(2)ルーバンス公爵邸
馬車の屋根は緩やかに湾曲しているものの、寝そべってしっかりと踏ん張っていれば滑り落ちる心配な無い程度であり、サイラスは周囲を見回す程度の余裕はあった。
元某国の王子であってもサイラスは生国での存在を抹消後、エルマース国での生活を許されてから、偶に市街地と王宮内の独身寮とを往復するだけの真面目な生活を送っており、これまで殆ど足を踏み入れて来なかった、それぞれ趣向を凝らした貴族の邸宅が建ち並ぶエリアを、興味深く観察し始めた。するといつの間にか、周囲の屋敷と比較すると広大な敷地を有する屋敷を囲っているのか、延々と続く塀に沿って馬車が走っている事に気が付き、サイラスはそれを眺めながら見当を付けた。
(ひょっとして……、ここがルーバンス公爵邸とか?)
その推察は間違っていなかったらしく、サイラスを乗せた馬車は見えてきた門の中に、吸い込まれる様に入って行った。そして正面玄関までまっすぐに続く道の両側を見渡しながら、率直な感想を頭の中に思い浮かべる。
(ステイド子爵邸とは、雲泥の差だな)
そんな事を考えたサイラスは、絶対に怒り出す為、ソフィアの前では口にしない事を固く決心した。そうこうしているうちに馬車が玄関の前に到着し、車寄せで従僕が恭しく馬車のドアを開ける。
「やあ、ありがとう」
「ご苦労様」
馬車からイーダリスとソフィアが出て来て、礼を述べつつ微笑んでみせたところで、玄関の扉の前に佇んでいた執事らしき男が二人に歩み寄り、恭しく頭を下げた。
「ステイド子爵ご令息のイーダリス様と、ご令嬢のエルセフィーナ様ですね? ルーバンス公爵邸にようこそ。私は執事長を務めております、レイブンと申します。私がお二方をご案内致します」
「そうですか。レイブン殿、宜しくお願いします」
「早速ですが、天気が宜しいので、主庭園に午餐の支度を整えておきました。こちらへどうぞ」
執事長と名乗った痩せぎすの陰気な男は、イーダリスが笑顔で挨拶したにもかかわらず、素っ気ない態度で踵を返して歩き出した。その態度に早くも向かっ腹を立てたソフィアだったが、傍目には平然とイーダリスと並んで歩き出す。
「大した熱烈歓迎だこと。仮にも主君の息子と娘が結婚するかもしれない相手を迎えるのに、家の者が皆無で執事長一人がお出迎えって、馬鹿にするにも程があるわよね」
前を歩くレイブンに聞こえない程度の小声で悪態を吐いた姉に、イーダリスが苦笑気味に言い返す。
「どちらも正妻が生んだ子供では無いし、公爵も大して感心は無いんだろうな。こいつも執事長と言ってるけど、実は自称だったとしても驚かないよ。子爵家の人間風情を相手にするのなら、実は二番手、三番手の執事じゃないのかな?」
それを聞いたソフィアは怒気を削がれ、思わずまじまじとイーダリスを見やった。
「暫く顔を合わせない間に、結構言うようになったのね。知らなかったわ……」
「近衛軍は貴族出身者ばかりだからね。それなりに軋轢もあるし、些末な事に一々目くじらを立てるのは馬鹿らしいんだ」
「父様と母様が知ったら泣きそうだわ」
「そんな人が擦れまくった様な言い方、しないで欲しいな……」
そんな自嘲気味な内容を囁きながら、二人は廊下を進んで行ったが、当然猫の姿のサイラスは人目がある為に玄関より奥へは進めず、諦めて直接主庭園の方に向かう事にした。
「にゃ! みゅう~! にょ!」
無意識に小さなかけ声をかけながら、サイラスは公爵家の使用人達にばれない様に馬車の屋根から後部の台を経由して、危なげなく地面に飛び降りた。そして大きな建物を回り込んで、主庭園がある場所を見当を付けながら歩いていくと、なんとなく嫌な感じがして足を止める。
(何だ? この感じ。なんだか首の右側がピリピリする感じが……、右側?)
そこで無意識に前足で首輪に触れたサイラスは、それをエリーに付けて貰った時に説明された内容を思い出した。
(そういえば、右側のガラス玉に、自動で反応する防御魔術を施してあるんだったよな。となると、この辺りに侵入者除けの術式が展開されてるか。公爵家なら、お抱え魔術師の一人や二人居てもおかしくないからな)
そう冷静に判断したサイラスは、落ち着き払ってそのまま首輪の中央に前足を伸ばし、そこに埋め込まれているガラス玉に触れながら、猫の鳴き声になる術式を解除した。そして人の声を出せる様にしてから、周囲を窺いつつ慎重に小声で呪文を唱える。
「……ジェスタ・ハブ・ナゥ」
するとサイラスにだけ識別可能な光の帯が彼の前方に広がって行ったが、何かに引っかかった様に、あちこちに留まる場所が出て来た。それを認めた彼は注意深くそこを観察し、それが作動しない様にすり抜けて、植え込みの奥へと進んだ。
(これを施したのはそれなりの魔術師だとは思うが、ジーレス殿の腕前と比べたら、まるで子供だな)
この何日かステイド子爵邸に滞在していただけで、ジーレスが敷地内に施している様々な術式に接していたサイラスは、改めて彼の技量を心の中で褒め称えた。その頃招待客の二人は、主庭園に面した部屋の一つに通されていた。
「こちらにお入り下さい」
そう“自称”執事長に促されてイーダリスとソフィアが足を踏み入れた部屋の中には、自分達とそれ程年が違わない、一組の男女が彼らを待ち受けていた。
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