリド、今日はお願いね?」
「ああ、君に文句を言う輩など、私が永遠に口がきけなくなる様にしてやるからな」
「ええと……、できれば、穏便な方法でお願いします……」
口調はともかく、口にしている内容が全く優しく無い婚約者に、シェリルが先程とは違う意味で冷や汗を流していると、担当者に呼ばれたらしいロナルドとサーラがやって来て、シェリル達に向かって愛想笑いを振り撒いた。
「これはこれは王女殿下。我が娘の挙式に足を運んで頂き、ありがとうございます」
「我が家一同、伏してお礼申し上げます。式が始まるまで、控室の方で暫しお寛ぎ下さい」
「ありがとうございます。休ませて頂きます」
そしてシェリル達はロナルド夫妻の先導で控え室へと向かったが、二人はチラリと顔を見合わせてから、徐に話し出した。
「挙式の前に、少しルーバンス公爵にお話ししておきたい事があるのですが……」
「はて、どんな事でしょうか?」
「我が国に貴族の家は多くとも、建国時の功績を鑑みて公爵家の慶事にのみ、代々王族が列席する慣例があります。そしてこちらのルーバンス公爵家からは、現王妃のミレーヌ様が出ていらっしゃる関係から、本来ならば従来通り、この結婚式にはミレーヌ様が列席される筈なのですが……」
そこで困った様に言葉を濁したシェリルの後を、彼女とは打って変わった冷え冷えとした口調で、ジェリドが引き取った。
「昨年のレストン国侵攻時、こちらのご子息が敵と内通したのが明らかになって処罰され、血の繋がった甥の所業に面目を無くした王妃様が暫く謹慎されたのを、よもやお忘れになってはおられませんな?」
そう告げると共に鋭い視線を向けて来た、近衛軍第四軍司令官でもあるジェリドに、夫妻は思わず足を止めて必死に弁明を始めた。
「もっ、勿論! あの節は、指揮官として現地に赴いておられたモンテラード司令官には、愚息が大変なご迷惑をおかけしました!」
「ですがあれは本当に、息子の独断専行でして! 決して我が家が王家に対して、謀反を企んだりするような事は!」
そこでシェリルが二人を宥めつつも、憂い顔で話を進める。
「勿論、それは私も分かっております。ですがあの事件のせいで、王妃様が今回の慶事に従来道通りに参加できる空気ではないそうで。はっきり申しますと『あんな反逆者が出た家よりも、我が家の方が王家に忠実にお仕えしているのに、公爵家で王妃の実家だと言うだけで、王妃が何かと臨席するのは如何なものか』と言う者が、最近王宮内で多いとか」
そこで如何にも懸念する様な顔つきで溜め息を吐いたシェリルを見て、ロナルド達は息巻いた。
「なんと! それは誠ですか? シェリル様?」
「何て無礼な輩でしょう!」
「王妃様は、少し前からそれらの対応に苦慮しておられて。それで今回は無理強いするよりは、自分の代わりに私に出席してくれないかと、仰られた訳です。母親の出自も明らかではない、最近まで存在すら明らかになっていなかった王女に臨席されるなんて家格が下がるとご立腹かと思いますが、そう言った事情がございますので、どうかご了解下さい」
そんな風に自らを卑下する台詞を口にしながらシェリルが軽く頭を下げると、つい先程正にその様な事を口にして罵っていたロナルド達は、自分達の後ろめたさを誤魔化す様に、不自然極まりない笑顔を顔に貼り付けた。
「いえいえ、滅相もございません!! 誰がそのような事を言うものですか!」
「そうでございますとも! 若くお美しい王女殿下にご臨席頂くなんて、我が家の誉れでございます!」
(……絶対、言っていたわね)
(いつか家ごと消滅させてやるぞ、俗物どもが!!)
