第二話:四月十三日:報告会議

 八畳ほどの空間を囲む壁には窓はなく、一つだけある扉は固く閉じられている。頭上の蛍光灯が冷たい明かりで部屋を照らし、中にいる人間の時間の感覚を狂わせる。催眠音波にも似た、耳をそばだてなければ聞こえないようなエアコンの音は時折、急に大きくなったように耳中で響いた。

 その部屋にある物と言えば、使い込まれてクッション部分が禿げ掛かった四脚のオフィスチェアに、作りだけは頑丈な味も素っ気もない会議用テーブル。そして無音で時を刻む時計。そしてテーブルの上に鎮座した型落ちのプロジェクターである。

 テーブルの上には徹夜で作った二部の報告書があり、四人の男達が思い思いの表情を浮かべて読んでいた。

「それでは報告会を始めさせていただきます」全員がざっと報告書に目を通したのを確認して平本が言った。

 片山、長谷、そして頭領の小林に平本を含めた四人は霧凪社本社地下一階の会議室にいた。まだ朝の九時を少し過ぎたばかりだと言うのに空気は既に淀んでいる。徹夜明けの中年男が三人もいれば否が応でも空気が淀んでも致し方ないが。

「えー、昨晩の一件についての報告です。被害者の名前は佐藤誠さとうまこと。男性。年齢四十二歳。光矢社こうややしろの正規の討魔士とうましです。死亡場所は月下坂自然公園つきしたさかしぜんこうえんの中央に広がる林の……」平本は資料をつらつらと抑揚のない声で読み始めた。

 皆はその言葉に合わせて紙の上に視線を動かして各々勝手なことを考えている。平本は平本で読んでいる部分、つまり被害者である佐藤の事よりも、この先にある癒衣ゆいに言及した部分の方に気が向いていた。このことを本当に周知して良い物か今でも迷いがあった。

 平本の言葉が狭い会議室に響く。紙の上でペンを踊らす音が場を盛り上げる音がコーラスのように囁いている。いよいよ、核心の部分の近付いてきたと弥が上にも平本の心は悶えた。

「殺害の直前、被害者は振り向いて加害者に背を向けました。その隙を突かれて加害者に首を斬られて死亡したものと推定されます……状況から見て、協力者が存在した可能性が高く……」

「協力者? 人か、それとも怪異かいいか?」そう口を挟んだのは小林であった。

 御年七十八歳。長身痩躯にして視線は鋭く頭には真っ白な頭髪を後ろになでつけている。目立つ鷲鼻も相まって猛禽類のような印象を人に抱かせる。無口で表情の変化にも乏しいが、外見から受ける印象よりは幾分か付き合いやすいく義理堅い、昔気質な性格だと言うのは社の皆が知るところだ。

「痕跡が残らないよう周囲から自身を隔絶していたようで、現場検証では何も分かりませんでした。現在は消火活動も終わって鑑識が調査をさせていますが、今のところ新しい情報などは……」

「癒衣の能力で気を逸らされた可能性は? 奴の能力は具象化とあるが、それならば後ろから肩を叩くなりできると思うが」

「その可能性は低いと思われます。被害者は完全に癒衣に背を向けており、何かがそこにいたと考えるのが自然な格好でした」

「第三者とやらの検討はついているのか?」

「いえ、なにも……実のところ癒衣の捜索もまだでして」

 平本が申し訳なさそうに言った。本来の手順であれば昨晩の内に討魔士を配備をして癒衣を探していた。しかし、霧凪きりなぎの置かれた状況と、起こった事件——外の討魔士が一人死んだと言う事実とを天秤にかけた結果、警戒網を敷く必要はないと言う結論に達した。第三者の存在が不確定である以上、事を荒立てなくなかったのだ。その間に癒衣が逃げてしまえばそれも良しと言う打算が働いたのも事実だった。

 同じ討魔士が怪異に殺されたに動かないとは何事かと思われるだろうが、霧凪社は公的な司法ないし治安維持機関ではない。政府——常円から免許を与えられているがどこまで行っても私企業、民間軍事会社でしかなかった。所轄で発生した事件なりを調査し常円に報告する義務はあれど、その後の行動は社の判断に委ねられる。余所の討魔士が仕事で失敗して命を落とした程度の事で緊急配備ををする方が珍しかった。

