(7)苦労性の義兄弟?

「居たか?」

「いや、何も不審な所は無い」

「もっと良く探せ!」

 予め打ち合わせていた時間に屋敷の北側にやって来たジーレス達は、塀越しに微かに聞こえる敷地内の声を聞いて、難しい顔で今後の事について相談していた。


「頭領、どうやらソフィアの奴、見つかったらしいが、どうする?」

「探った限りでは、賊が捕まったという話にはなっていない」

「しかし、このままここで待っている訳にもいかないぞ?」

「そうだな……」

 しかし眉間に皺を寄せてジーレスが考え込んだところで、いきなり空中から声が降ってきた。


「頭領、すみません! 騒ぎになってしまいましたが、こちらの身元を明らかにする様な、失態まではしておりませんので!」

 全く予想していなかった所からの声に、二人は瞬時に夜空を振り仰いだ。


「ソフィア?」

「お前、どこに居るんだ?」

 しかし見上げても誰の姿も見えない為、二人は益々警戒しながら辺りを見回し、それを見たソフィアは己の更なる失態を悟った。


「あ、うっかりしてた。ちょっと下ろしてよ」

「あ、ああ……、悪い、忘れてた」

 何やら誰かとのやり取りの後、自分達の目の前に唐突にソフィアが現れた為、さすがに魔術師であるジーレスには、ソフィアが魔術師、恐らくサイラスの手を借りて姿を消し、空中を浮遊して塀を乗り越えて来たのが分かった。


「ソフィア、どういう事だ?」

 しかし一応確認を入れてみたジーレスに、ソフィアは如何にも面目なさそうに頭を下げてから、誰もいない様に見える空間を手で指し示しながら説明する。


「その……、へまをして発見されそうになった所を、王宮専属魔術師のサイラス・ランドールに助けて貰いまして」

「……どうも、はじめまして」

 そして声だけで挨拶してきたサイラスに、漸く状況を悟ったオイゲンが不思議そうに尋ねる。


「ひょっとして姿を消しているのか? だが、どうして消えたままなんだ?」

「何だか分かりませんが、彼、今裸みたいなんです。だから姿を消したままで失礼します、という事らしいのですが……」

 自分でも納得しかねる顔つきでソフィアがそう告げると、ジーレスは無言で頭を押さえ、オイゲンは益々変な顔になった。


「はぁ? お前、ルーバンス公爵家の女の誰かに入れ込んでて、そいつの部屋にしけこんでたのか? 趣味悪りぃなぁ……」

「ああ……、なるほど。そういう事なのね」

 そこでソフィアが納得した様に頷いた為、サイラスは慌てて否定した。


「違う!! なんでそうなるんだ!?」

「だって何の騒ぎかとベッドから抜け出て様子を見に来て、私と遭遇したんでしょ?」

「ソフィア……、まかり間違っても、こんな奴に引っかかるなよ?」

「師匠、あんまり人を見くびらないで欲しいんだけど」

「だから、それは誤解だっ!!」

「煩い」

 ジーレスの声は、この場にいた誰のものよりも小さくて低かったが、それに込められた殺気は本物だった。それを察知できない人間などこの場には存在せず、瞬時に静寂が戻る。するとジーレスは自らが纏っていたマントを外し、それをサイラスがいると思われる方向に向かって差し出しながら、指示を出した。


「屋敷の連中に見つかる前に、さっさと撤収する。サイラスはこれを腰に巻いておけ。姿は消したままで構わない。そしてソフィアの馬はサイラスが使え。ソフィアは私と相乗りだ。急ぐぞ」

「はっ、はい!」

「了解」

「……分かりました」

 無表情で淡々と矢継ぎ早に指示を出したジーレスに逆らえる者などいる筈も無く、サイラスは受け取ったマントを腰に巻いて騎乗すると言う、かなり間抜けな格好でステイド子爵邸に戻る事になった。しかも馬に乗る直前、「せっかく見逃してやっていたのに。何をやっているんだ、馬鹿者が。しかも一度術式を解除したら、元に戻れないとは何事だ」と小声でジーレスに叱責され、更に落ち込む事となった。


「お帰り、姉さん! ジーレス殿もオイゲンさんもお疲れさまです。……って、あれ? どうしてジーレスさんのマントが、そんな変な形になってるんですか? 何か新しい魔術の研究中ですか?」

 出かけていた三人を玄関で出迎えたイーダリスは、珍妙な形で空中に浮いている様に見えるマントを認めて、怪訝な顔になった。そんな彼にジーレスが咳払いしてから、ちょっとした頼み事をする。


「その……、イーダリス殿。申し訳ないが服を一式貸して貰えないだろうか? 下着も付けて」

 その申し出に、イーダリスは不思議そうに首を傾げ、キョロキョロと辺りを見回す。


「はい? 誰か着替えが必要な方が、居るんですか? それかこれからいらっしゃるとか」

「そんな所ですまあな。詳しい話は後でしますが、背格好もイーダリス殿とそれ程違わないので、大丈夫だと思いますし」

「分かりました。少々お待ち下さい」

 その間、ソフィアとオイゲンは、何とも言い難い目で円筒形になっているマントの辺りを眺めていたが、イーダリスから着替えを受け取ったジーレスが無言で透明のままのサイラスに差し出し、それを彼が受け取って何処かへ姿を消すと、マントや服が勝手に空中を動き出した様にしか見えなかったイーダリスは、限界まで目を見開いた。