そんな二人の内心など手に取る様に分かったシェリル達は、内心で色々思いつつも、それを面には出さずに話を続けた。
「それで今回婚儀を挙げられるのは、公爵の九女に当たられる方だとか。そして近日中に、七男の方も挙式予定と王妃様から伺いましたが、間違いございませんか?」
「はい、その通りでございます」
「今回の御令嬢の挙式には私が出る事になりましたが、ご子息の挙式の時には、やはり私よりも格の高い人物が臨席するのが筋だと思います。そうなると皇太子であるレオンが出るか、今回の貴族達の反応を見て、王妃様ご自身が臨席される流れになる筈ですから。今回の私の出席は、王妃様が臨席される為の地ならしか試金石の様にお考え下さい」
安心させるように微笑みながらシェリルが告げると、ロナルド達の表情が目に見えて明るくなった。
「なるほど! 懇切丁寧なご説明、誠にありがとうございました」
「なにとぞ陛下には、我が家に二心が無い事をお伝え下さい」
「はい、無事に挙式が済みましたら、王宮に戻り次第王妃様に事の次第を報告する事になっておりますので、陛下にもあまりルーバンス公爵家に隔意を持たれないよう、お話しておきますね?」
そしてとどめとばかりにシェリルが笑顔を振り撒くと、夫妻揃って上機嫌に彼女を褒め称え始めた。
「いやあ、かたじけない! やはりシェリル姫は、聡明でいらっしゃる!」
「本当に、自然に知性が滲み出て、美しさに磨きがかかっておりますわ!」
それから再び歩き始めた四人だったが、控え室に到達するまで公爵夫妻によって歯の浮く様なシェリルを賛美する言葉が延々と並べ立てられ。そして控室に案内されてシェリルが椅子に腰掛けた所で、ロナルド達が恭しく頭を下げる。
「それでは挙式の開始時刻になりましたら、担当の者に祭壇の間にご案内させますので、それまで少々お待ちください」
そうして愛想良く夫妻が出て行って、漸く周囲に静けさを取り戻したシェリルは、早くも疲れた顔付きで、立ったままのジェリドを見上げた。
「……ジェリド」
「どうかしたのか? シェリル」
「面の皮が厚い人間の見本って、あんな感じ?」
その問いかけに、ジェリドは冷笑しながら答えた。
「加えて、小者が服を着て歩いて喋っている見本だな」
それを聞いたシェリルは、椅子の背もたれに身体を預けながら、独り言の様に呟いた。
「そう……。この式が終わった時、あの人達がどんな顔をしているか見ものね。あ、最後の最後は見られなかったんだわ……」
そこでこれからの予定を思い出したシェリルが、如何にも残念そうな顔になった為、ジェリドがある事を提案をした。
「それならサイラスに、その一部始終を録画しておいて貰おう。彼は今日は一日、この周囲を駆けずり回っている筈だから」
それを聞いたシェリルは、嬉々として応じた。
「あ、そうね! お願いしてくれる? 今からでも大丈夫かしら?」
「勿論、君の望みとあらば、どうとでもさせよう」
そして満面の笑顔で請け負ったジェリドは、早速携帯用の魔導鏡を取り出して、サイラスを呼び出した。
「……という訳だ。漏れなく最後までしっかり撮っておけよ? 万が一、彼女を失望させたら、棺桶に片足を突っ込む羽目になると思え」
文字通り駆けずり回っている所に、問答無用で余計な仕事を言い付けられたサイラスは、さすがに顔を引き攣らせた。
「どれだけ俺を働かせる気ですか? あんただって相当魔術は使えるんだから、自分でできるだろうが」
「生憎と、ここで記録媒体が確保できない。シェリルの側を離れる訳にはいかないからな。お前のオーバーワークなんて知った事か。ちゃんとやれよ、分かったな?」
「あ、おい!」
そして一方的に通信を切られて腹を立てたものの、無視すると後が怖すぎる為、サイラスは「ったく、あの鬼畜野郎!!」と愚痴を零しつつも、祭壇の間の記録映像を撮るべく、準備を始めた。
その一方で、新郎側の控え室では、ステイド子爵の次女であるネリアが夫と共にやって来て、久々に一家が顔を揃えていた。
「お久しぶりです、お義父さん、お義母さん」
「やあ、ケネル君、久しぶり」
「本当に、こんな茶番に付き合って貰うなんて、申し訳ないわ」
「いえいえ、私もルーバンス公爵家一党の傍若無人な振る舞いには、常日頃思う所が有りましたから。今回のこのお話、喜んで協力させて頂きます」
夫が義理の両親と礼儀正しく挨拶をしている横で、ネリアが笑顔で姉と弟に声をかけた。
「姉さん、イーダリス、今回は本当に災難だったわね。でもあの話を聞いて呆れたわ。絶対、脚本を書いたのは姉さんでしょう? イーダは常識人だものね」
それを聞いたソフィアは、苦笑いしかできなかった。
「姉に向かって酷い言いぐさね。否定はできないけど」
「しかしお義兄さんまで巻き込む事になってしまって、誠に申し訳ありません」
イーダリスが神妙に、姉の夫であるケネルに頭を下げると、ケネルは笑って手を振った。
「気にしなくて良いよ。今回は存分に楽しませて貰うつもりで来たしね」
「この人ったら話を聞いてから、毎晩想定される会話を口にしながら、鏡の前で色々なポーズを取って練習していたのよ? 笑っちゃうでしょう?」
横からネリアが口を挟むと、これまでは義兄弟に対しては謹厳実直なイメージしか無かった為、ソフィア達は困惑した顔付きになった。
「……意外です」
「結構、楽しい方だったんですね」
「こら、ネリア。そんな事を暴露するな」
そんなケネルの笑いながら窘める声で、室内は一斉に笑い声に包まれ、ソフィアは暫し現状を忘れて楽しい時間を過ごした。しかしすぐに神殿の係官がやってきて、現実に引き戻される。
「失礼します。そろそろお時間になりますので、皆様準備をお願いします」
「分かりました。それでは私達は祭壇の間に移動するか」
「そうですね」
そして両親の後について歩き出したソフィアは、(さあ、いよいよ本番だわ)と気合いを入れ直し、計画の遂行と成功を自分自身に誓った。
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