第2回

 失意の妹は、半ばノイローゼ状態で、兄の葬儀も行おうとせず、その亡骸なきがらも、数日間ずっと地下室に安置したままだった。

 館の地下は広く、幾つもの部屋があって、おまけに夏場でもひんやりするほど涼しい場所だ。

 腐敗の進行は通常よりも遅く、遺体の保存にはうってつけの場所だったが、それでも五日も過ぎるといよいよ腐敗臭が漂い始めた。

 しかし妹は、兄への強い愛着から、なかなか埋葬する気になれず、何とかもう少しこのまま一緒にいたいと願った。

 そしてついには、自力で遺体の保存方法を調べ始めたのだった。

 館の書庫には、書痴しょちだった父が集めた古今東西の珍しい専門書が、今も残されている。彼女はそれらの中から、役に立ちそうなものを探し、何時間も読みあさった。

 それは狂気の一念であったのかも知れない。

 自分の行いの異常さに多少の自覚はあったし、正気を失ってしまうのは恐ろしかったが、それでも自分の行動を抑えられなかった。

 愛する兄を、冷たい土の下にめてしまうなんて、絶対に嫌だと思った。

 そして何より、この世界にたった一人残されたと言う現実を受け入れる事が出来なかった。その孤独感にさらされる事が、えられないほど怖かったのだ。

 幸い、館の地下室には様々な薬品類がそろっていた。

 それらの薬品の中に、遺体の保存に使えそうなものがあるかも知れない。

 地下室の薬品は、一部は両親が応急のために買い揃えたものだが、そのほとんどは、彼らが館を購入する以前から置かれていたものだと言う。

 生前の父から聞いた話では、旧体制の時代に軍が残したものらしいが、信憑性しんぴょうせいは定かではない。しかしこの館は、戦前の一時期、軍の管理下にあったのは事実のようだ。

 昔、館の地下には軍の研究施設があって、ドイツから招かれた著名な科学者が、何らかの秘密実験を行なっていたと言う。

 噂では、戦争捕虜を被験体ひけんたいとした残酷な生体実験だったとも伝えられ、今でも不気味な怪談として、近隣の町や村で語られていた。

 実際、館は兄妹の両親が入居するまで、通称「呪いの館」などと呼ばれ、地元の人たちにみ嫌われていたのだとか。

 兄妹の両親以前にも何人かの先住者はいたが、皆、原因不明の病や事故など、突然の不幸に見舞われ、長く住み続けた者は一人もいなかった。

 ともあれ――

 妹の努力も虚しく、結局、専門書をどれだけ読んでも、複雑な工程や技術なしに、遺体を保存する方法は見つからなかった。

 魚や家畜のように冷凍などにはしたくなかったし、身体を切り裂いて臓腑ぞうふを抜き取ったり、傷つけるようなマネも避けたかった。

 大切な兄の身体を、無様な剥製はくせいなどに出来るわけがない。

 妹はひどく落胆したが、けれども予期せぬところから、一条の光明が放たれ、小さな希望を射し照らした。

 地下室に古い隠し部屋を見つけたのだ。

 それは薬品棚を整理していて、偶然発見した部屋だった。

 棚の小瓶の一つがスイッチになっていて、たまたま触れてしまった。その途端、柱の一つがガリガリと回転して、四角い入口が現れたのである。

 入口を抜けた先には四畳ばかりの小部屋があって、角に設置された整理棚つきの木製机には、書類の束が無造作に積まれていた。

 書類は研究室時代の文書らしく、見ると過去の秘密実験の詳細と思しき、暗号のような文字や図形が記されていた。

 その文書によれば、この地下の何処かにハイリンゲン・ブルート(聖なる血)と呼ばれる異端の秘薬が隠されているのだと言う。そしてそれこそ、妹の求める人体腐敗を半永久的におさえる薬品そのものだった。

 この偶然の発見と奇蹟に、彼女はこの上もなく歓喜した。そして同時にそれは、更なる狂気への入口でもあった。


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