 それから少しして全員が居間に集まった時には、借りた服を着込んで姿を現したサイラスが、その中に交ざっていた。


「イーダリス殿、こちらが王宮専属魔術師の、サイラス・ランドールだ」

「はぁ……、そうですか。初めまして」

 改めてジーレスがサイラスを紹介すると、イーダリスは戸惑いながらも初対面の挨拶を述べた。それにサイラスが、硬い表情で応じて頭を下げる。


「こちらは初めてではありませんが、今後とも宜しくお願いします」

「はい?」

「いいから、そこを退きなさい、イーダ」

 益々要領を得ない顔付きになったイーダリスだったが、ここでソフィアが割り込み、彼が止める間もなくサイラスはソフィアによって絨毯の上に正座させられた。


「それで? 一体どう言う事なのか、説明して貰おうじゃない。黙っているなら、あそこの屋敷の女に入れ上げているものと見なすわよ?」

「分かった。正直に、洗いざらい話すから……」

 目の前で仁王立ちになった彼女に、早速追及される羽目になったサイラスは、年長者達が興味津々で事態の推移を見守る中、変な誤解をされるよりはと、完全に諦めて白状する事にした。


「実は……、俺は少し前からこのステイド子爵家に、猫のサイラスとしてお世話になっているんだ」

 その告白に、ソフィアもイーダリスも揃って目を丸くした。


「はぁ!? サイラス? あの猫が本当にあんたなの?」

「ええと……、そう言えば、さっきからサイラスを見かけていないかも……」

「それならどうして、猫の姿でうちに潜入なんてしてるのよ? うちは借金まみれだけど、法に触れる様な事はしてないし、当然王宮専属魔術師に内偵を受ける覚えは無いわよ!?」

 実に真っ当な彼女の疑問だったが、途端にサイラスは言い淀んだ。


「いや、これは仕事に関する事じゃなくて、極めて個人的な事情によるもので……」

「個人的? どこがどう? それに人の休暇にのこのこ付いて来る理由が、全く理解できないんだけど?」

「…………」

 ここまで聞いて、これまで世俗の波に揉まれまくってきた年長者達は勿論、イーダリスでさえサイラスがソフィアの縁談をぶち壊すつもりでやってきたのを察し、更に下手をすると自分達が居る前で公開告白をしなければならない状況に追い込まれた彼に、生温かい視線を送った。しかし当のソフィアがそれに全く考えが至らないのを見て取って、揃って溜め息を吐き出す。

 一方のソフィアは、面白くなさそうに腕を組んでサイラスを見下ろしていたが、ふと、何かを思いついた様に口を開いた。


「サイラス……、あのね、はっきり口に出せないのは分かるけど、周囲から変な誤解をされない為に、ある程度正直に話した方が良いわよ? 事情が事情だし、幾ら私だって問答無用で勝手に家に入り込んだ事を、頭ごなしに叱り付けたりしないから」

 苦笑しながらそんな事を言われて、サイラスは思わず救われた様に顔を上げた。


「本当か? その……、俺の事情を分かってくれるとか」

「当たり前じゃないの。それ位察せなくて、王宮勤めができると思ってるの?」

「ああ、うん……。そうだな」

「もう、本当にシェリル姫様ったら、奥ゆかしいんだから。だから精一杯、お仕えしたくなっちゃうのよね!」

 安堵して顔を綻ばせたのも束の間、何やら話の流れ的に全く関係のない人物の名前が彼女の口から出て来た為、サイラスは真顔になって確認を入れた。


「……ちょっと待った。どうしてそこで、シェリルの名前が出て来るんだ?」

 サイラスがそう口にした途端、ソフィアが憤怒の形相で彼の方に勢い良くドンと一歩足を踏み出しつつ、見下ろしながら叱責した。


「シェリル様の事を『シェリル』と呼び捨てにするなんて、言語道断!! 『シェリル姫様』、もしくは『シェリル王女殿下』とお呼びしなさい!!」

「はい! 誠に失礼致しました!! ところで、どうしてここでシェリル王女殿下のお名前が出て来たのでしょうか!?」

 慌てて居住まいを直し、丁寧に言い直したサイラスに、ソフィアは確信しきった表情と口調で告げた。


「隠してもバレバレよ。あなた、シェリル様の依頼でうちに出向いて来たんでしょう? お見通しなんだから」

「……え?」

 予想外の話を聞いて絶句するサイラスの前で、彼女は胸の前で両手を組みながら、感極まった様に何も無い空中を見上げて語り出した。


「ああ、何てお優しい、誰に対しても慈悲深いシェリル様。公にされておられなくても、さすがはあの慈悲深いアルテス様の姪に当たられるお方。私が心底この縁談を嫌がっていたのを心配されて、何か手助けできないかと、一生懸命考えて下さったのですね?」

