第5話
居間を見渡せるように置かれたアームチェアに腰掛ける。窓際のソファと対称になる形で置かれたその椅子に座るのは、仕事に集中するための大事な儀式だ。
マサミは指を振って、ツールを呼び出す。素体のエディット画面とカナに関連づけされた様々なデータが、フレームごとに空間に投影される。目の前に表示された仮想キーボードで、さっそく作業を開始する。
よくできた操り人形ではなく、自律した人格と錯覚できる振る舞いが求められるので、コンシェルジュとして作るのがいい。複数のコンシェルジュを使用することは、オプション料金さえ支払えば正規サービスの範疇として行える。
まず忘れず、二体目の動作を自宅内部に限定する。はたから見れば、気味の悪い趣味かもしれない。他人を不快にさせないためには、気配りだけでなく明確なルールが必要だ。
その次にカナに似せていく作業。さいわい、カナの動画や音声はそれなりの量がそろっている。
総合環境プログラムのパーソナライズのために、ユーザの生活の多くは記録される。メーカが保存し所有するデータは、一定期間後に破棄されるまで《集合知》などのサービスに利用される。ユーザも自分の総合環境プログラムによって収拾されたデータに限り、有料で提供を受けられる。
マサミのデータには、ビデオフォンの相手として、家を訪れた客として、さまざまな場面にカナが映り込んでいるというわけだ。
目鼻立ちをコピーし、表情や言葉づかい、イントネーションを解析するために参照するデータを指定する。外観のアウトラインが決まるまで、カナを模した架空人格に与えるための設定を考える。
会えないだけでなく、リアルタイムのやりとりも難しいようにしたい。どんなによく似せても、架空人格は作り物に過ぎない。はりぼてだと忘れているためには、粗が目につくような状況を作らないことだ。
引っ越しという《アーク》の例示は、いかにも収まりがいい。いっそ海外移住したことにすれば、時差によって生活時間帯が大きくずれたと説明がつく。ビデオレターなら動画プログラムに自動編集させても、不自然のないじゅうぶんな質を保てるはずだ。
南米の都市をランダムに表示させ、名前しか知らない街を選ぶ。ネットで地域情報を収集するように機能を付加しておけば、ときどき異国暮らしの話を聞けるだろう。マサミの知らない場所なら、リアリティに矛盾を来すことはない。
決まった要素を、属性として素体に加えていく。プレビューされた人の形は、しだいにカナの形へ近づいていく。細かな調整は、経験と勘を頼りに手作業で行う。
出力した《カナ》はマサミを見ると、呆れたときのくせで右の眉をあげた。
「また徹夜したの? ほんとに仕事好きね。っていうか仕事中毒よね」
いつのまにか人工ではない光が室内を満たしている。朝の太陽がカーテンを透かして、水色の影を作っていた。
「結果が形になるのって好きだから」
極度に集中したあとのぼうっとする頭で、マサミは答える。
「でも、いつも二ヶ月もたないで別れるのって、そのせいよ」
「うるさいなあ」
何度繰り返したかわからない会話をしながら、マサミは追加要素をひとつ思いつく。
突然の移住は、結婚を理由にしよう。それなら《カナ》が、暮らしぶりをあまり話題にしなくて当然だ。親友の結婚を喜べない自分を、マサミはたやすく想像できた。
「ちょっと、ううん、だいぶ元気になったのね」
ビデオフォンの最中、サホが安心したように笑った。
「そうかな?」
「顔が明るくなったの。それに、ほら、すごく落ち着いてるから」
サホが言葉を選んだのを感じて、自責がマサミの胸に浮かぶ。あんなにめそめそしたところを見せてしまって、サホはうんざりしていたに違いない。
「だったらいいんだけど。それより、前に教えてもらった公共規定についての団体ね、こことかちゃんと活動してて信用できるみたい。わたしはもう署名しちゃった」
ばつの悪さに、急いで話題を変える。マサミの指が引いたラインから、地道なロビー活動の記録が表示され、勉強会の様子が動画で展開される。音声はミュートされているが、真面目で熱心な雰囲気はじゅうぶんに見て取れる。
「過激なことを言いたいだけで、いい加減なところもあるんでしょう」
「そういうの迷惑だから、他でやってほしいよね」
眉をひそめるサホに、マサミも大いに顔をしかめた。ストレスの発散が目当てなら、もっと相応しい行為があるはずなのに、きちんと選ばないのは怠慢だ。
正しい選択がいかに大切か身をもって体験したと、マサミは思う。一週間前の自分はまるで他人のようだ。
