6.養子縁組話

「お待たせして申し訳ありません、王妃様」

 入室してきたファルス公爵アルテスが一礼して頭を上げると、これまで何度か目にした事がある、如何にも謹厳実直そうな顔が見えた。エリーシアは密かに(シェリルと似ているのは、黒髪だけね)などと考えていると、ミレーヌが手振りで椅子を勧めつつ、苦笑しながら尋ねる。


「仕事中に呼び付けたのは、私の方ですから構いません。ですが公爵を急に呼び出した事で、次官殿のお手間を増やす事が無ければ良いのですが」

「ちょうど手元にあった書類の決済を済ませた所でしたので、ご心配には及びません。ところで、本日はどの様なご用件でしょうか?」

 最近就任したばかりとは思えない、内務大臣としての貫録を醸し出しつつアルテスが尋ねると、ミレーヌは恐縮気味にテーブル越しに先程ロナルドが持参した用紙を差し出した。


「これを見て頂けますか?」

「拝見致します」

 その丸テーブルが結構大きかった為、ミレーヌが座ったまま腕を伸ばしても反対側のアルテスには届かず、自然にエリーシアが手を伸ばしてそれを受け取り、中継して手渡した。それに短く「ありがとう」と礼を言ってから、アルテスは手元の用紙に目を落とす。


「……ほう? これはこれは」

 思わずと言った感じでアルテスが呟き、チラリとエリーシアに視線を向けてからミレーヌに視線を戻した。

「あの方も相変わらずの様で、王妃様もご心痛が絶えませんな」

 心底同情する口調のそれに、ミレーヌが嘆息して応じる。


「私の事はともかく、周囲を不愉快にさせる言動は慎んで頂きたいと、常々思っているのですが。つい先程も彼女に向かって『公爵家で引き取ってやる、父親と呼んで良いぞ』と言った類の事を言い放ちまして。彼女に許可を与えて、王宮の外まで放り出させました」

「さすがにミレーヌ様の兄上を転落死させるわけにはいきませんので、王宮前広場の噴水の中にぶち込みましたが」

 憮然としてエリーシアが付け加えると、アルテスが失笑した。


「それはそれは……、さぞ広場に居合わせた者達が、肝を潰した事でしょう」

(住民の心配はするけど、あの公爵様の心配は皆無なのね。まあ、当然だわ)

 あの勘違い野郎は余程人望が無いらしいとエリーシアが内心呆れていると、ミレーヌが彼女に声をかけた。


「ところでエリーシア、それをどうしますか?」

 その問いと同時に、アルテスから誓約書なる物を再度渡されたエリーシアは、手にしたそれを煩わしそうに見下ろしながら吐き捨てように告げる。

「どうもこうも……。こんな物、私には必要ありません。私の父親はアーデン・グラードだけです。私に関する義務も権利も一切放棄すると宣言して、文書も取り交してその通り無視して来たのに、今更何を考えているんですか。馬鹿ですか?」

「それではその書類を、廃棄して構いませんね?」

「あ、ミレーヌ様のお手を煩わせません。今、私がこの場で消滅させます」

 そう言うやいなや、エリーシアはその誓約書を目の高さまで持ち上げ、静かに呪文を唱えた。


「シューテス・ル・ミリム・ヴァン」

 短く唱えられた声が消えると共に、彼女の右手の周囲で炎が巻き起こり、結構な激しさのそれにアルテスが思わず顔色を変えて腰を浮かせかけた。しかしその炎は一瞬で消え去り、当然エリーシアの手には小さな火傷一つ無いまま、誓約書だけが灰も残さず、綺麗さっぱり消滅する。


「あ~、すっきりした。灰は花壇の隅に撒いておきましたので」

 通常であれば先程の様な短い呪文で、そこまで細かい処置ができるとは思っていなかったアルテスだったが、目の前でそれをやってのけた人物が、実力を認められて女性ながら王宮専属魔術師として仕えている人物だった事を思い出し、すぐに驚きの表情を消して王妃の次の言葉を待つ事にした。しかし続くミレーヌの言葉は、完全に彼の予想外だった。


「これで取り敢えず、ルーバンス公爵家とエリーシアの繋がりを示す物は無くなったわけですが、懲りない兄がまた彼女にちょっかいを出してくる可能性がありますので、ファルス公爵に協力して頂きたいのです」

「は? 協力とはどのような?」

「彼女を、ファルス公爵家の養女にして頂きたいのです」

「養女、ですか?」

「ミレーヌ様?」

 依頼されたアルテスは勿論の事、当事者のエリーシアも寝耳に水の話を聞かされ、困惑した顔を向けた。そして二人から揃って問いかけの視線を向けられたミレーヌは、幾分困った表情で話を続ける。


「困った人ですが、あれでも一応公爵家の当主です。それに対等に対応できるのは、やはり他の四公爵家になると思われますが、ラミレス公爵家は先程の偽ラウール殿下擁立騒動の責任を取って謹慎中、シュタイン公爵家、アリズネア公爵家にはエリーシアと同年代のご令嬢が居て、何かと差し障りがあると思われます」

 ミレーヌのその説明を聞いたアルテスは、真剣な顔付きで顎に手を当てて考え込んだ。 


「なるほど……、その通りですな。今現在、我が家には息子しかおりませんし、妻も娘を欲しがっていましたから、その点でも望ましいです。それは分かりますが……」

「それと、この話をファルス公爵家に打診させて貰った理由には、アルメラ殿の事もあるのです」

 幾分迷う素振りを見せたアルテスに、ミレーヌが畳み掛けた。そして王宮内では殆ど禁句と化している、亡くなって久しい姉の名前が出て来た途端、彼の顔が一気に強張る。


「……姉が、その話にどう関係があるのでしょうか?」

(アルメラ様ってシェリルの生みの親で、王子が生まれなかったから男の子を産んだ事にして、シェリルを捨てちゃった人よね。どうしてその名前が出てくるわけ? ファルス公爵も困惑しているみたいだし)

 ここでどうしてその名前を持ち出したのかとエリーシアは訝しみ、アルテス同様問い質す視線をミレーヌへと向ける。それを受けて、ミレーヌが静かに語り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る