「……既に社の何人かにはアリバイを確認しています。時間が時間だけに家にいた者がほとんどで、アリバイらしいアリバイがある人間の方が少なかったですが」

「そうか……これ以上の内部調査は必要あるまい」小林はやんわりとした口調で言った。

 その後に続く報告はつつがなく終わった。これと言った進展はなく、癒衣に接触して尋問する他に事実を知る手立てはないと言うありきたりの結論を再確認するに留まった。小林は終始読めない表情を浮かべ、長谷の顔は終わり頃になると始まる前より少し血色が良くなっていた。平本はその顔を見て確実に長谷は癒衣の討伐を進言するのだろうと思った。

 平本が資料を閉じると、長谷が自分の資料を手に取った。皆はそれに習って彼の作成した資料に目を通し始めた。

「それでは、昨晩発生した気質の揺らぎについての報告をさせていただきます」

 しばしの黙読の後、長谷が言った。平本のそれと比べると声に張りがあった。

「本報告書は四月十三日の午前二時三十六分二十秒に観測された気質の揺らぎについての調査してまとめた資料です。現場は白天町二丁目の県道百五十五号線と百五十六号線をつなぐ支線で……」

 長谷の資料には複数枚の画像が貼り付けられてある。樹木や地面についた、鋭いナイフでこそげ取られたような痕跡や不安定な気質のグラフを基にして報告書は小中規模の物質変換が発生した理由であると結論付けてある。しかし、資料が本当に伝えたいことはそこではないと全員がなんとなく分かっていた。

「……以上の事実から、この場所で物質変換が発生したものだと思われます。さて、その理由についてですが、現場に物的証拠がないことから原因を断定することは難しいと言わざるを得ません…………しかし、平本さんの報告書の事実と照らし合わせると、やはり癒衣と第三者が関わっていること可能性が高いかと思われます」

 報告書を一通り読み終えると長谷が唐突に言った。その目は小林に向けられていた。

「その可能性は高いようだな。先ずは癒衣の居場所を突き止めて、身辺調査をするのが良かろう」

「ええ。その通りです……その仕事は防衛部で行いますが、よろしいですか?」

 小林が長谷に厳しい視線を投げかけるが、長谷も負けじと視線を突き返した。

 無言の圧力が狭い会議室を更に狭くする。重苦しい空気が皆の間に流れるが、それも一瞬だった。

「構わん。癒衣の周辺の捜査と尋問……くれぐれも事を荒立ててくれるなよ?」

「ええ。癒衣が協力的である限りは……」長谷はそう言って深々と頷いた。

「……それでは癒衣の身辺調査と尋問を防衛部にて行い、その結果を受けて次の作戦を練ると言うことでよろしいですね」片山が全てをとりまとめるように言った。そこにいる全員が——言った片山ですら——念を押すように黙って頷いた。

 そうして会議は緊迫の内に、参加した皆の心にわだかまりの残したままに終わった。男達は内に秘めた宝をひた隠すように押し黙って会議室を出て行った。


 長谷は自席に戻り、呼び出した部下がオフィスに現れるのを待っていた。二十畳ほどの素っ気ないオフィスには彼の物を含めて十二台のオフィスデスクが長方形に並べられている。四方の壁は扉のある部分以外は全て中身のぎっしり詰まった棚で埋まっている。

 彼以外に人はおらず、部下は全員がトレーニング場にいるかさもなければ町の見回りをしていた。防衛部は社並びに管轄の警備を主な仕事とする部署である。一言で警備と言っても、社の警備から澱みよどみの浄化に怪異の討伐と仕事は様々であった。もっとも、怪異の討伐に関して言えば、他部署に所属する討魔士もしているので防衛部の専売特許と言うわけではないが。

 ドアが開いてオフィスに部下が入ってきた。長谷は顔を上げて見ると彼が呼んだ三人の部下であった。

「お待たせしました」先頭にいた杉山が言った。

 彼の声が室内に反響する。坊主頭に鋭い目、引き締まった身体の男だが、如何せん身長がそれ相応になくやや迫力に欠ける。ジャンプスーツにタクティカルブーツと言う出で立ちで都市景観に紛れるつもりは微塵も見られない。今時はそんな格好の人間も珍しくないので長谷としても注意をする事はなかった。なにより、長谷の思うところでは、今回の仕事では杉山の格好がもっともふさわしかった。

