歩いてみよう

砂海原裕津

歩いてみよう

 ……散歩は体にいいから、歩きなさい。

 見るからに運動不足の私に、多くの人が言う言葉である。もちろん、自覚はしてい

るのだが、気持ちが動かない。言われてやるのもしゃくにさわる。それであまり歩く

ことはない。

 例えば普段、近くのスーパーまで出掛けるのに、どうやって行くだろうか。歩いて

五分程度なら苦もなく行けるだろうが、歩いて十分ともなると面倒になってしまう。

帰りは大荷物になってしまうのだから、歩いてなどとんでもない。そう思うだろう。

 自転車、スクーター、自動車。手段はいろいろとある。どれも便利なものだ。しか

し、私はここで提言しよう。


歩いてみよう。


 私の自宅からJRの駅まで、歩いて十五分である。駅前に駐車場は少なく、だが他

に交通手段もないので、駅まではタクシーを使う。初乗り五百四十円。

 ところがある日(四月の中旬だったか)、よりによってタクシーが全車出払ってい

て、三十分待たなければいけないことがあった。しかし、電車の時刻まであと二十分

である。仕方なく、私は駅まで歩くことにした。

 複雑な道ではない。自宅が幹線道路に面しているので、駅までは交差点を一回右折

するだけでいい。手にした荷物も重くはなく、晴れた空の下をてくてくと歩きはじめ

た。

 歩きはじめてから、私はどこか不思議な世界に紛れ込んだような気がした。いや、

この話は別にSFではない。その時自分が歩いていた場所が、まるで知らない町のよ

うな感じを持ってしまった。その道は、普段通勤のために車で通っている。小さいこ

ろから遊んできた道である。だが、その時は知らない町のように思えたのだ。

 こんなところに家が建っている。あの家は外装を変えたな。こんな所に駐車場なん

てあったか。

 知っていた街並みと知らない街並みが混ざり合った新しい世界がそこにあったのだ。

さらにしばらく歩くと、川を越える。橋の上から川を見ると、そこには一面、黄色

い絨毯が敷きつめられていた。

 ほとんど水の流れていない川に、黄色い菜の花が群生していた。

 なんて光景だったろう。菜の花が風に揺れて、まるで黄色いものが川を流れている

ような錯覚を覚えた。

 普段からこんなに咲いていただろうか。覚えがなかった。いや、普段は川の様子な

んて見ることがない。自動車に乗っていては前しか見えないのだ。

 私は、歩くことによってその菜の花の群れを見ることが出来た。発見であった。街

の中にはまだ私の知らないものが残っている。

 歩くことは健康のためではない。肌で風を感じ、花で匂いを受け取り、そして何よ

り、回りを見渡せる程度のゆっくりしたスピードである。歩くことで知らなかったこ

とを感じ取ることが出来るのだ。

 歩いてみよう。そこにはまだ新しい何かがあるかもしれない。

                                  <了>

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