第76話 I WOULD GIVE YOU ANYTHING

 トライ開始から、一ヶ月目。


 「ふッッ!!」


 僕は跳んだ。此れで、どれだけ跳んだか。理解らない、理解らないが。でも、その全てで落下フォールしたコトだけは、覚えている。


 (いけ)


 行ってくれ。

 伸びた左手は、弧を描いてホールドへ。引きつける右の広背筋が、僕を上へと導いてくれると信じている。


 「――ッッ」


 左手が触れる。岩肌へ――其処に在るホールドへ。

 指先を折るように、前腕の肉も収縮して。


 「――――ッッ!!」


 そして――




 ――当然の様に、左手から滑り落ちた。




 「くそっ」


 別に、惜しくはない。

 もう、ずっと同じで。


 「くそう……」


 変化が無いのは、辛い。凄く辛い。

 此れが自分の限界なのかと、どうしても思ってしまって。


 (フォクシィは、凄いな)


 彼女は、一年も同じ課題に向かい続けた。

 何ヶ月も、一つのパートと戦い続けた。


 「同じくらいの歳の僕だったら、逃げてたかな」


 どうだろうか。

 実際のところは理解らない。だけど、さ。

 

 「引けないよなあ」


 僕の前に、壁が在って。ルートが在って。そうなったら。

 僕の身体は――


 「早く、変われ」


 ――あのルートを、登るためのモノになる筈なんだ。



 (もう、一ヶ月)


 あの人ジェイムズさんは、ずっと登り続けている。

 もう、何度も落ちて。まるで進まなくて。


 (どうしてだろうか)


 テントの中で、カメラを片付けながら。そんな疑問を、ふと思って。

 すぐに気付く。そうだ――あれは。


 「わたしと、同じ」


 そう、一緒。

 脳裏に自分が重なる。クロス取りの跳躍ランジ


 「届かないものに、手を伸ばして」


 そして、はじかれて。


 「わたしには、ジェイムズさんが居た」


 でも、ジェイムズさんには――


 「――フォクシィ、何か言ったかい?」


 男の人の丈にはかなり狭い、テントの入り口から頭が覗く。

 ジェイムズさんが、戻ってきた。


 「いいえ……」


 嘘を付いた。まただ。また上手く、喋れない。

 もう、吹っ切れている筈だった。他のクライマーを見ても、恐ろしさは少ない。


 「気のせいだったね。でも丁度いいや、お腹減ったからご飯にしよう」


 腹の虫だったかな。ジェイムズさんはそう言って、灯油ケロシンストーブを取り出す。


 (話したい)


 ジェイムズさんと、お話がしたかった。

 あの、クラタのボルダーの前に居たときのように、たくさんお話がしたかった。


 「……あの」


 しまった。こんな時に限って、声が出る。未だ、何を言うかも考えてないのに。

 背中に投げかけた音は、ちゃんと耳に届いたようで。


 「何だい?」


 ジェイムズさんが、振り返る。

 どうしよう。なんて言えば――


 「――ど、どうですか?」


 何がだ。久しぶりに、話しかけられたのに、このザマか。


 「ん……そうだね――」


 でも、ジェイムズさんは、いつもの柔らかい笑顔で。


 「――翼が、欲しいな」


 言った言葉は、よく理解らないけれど。ジェイムズさんの目は、真っ直ぐで。

 私は何となく、立ち直れた様な気がした。

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