第16話 そして私は気付く

 まだ日は出ていて、茜色に変わる気配はない。


「私の事、嫌い?」


 凪咲の言葉が、耳から離れずにいました。その言葉を頭から消したくて、運動着に着替えて家を出ました。走れば気分も変わる、そう思ったからです。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 ――私の事、嫌い?


 この言葉には、聞き覚えがありました。いや、言い覚え、と言った方が良いのでしょう。

 最初は、ただ友人にからかわれているだけなのか、と思って聞いたのを覚えています。


「え?今更何言ってんの?」


「そもそもさ、私たちが?」


 ノーとは答えないだろうと、何処かで勝手に思っていたのでしょうか、覚えている限りではあれが、あれこそが友人関係に絶望した瞬間だったと思います。

 答えは飽きたから捨てた、などとと平気な顔で言うお金持ちのような、酷く身勝手で、傲慢で、感情のない暴言。権限は全てあちら側にあって、こちら側に関係を保とうとする権利なんて無いくて。


 そして今、私はその"あちら側"に立たされています。あの時と違うことがあるとするならば、今の私はあの子を嫌ってはいない、ということ。好きかどうかが、ハッキリとしていないということです。

 あと少しで、あの子に、天海凪咲と顔を合わせなければならない。その時までに答えを探さないと·····


「·····あれ、つ、月乃さん?」


 聞き覚えのある声に名前を呼ばれました。背後から現れたのは、小路こみち弥生やよいさんでした。自転車に乗っていた彼女は買い物帰りなのか、前のカゴに膨らんだビニール袋が入っていました。




 二人並んでの帰り道。彼女とはあまり話したことが無かったので、私としては逆に他の2人と比べればいくらか気まずさはありませんでした。小路さんはさっきからずっと気まずさを顔に浮かべながら、隣で自転車を押しながら歩いています。彼女の歩くペースが遅いので、道歩く人はどんどんと私達のことを抜いて行きました。


「·····ねぇ」


 長い沈黙の末、一番最初にそう声を発したのは私でした。気が付いたら口を開いていて、自分でも驚いてしまいました。小路さんも呼ばれるとは思わなかったようで、肩を震わせて驚いてしまいました。


「え、えっと·····」


 困り果てている小路さん。切り出しておいて何も続けられない私。そうこうしている内に、二人が別れる交差点に辿り着きました。


「えっと、で、ではまた後で·····」


 そのまままっすぐ進む私に対して、小道さんは曲がり角を曲がっていきます。その背中を見送ろうとしたその時、彼女がふと振り返って私を見てきました。


「あっ、あのっ。·····ええと、わ、私が言ってはいけないことだと思いますが·····」


「·····」


「し、信じていいことも、あると思います!昔の事ばかり気にして·····子どもじゃないんですから!」


「·····」


「そ、それではさようなら!」


 小路さんは今まで聞いたことのない大きな声を残し、今度こそ帰っていきました。

 恐らくあの言葉は私を説得しているのではなく、叱咤激励しているのでもなく、天海さんを想っての事なのでしょう。なんの論も成り立たない、感情ばかりの拙い言葉。しかし私にとっては、その言葉が濁った心に深く突き刺さりました。


「·····ふふふ」


 無意識に、笑みが零れていました。数年前から失っていた、悔しさと喜びの感情。それは私の濁り、穢れた心を洗い流してくれているようで、今までの態度を忘れて笑いました。そして、それと同時に"あんな弱気な、静かな子の方が、私よりずっと大人だった"という現実を知り、悔しさも感じてしまいました。その時に何かが吹っ切れたのか、その帰り道の足取りは、いつもよりずっと軽く感じました。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る