「いや、そうじゃなくて、これはあくまで俺の個人的事情で」

 慌ててサイラスは口を挟もうとしたが、感極まった様子のソフィアは、彼の言葉を全く聞いてはいなかった。


「表立って手助けすると私が気を遣うと思って、わざわざサイラスに自分からの依頼だと口外しないようにと、口止めされるなんて……。仕える主にそこまで気を遣わせるなんて、臣下としては失格……。ですが姫様のお優しいお心遣い、このソフィア、身に染みました! この感動は、一生胸に刻まれて、色褪せる事はないと確信できますわ!!」

「だから! 俺は姫様には頼まれてないって!」

 思わず声を荒げて否定したサイラスだったが、一人で感動して涙ぐんでいたソフィアは、若干興醒めした様に彼を軽く睨み付けた。


「そうよね。実際に依頼したのは、姫様から相談を受けたエリーシアさんなんでしょうし。それで自分が出向いたら義理の妹の姫様との関係がまともにばれるから、サイラスに依頼したのよね。もう分かってるから、何も言わなくて良いから黙ってて。余計な事を喚いて、私の感動に水を差さないで頂戴」

「全然良くないぞ!! 大体な!」

 しかし反論しようとしたサイラスを再び無視して、ソフィアは感極まった様に語り続ける。


「ああ、この世知辛い世の中、一時は打ち捨てられる身になりかけた私達だけど、神様は見捨ててはいなかったのよ! アルテス様とフレイア様にお救い頂いてから、少しずつささやかな幸運が舞い込んできて。ネリアは幸せな結婚ができたし、私も手に職を得て、理想的なお優しい主に使える事が出来たし! ああ、この計り知れないご恩を、アルテス様達にどの様にお返しすれば良いのかしら!!」

「だから人の話を、真面目に聞け!!」

 誰にいう訳でもなく空中に向かって独り語りをしながら、居間の中を巡り始めた彼女に追い縋ろうとしたサイラスだったが、その肩を上からオイゲンとファルドが押さえ込んで、左右から言い聞かせた。


「悪い事は言わねえ、もう止めとけ。無駄だ」

「ここで告白しても『幾ら姫様から口止めされてたとしても、往生際が悪いわよ?』とか一刀両断されて、おしまいだからな」

 真顔でそんな事を断言されて、時折くるくると回りながら途切れる事の無いファルス公爵夫妻への賛辞を、声高に唱え続けているソフィアを横目で見たサイラスは、がっくりと項垂れて両手を絨毯に付いた。するとそのすぐ前に、同じ様にイーダリスが膝を揃えて座り込む。


「サイラスさん。姉はご覧の通り、熱烈で病的なファルス公爵信望者の上、ご覧になった通り裏稼業なんかもやっています。こんな姉で、本当に良いんですか?」

 真摯にそんな事を問いかけられ、サイラスも顔を上げて真顔で応じた。


「俺も、人の事は言えないからな。名ばかりの王子で、ちょっと魔術の才能があったからって便利屋扱いで、何度も戦場の最前線に送られてたし、このエルマース王国にはそもそも行方不明の王子の名前を詐称して、あわよくば王家を乗っ取るつもりでやってきたんだぞ? 王妃様の温情で、無罪放免で王宮内で働かせて貰っているが、本来なら死刑か良くて国外追放の重罪人だ」

「それもそうですね。姉さんの方が幾らかマシか」

「随分はっきり言うな」

 そこでサイラスと顔を見合わせて小さく笑ったイーダリスは、再び真剣な顔つきになって告げた。


「サイラスさん、俺は是非とも、あなたの事を義兄上と呼びたいです」

 そう言われたサイラスは、その両眼にうっすらと涙を浮かべる。


「イーダリス……。お前のその言葉だけが、俺の救いだ。その温かさが胸に沁みるぞ」

「これからも苦労すると思いますが、頑張って下さい。応援しています」

 サイラスに釣られた様にイーダリスも涙ぐみ、ここで二人はどちらからともなく、座ったまま固く抱き合った。


「ありがとう、イーダリス。お前も色々苦労が多いよな」

「サイラスさん程ではありませんから。お互い、頑張りましょう!」

 そして散々アルテス達の賛辞を言いまくって気が済んだソフィアが何気なく振り返ると、その視線の先で抱き合っている弟達を見つけた彼女は、首を傾げて一番近くにいたジーレスに尋ねた。


「頭領、あの二人、何をやってるんですか?」

 その問いに、件の二人を眺めながら、ジーレスがぼそりと告げる。

「……男同士の友情と、義兄弟の契りを結んだと言ったところか」

 しかしそれを聞いたソフィアは、益々怪訝な顔になった。


「義兄弟? 何でですか?」

「分からなければ、放っておけ」

 素っ気なく告げたジーレスは、それから強引に皆を席に着かせた上で、ルーバンス公爵邸での首尾についての報告を始めさせたのだが、それを聞きながら今の内容がアルテスの耳に入ったら、ソフィアの情操教育云々に関して小言の一つや二つは覚悟しなければならないだろうなと、真剣に考え込んでしまった。

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