第80話 新たな仕事

 「そうか。八つの頃から働いていれば、使用人としても短くないな」


 そう、確認された。声の主は、カーナーシスさん。ジェイムズさんの、スポンサー。


 「はい。ですが、余り仕事ばかりでしたので、技量は、有りません……」


 「イヤ、構わない。どうせ普通の使用人としての仕事なんて、多くはない」


 炊事洗濯が出来れば、後はジェイムズが教えてくれるだろうよ。カーナーシスさんは、そんな事を言った。ただ――


 「まあ、ジェイムズはなあ……。あれで、結構厳しい所があるから、頑張れよ」


 「そうなんですか……。努力、します」


 本当だろうか。クライミングが絡まなければ、いつもニコニコしてるイメージしか無いけれど。

 うん、大丈夫。厳しくされるのは慣れてる。其れくらいじゃ、へこたれてらんない。


 「其れじゃあ、宜しく頼む――アデノア・フォックス」


 「――はい。お願いします」


 名前で呼ばれたのは、久しぶり。

 これで、カーナーシスは私の雇い主だ。


 (こうなって。良かったかは、知らない)


 良いことか、悪いことか、そういうことじゃない。

 私は、登りたかった。より高い場所へ行きたかった。だからあの日、私はお願いした。




 『――ジェイムズさん、わたしを連れて行ってください』


 『――うん。良いよ』




 結構な覚悟決めて言ったのに。結果はあっさり。少し、拍子抜けしたけれど。うん、嬉しい。

 考え事に、一瞬耽ってしまったけれど。

 ――どん。カーナーシスさんに書類一式を手渡されて、引き戻される。


 「――其れじゃあ、此れが書類一式だ。来週の終わりまでに、書いて持ってきてくれ」


 なかなかの量、何十枚かはあるだろう。

 ――うん。不味い。


 (読むのも、書くのも、得意じゃない……!)


 と言うか、出来ない。読みはまだしも、書きに至っては、殆ど。今まで碌に、習ってこなかった所為せい

 此れじゃあ、またクビだ……


 「分かりました……」


 取り敢えずの、返事をして。


 (ジェイムズさんに……聞こう……)


 手伝う相手に、手伝わせるのが、一番初めにやることか。自己嫌悪の念を膨らませつつ。


 「其れでは、失礼します!」


 「ああ。しっかりな――」


 一礼して、退室する。

 最後の、カーナーシスさんの顔は、上手く見れなかったけれど。


 (悲しそう、だったかも)


 詮索、すべきじゃ無いだろうから。

 誰も居ない廊下、誰も居ない階段、誰も居ない戸口。ただ、門まで一直線に、歩き進めて。




 「――おかえり。長かったね」


 「はい。少しカーナーシスさんと、お話してました」


 「へえ――」


 何の、とは言わない。

 ジェイムズさんも、問いはしない。


 「そうだ。貰った書類、明日には出すよ。こういうのは、後ろ回しにしても、良いことないからね――」


 「はい。其れなんですが――」


 丁度いい。ジェイムズさんに、教わらなければいけないんだ。

 そんな、軽い気持ちで。


 「私、読み書きが余り出来なくて……。今日、手伝って貰えませんか?」


 ジェイムズさんに、聞いてしまった。


 「――フォクシィ。駄目だ」


 「え」


 ――断られるとは、思って無かった。

 ジェイムズさんが、真顔に為る。怒っているんじゃないけれど、ちょっと、恐い……。


 「――其の契約書類は、君が読み書き出来るから意味が有るものだ」


 書かれた内容も、書いた意味も理解らないで、どうして成り立つ。ジェイムズさんは、どんどん続けて。


 「第三者に立ち会って貰っても良いけど、其れは無駄な金が掛かるし、君のためにならない。フォクシィ、いつまでに出せと言われた?」


 「来週末、です……」


 「そう――」


 ジェイムズさんが――少し、考えて。


 「――取り敢えず、読みだけでも出来る様にするよ。あと一週間半、出来ない話じゃ無い」


 いや、ジェイムズさん。


 (十と何年で、覚えられなかったのに!)


 幾らなんでも、無理が有る……。


 「じゃあ。カーナーシスさんに、ギリギリになるって言いに行くよ」


 「……はい」


 でも、其れは決まった事らしい。ジェイムズさんが、屋敷にスタスタと歩きだす。

 どうしよう。出来なかったら、どうなってしまうのか。


 「取り敢えずだ。人に頼み事をするのは、悪いことじゃないけれど。――其れの意味は、考えなきゃいけない」


 其れをしようともしない奴は、嫌いだ。

 ジェイムズさんが、ボソリと呟いて。


 (ああ。私、舐めてた……)


 ジェイムズさんは、確かに優しいけれど――


 (――其れは、やるべきコトをやれば、だ)


 私は、金を貰って働くのだから。 

 このままじゃ、行けなかった。漫然としか考えていなかった此れからに、不安を感じるけれど。


 (ううん。大丈夫)


 そう、大丈夫――


 (――此れも、私の翼になる)


 ポジティブな気持ちで、私はジェイムズさんの背中を追った。




 「――なあ、そう言やさ。あの兄ちゃん、やっぱりどっかで見たこと有ると思うんだが……」


 いつもの、行きつけのパブ。昼間っからワイワイ騒ぎつつ、坊主頭が聞いた。

 相手は勿論、白髪の方。


 「お前、未だ気付いて無かったのか……」


 「え、そっちは知ってるのかよ」


 白髪は頭を抱えて。其れで、答えを言う。


 「この間出た雑誌、クライミング・マスター。アレの表紙の、写真にでっかく載ってたろうよ……」


 「ああ、其れだ!」


 坊主頭が、余りにすっきりした顔でいるものだから、白髪も呆れるしか無い。


 「お前読んでんのに、何で解かんないかな……」


 「いやあ、迷ったんだけどさ。お前が買ったって言うから、立ち読みだけして帰った。どうせ読ませてもらえるワケだしな!」


 やれやれと。白髪が溜息をついて。坊主が、変わらずケラケラ笑って。


 ――クライミング誌の売上は、まだ、まだ。

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夜更けのクライマー 大和ミズン @MizunYamato

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