第75話 核心

 トライ、二日目。


 「おう。今日も居るのか」


 「ええ。此処でキャンプしてまして」


 昨日の、二人組にまた会って。

 ビレイを、また頼んだ。でも。


 「くっそおおおおおおおっ!!」


 右手の寄せは、成功して。クリップも出来て。

 二手進めて、お終い。デッドで、カチが止まらなかった。


 (左手の引きの、タイミングが悪い)


 見極めて、下半身と摺り合わせて、出さなければ。




 トライ、三日目。


 いつもの、二人は居ない。

 ビレイヤーを探して、小一時間。なんとか、地元の山岳会の人達に頼んで。


 「そんなルート、付き合いきれないよ」


 都合、四回目のトライが終わったところで、振られる。


 「ありがとうございました」


 こういう日も有る。

 寧ろ、ビレイを頼むなんて不躾な願いを、よく聞いてくれた。


 「……」


 フォクシィは、相変わらずで。


 「くそっ」


 でも、僕はひたすらに壁を見る。

 頭の中じゃ、もう何度も登っているのに。




 四日目。


 「雨か――」


 生憎の、雨。ざあざあ、ざあざあ。テントの外は、音ばかり。

 やることも無いから。早めの昼食ランチ。メニューは、トマトソースのパスタ。とは言っても、茹でたスパゲッティーニに、トマト缶を絡めただけ。あとは少々、塩を振ったか。


 「美味しいかい?」


 フォークで、細かく切りながら。パスタを口に運んで。

 料理と言うには、お粗末過ぎるものの、感想を聞いた。


 「……柔らかい、です」


 フォクシィは、感想を返してくれたけれど。

 きっと、褒めたわけじゃないだろう。




 五日目。


 ビレイヤーがなかなか見つからない。

 仕方ないから、トップロープをソロシステムで。


 「こういうのは、邪道だ。クライミングは下から上へ行くものだ。其れでも、僕は登りたいから」


 そんな事を、フォクシィに言って。僕は壁に向かう。


 「そうなん、ですね――」


 呟いたフォクシィの声を背にしながら。僕の目は、壁を見上げる。




 一週間。


 「おう、登ってるか! 兄ちゃん」


 二人の男の、片割れ。坊主頭の方の人。

 ビレイだけをしに、態々わざわざ来てくれた。


 「すみません」


 「気にすんなよ。お前は、黙って登ってればいい」


 有難かった。身体に括ったロープの先に誰かが居る事が。凄く嬉しかった。

 下に引き摺る重みを備えた、9ミリ径の6,6-ナイロン束が、上に行くための活力を与えてくれる。


 「嬢ちゃん。やり方、よく見とけよ」


 「……分かり、ました」


 坊主の人が、フォクシィに手捌きを見せていた。

 僕が下に居る時は、偶にロープを握らせている。


 (ビレイ、教えてくれるのか)


 でも、フォクシィの体重じゃあ――僕のビレイは、出来ないかな。


  

 

 十日目。


 サクソンに向かう。フォクシィを病院に連れて行くためだ。


 「指は、大分いいでしょう。物を持ったりするくらいは、問題ありません」


 勿論、クライミングは駄目ですが。そう、医者に言われた。

 顔の包帯も、少し減った。


 「――――ッ!」


 買い出しもして、テントに帰って、日没まで登る。

 今日も、ソロで。


 「がああああッ!!」


 進まない。

 トップロープ、負担は少ないはずなのに。


 「――」


 苦い顔をして降りたときも。フォクシィが、僕をじっと見ていた。


 「ごめんね、全然出来ないや」


 「……」


 そんな弱音を吐いても。

 小さな瞳は、叱ったりはしてくれない。




 二週間目――


 「――ふっ」


 左手の二本指が、クラックを捉える。

 ガストン気味にねじ込んでフィンガージャム


 「はあっ」


 足が入れ代わる。右手の寄せ。きっちり決まる。

 ここ迄、大分固まってきた。


 「ひゅ――」


 そして、クリップ。

 左手を伸ばして、カラビナにロープが掛かる。


 「はっ」


 左足を送る。レイバックで、安定を取って

 

 「ひだりっ」


 右腕。

 右腕。

 右腕を、引きつける。

 よし――


 「だああああああああああああッッ!!」


 来い、来いっ。止まれっ――!


 「――取ったッ!!」


 来た。持った。カチ。

 行ける。行ける!


 「はああっ」


 右手。


 「はああああっっ」


 左手。


 「ふうっ――」


 クリップして、右手を持って。


 「っらああああッッ!!」


 左手ええッ!


 (行ける。行けるっ)


 進んでいる。

 身体が軽い。今日は、誰よりも上に行ける。


 「おおおおおおッ!!」


 取る。取る。取るっ。

 上へ。上へ。上へっ!!


 「右いいッッ」


 取ったっ。

 頭上の、親指ピンチ。

 けれど。けれど――


 (――遠いや)


 次の一手は、遥か右上・・に。

 両手持ちマッチは出来ない。出来ないから、詰まりは――


 (飛ぶ)


 右手を軸に、回転して。


 (飛ぶっ)


 左手を、交差クロスで出して。


 (飛んで、止めるッ!)


 水平に為る身体、重力に引かれる身体を。体幹の筋肉群と――何より右手、左手の保持力で押さえ込むんだ。


 「ふうぅ」


 算段は着いた。

 右足を曲げる。曲げて、溜まった爆発力が、弾けて――


 「だあああああああああああああああああああああああ!!」


 そうして、跳んだ。

 僕は跳んだ。

 凡そ15メートル程の高度において、僕は跳躍して――


 「くっっっそおおおがああああああああああッッ―うぅぅ……」


 ――でも、飛べはしなかった。

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