 杉山の後ろには高橋と香田が控えていた。高橋が二十三歳でやや細身で今風の髪型に、やや流行遅れの三つボタンのスーツに身を包んだ細身の男で杉山よりも僅かに背が高い。

 香田は高橋より二つ年下の二十一歳の女である。長い黒髪にかわいらしい顔立ちだが、どこか垢抜けない。黒にも濃紺にも見えるツーピースのスーツにヒールの低いパンプスと言った出で立ちだ。彼女の着ているそれは討魔士用に仕立てられた専用の物なのだろうが、長谷には就活中の学生に見えて仕方がなかった。

「訓練中悪かったな……実は頼みたい仕事があってな。化け猫のことは知っているだろう?」

「あっ聞いたことがあります。あの三毛猫ですよね? 商店街でたまに見かける」そう言ったのは香田であった。

「そうだ。昨晩にそいつを狩りに東京から着た討魔士が返り討ちになってな。その一件に協力者がいる可能性が浮かび上がった」

「人ですか? 怪異ですか?」杉山が訊ねる。

「それを調べるのが今回の仕事だ。癒衣とその協力者を探して尋問しろ……奴が少しでも怪しい動きをしたら即座に殺して構わん」

「はい……分かりました」

 長谷の言葉に杉山が重々しく頷いた。無言の了解が二人の間で交わされたのだ。

 その後、長谷は印刷した癒衣の討伐依頼書を渡し、知っている限りの情報を三人に伝えた。とは言っても長谷が集められた情報と言えば常円に出されていた討伐依頼書と平本と片山の調査資料、紙にして二枚半と言う僅かな量であった。しかし、怪異の討伐の始まりはこのような僅かな情報から始まる事が常であった。物によって顔も正体も分からない存在を探し当てて殺すと言った、探偵さながらの働きを求められる事すらある。

「……以上が今時点で分かっているすべてだ」

「化け猫と協力者一人に対して僕ら三人と言うのは多すぎじゃないでしょうか?」

「高橋がそう思うのも無理はないが、今回の仕事は迅速且つ絶対にミスの許されない物だ。三人ってのは安全マージンだ」高橋の疑問に対して杉山が答えた。

「あ、そういうことなんですね」

その辺り高橋は言葉を額面通りに取り過ぎる嫌いがある。今の質問も長谷の言葉をそのままに受け取った事に起因した。理解力や論理的な思考能力は高いのだが高橋と言う男はどうにも想像力や人間味に欠けていた。杉山の言葉で彼がどれだけ理解したかは高橋本人のみぞ知るところだ。

「癒衣が協力者と一緒じゃない場合はどうすればいいでしょうか?」香田が手を上げて言った。

「先に尋問をして構わない。協力者に関しては存在する可能性が高いと言うだけで、実際にはいないとも限らないから態々探すこともない。仮にいたとしても人であった場合は迂闊には手を出すな。人でないなら癒衣と同じように対処しろ。重ねて言うが……癒衣が穏便な態度を見せる限りは我々は手を出さない。このことを肝に銘じておけ」

「大丈夫です。今すぐに仕事を始めても問題ありませんか?」

「ああ」杉山の質問に長谷は軽く頷いて答えた。


 杉山達が去るとまたオフィスは静かになった。長谷は中空に目を泳がせて、内ポケットにあるタバコのパッケージの頭を摘まんだが、少しして懐から手を出して机に置いた。タバコに手をかけた瞬間に胸が押さえられるような嫌な感覚がしたのだ。

 長谷は自他共に認めるヘビースモーカーであったが、緊張を強いられる時に限って喫煙と言う行為に対して生理的な嫌悪感が湧いて出た。恐らくは身体が拒否するのだろうが、頭が欲していると言う板挟みの状況はスパイラル的に彼を苛んだ。

「はぁ……」ため息しかでなかった。

 杉山達であれば失敗もなく仕事を終わらしてくれるだろうという期待はあったが長谷は家に帰る気にはなれなかった。家に帰っても恐らくは彼らのことを気にしているだろうという確信があったからだ。四十半ばを過ぎて妻子はなく、ただ帰って眠るだけの場所に安らぎや自分の時間と言った上等な物は存在しない。長谷にとって家はオフィスの延長でしかなかった。

 社で仕事をしている方が良いのだろう。長谷は気持を切り替えるようにスクッと立ち上がり、オフィスを出てトレーニング場を目指した。

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