「それでね、そのブレスレットは気持ち悪いって言うの、個人の自由だと思わない?」
気づいたら、サホがまた愚痴をこぼしはじめている。最近、職場の新しい同僚からスピリチュアル趣味を非難されているらしい。
「わたしは自分が納得できるから信じてるだけで、人に押しつける気はないのよ。マサミにも、身につけたらいいなんて言ったことないでしょ?」
「価値観の相違なんだから、あれこれ言うことないのにね」
映像をアバターに差し替えるが、悪感情が露骨になってしまわないように声の調子にひどく気をつかう。同情を求められているようで苛立ちがつのり、同僚の方が正しいと言ってやりたくなる。
穏当な相づちに限界が見えたころ、折よく業務用回線の着信アラームが鳴った。
「ごめん、仕事の関係だから」
単なるシステムメッセージだとわかっていたが、急用のふりをして一方的に通話を終わらせる。会話を続けていたら破綻することを確信していたので、不自然だといぶかられる可能性の方を選んだ。
「ああ、もう、うっとうしい」
吐き捨てて、マサミはメッセージを開く。
二日前にリリースしたテンプレートが、モールのカテゴリーランキングで三位に入ったという知らせだった。
間違っていないと、肯定された気分だった。
さっそく自慢のメールを、地球の裏側に向けて作成する。あんまり得意げな顔をしているとバカっぽいと冷ややかに言う《カナ》が目に浮かぶので、動画はつけない。
昨日もらったビデオメールで、思っていることを表情に出しすぎると指摘されたばかりだ。三十代のデザイナーとして大人の女性というイメージを前面に出したいと打ち明けたら、顔に落ち着きが足りないと返ってくるのは、遠慮のない友人ならではのありがたみだと自分をはげます。
送信して、少しだけ考える。すぐ顔に出ることはアバターで補い、失意のなぐさめは架空人格で作り出した。サホとの友情を維持するのに、タイミングよく会話が中断される幸運をいつまでも頼り続けていいわけがない。
サホを嫌いなのではなく、新しい友人として大切に思っている。ただ、耐え難い欠点がひとつあるというだけだ。それに、自分以外の人間を必要しないほど、マサミは強くも変わってもいない。《カナ》が代用品であることを忘れるほど、幻想に埋没することもできない。
プランはもうある。
用意する架空人格は、サホとマサミ自身のふたつ。サホとの会話は《マサミ》が行い、その結果をフィードバックした《サホ》とマサミは接する。《サホ》とマサミのやりとりは《マサミ》に影響を与え、次にサホと話すときの齟齬を防ぐ。サホから《サホ》への変換にフィルターを通し、スピリチュアルに関する話題は我慢できる程度に加工する。
子どもの頃に遊んだ万華鏡を思い出す。筒の中身は同じなのに、のぞくたびに違う模様が見えた。マサミは同じことを世界にしたいだけだ。すべてを思い通りにするのでなく、見方を変えるだけ。ほんの少し、手を加えるのは鏡を置くようなもので、本質まで変えてしまおうというわけではない。
「《アーク》、コンシェルジュをあと二体使うと使用料はどれくらい?」
「まとめ割引の対象となりますので、こちらの料金プランが利用できるようになります」
利用料金とグラフが並んだレイヤーが空中にあらわれて、明滅する数字がどれだけお得か主張する。
割引を設定するほど利益が見込める事実に、背中を押された気がする。マサミと同じ使い方をしている誰かが、きっとたくさんいる。
「素体をふたつ、ダウンロードして」
マサミの軽口に笑い出した《サホ》が、不意に静止する。
〈この先、四分間にわたって不適切な表現内容が含まれています〉
注意文が表示され、マサミはテキストによる再生に同意した。
何回かのすれ違いを経験して、完全にスキップすると重要な情報を取りこぼすことがあることを学んだ。フィルタリングのためのタグはマサミ自身が編集しているが、言外の意味までは抽出できない。音声から起こした文章に目を通すことで、トラブルを回避できる。
対話を終えて、満足そうにマサミは部屋を見回す。すだれ越しの陽光は、夏らしく明暗をくっきり浮かびあがらせる。ついたての落とす影と風鈴の音は、暑さをやわらげてくれるようだ。指向性スピーカーを使用した風鈴は、騒音を気にしなくていいのも魅力だ。
家の中はもうすっかり居心地良くなった。だからきっと、同じように整えられるはずだ。晴れ晴れとした笑顔で、マサミは外へと視線を向けた。
万華鏡 桐井フミオ @doriruko
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