クラド少年の日常③
投剣を構えたディンゴがソーディアを睨んでいる。
ディンゴとソーディアの距離はまだ100m近く離れており、さらにはその間に木々が立っているので、ここから投剣を投げたとしても当てるのは至難の技だろう。
「よーし、見えたぞ……クラドもいいな?」
「こんなところから当たるはずがないよー」
「いいからいいから。やってみるもんだって言ったろう?」
ディンゴはなにかを掴んだようだが、クラドからしたら全くもって当たる気がしなかった。
父に急かされいつもやってみるのだが、上手く当たった試しは殆どない。
投剣は
真剣な剣の立ち合いの場でそれを使うことなどもっての外で、やはり
投剣はあくまで趣味の範囲からは出ないのだ。
このような武器を率先して使う場面など、あまり真っ当な場面とは言えない時であろう。
所謂、人を襲撃するような場面……投剣は、賊や悪党に利用されることがままあるのだ。
正当なる剣同士での決闘と言えないそのような悪事に、剣による決定権はないはずなのだが、当事者が死んでしまえば決定権もなにもないということだ。
そういった悪党と呼ばれるような輩は、剣の強さによってのさばっている者よりも圧倒的に蔑まれる存在。
剣の世界たるソードピアの住人としての尊厳を失った者達は、国の剣士団によって成敗される存在であり、この世界での都市部などでは排斥されるべき存在として扱われていた。
クラドがそんな輩と相対するようなことはあるのだろか。
あるとしても、これもまた先の話になるだろう。
「いち、にの……さんっ!」
「もう、いけっ!」
ディンゴの合図に合わせてやぶれかぶれに投剣を投げるクラド。
二つの羽を付けた投剣が空を切って森の中を飛んでいく。
それはあたかも、鳥が高い空から羽を広げて滑空してくるかのようで、空中を滑るように獲物の元へ向かっていく。この世界に紙飛行機は存在しないが、まるでそれのようだ。
音も立てずに忍び寄る刃が、ソーディアのいる辺りに吸い込まれたかと思うと……
「ピヒィー!」
悲鳴をあげて大きな影が立ち上がる。
「当たったぞ!」
「え、っと。俺のは?」
歓喜をあげるディンゴに、投剣の行方を見失ったクラドが尋ねる。
「クラドのも命中したぞ。さぁ、行こうか!」
「おー、おぁーい」
あまり実感の湧かないクラドは
邪魔な蔦を切り払い、足元に生える草花を踏みつけながら、木々の間を駆け抜ける。
獲物は目の前だ。
「クラド、下がるんだ!
先方に見える影が目の前に迫った時、ディンゴが声をあげる。
「えっ?」
前にいた父が腕でクラドの行く手を遮るようにすると、同時にその手には銀の大剣が握られていた。
「ピヒィ!」
甲高い鳴き声と共に、盛大な火花が薄暗い森の中を明るく照らす。
その火花が大きな影であるクリーチャーの頭を照らし、憤怒の顔を覗かせる。
まるで何本にも枝分かれした剣のような角を携えた、巨大なディア系のクリーチャー……ソーディア。名前の所以でもある鋭い剣角がディンゴの銀の大剣とぶつかり合ったのだ。
「うわぁ!?」
同時に切断された森の木々がクラドの頭上に倒れてくる。
「はあぁ!」
ディンゴが列泊の気合いと共に、銀の大剣を振り回す。
銀の閃光が数本走ったかと思うと、クラドに倒れてくるはずの木々はバラバラになって地面へと落ちていく。
立て続けに起こる出来事にクラドは呆けてしまった。
「大丈夫かクラド!? コイツは活きがいいな!」
「ええぇ!? そういう問題!?」
ディンゴに活を入れられると、クラドは二、三歩後ろに後ずさる。
ソーディアなるクリーチャーの全景がクラドの目に飛び込んできた。首に近い位置と、お尻の辺りに投剣が突き刺さっている。
恐らく首のはディンゴの投剣で、尻のはクラドの投剣だろう。
そんな状態にも関わらず前足で地面を掻いており、闘士を剥き出しにしている。
「うわわ……怒ってる!」
「むぅ、こうなってしまっては仕方がないか」
銀の大剣を構え直したディンゴが諦めたように言う。
狩りと言えるような状況は終わりで、思った以上に驚異足り得たクリーチャーに剣で挑むことにしたのだ。
つまりは、狙った相手が大物過ぎたらしい。
気軽に投剣などで仕留め切れるクリーチャーではなかった。そもそもソーディアは上位剣士並の強さに数えられるディア系でも上位のクリーチャーだ。
そんな自分と同等の猛者に対するディンゴはというと……
「なんかな。……剣で倒しても狩りにならないよなー」
割合のんきなものだった。
「と、父さん。あの、ディアが襲いかかってくるよ!」
「おぅ、ちゃんと見てるから大丈夫だ」
剣を構え直したディンゴだが、まだ己の趣味たる投剣での狩りに未練があるらしく、ぶつぶつと愚痴をこぼしている。
クラドからしたら見上げるような巨体に、木々をあっさりと両断する鋭い剣角をもったソーディアが今にも飛びかかってこようとしているのだ。
父の剣士としての腕前は知っていたが、本能的な恐怖心を拭うことはできない。
ソーディアはクラドの恐怖心に気づいたかのように、地面を掻いていた前足がしっかりと地面を蹴り、巨大な体に推進力を伝える。
それと同時に頭を低くして、剣角を突き上げるように突進してきた。
「うわあぁ!?」
「男は真っ向勝負だ!」
ガギィーン! という、金属同士のぶつかり合う大きな音が森の中に響く。
大上段から振り下ろしたディンゴの大剣と、突き上げられた剣角が真正面から激突したのだ。
この二つは似て非なるものだったかもしれない。
同じ生命としての源から生成された剣であったが、
「ピィ……」
見上げるような巨体が崩れ落ちる。
体の一部があくまで剣を模した角では、鍛練を重ねた剣と剣士には敵わなかったようだ。
「ま、こんなもんだろう。晩飯ゲットだ」
確固たる剣士としての強さをもったディンゴが銀の大剣をしまう。
上位剣士と同等の驚異とされるクリーチャーも、村の防衛団長として日々鍛練を重ねているディンゴの前ではただの獲物であったようだ。
同じ上位剣士でも強さは色々あるのだろう。
そんなことよりもディンゴの真の戦いは、これから起こるであろうクラリスとの、晩飯のメニューを賭けた決闘なのかもしれない。
「すっご……」
若い剣たるクラド少年は、今日もディンゴという大きな背中を見て父への尊敬の念を強くしながら、晩飯の決闘でクラリスに負ける姿を見て、やはり母が最強なのだと認識させられるのであった。
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