第74話 少しづつ

 私は見る。上を見る。

 ファインダー越しに見る世界は、今の私には、少しだけ優しい気がする。


 (今の私は――)


 何なのだろう。ロープを握ることも、声を掛ける事もしない。

 偶に思い出したように、シャッターを切って。


 (あっ)


 落ちた。ジェイムズさん。悔しがるような、声が聞こえる。

 おじさん達が、声を掛けて。私の口は、開いたまま動かない。


 (こわい)


 こわい。怖かった。何がかは分からないけれど。

 ジェイムズさんも、おじさん達も、岩の壁も。みんな、優しいものだって分かっているのに。


 (……)


 だから、暫く立ち尽くしたまま時間が経って。

 ジェイムズさんが登ろうとするのを見て、またカメラを見る。


 (こわい、ルート)


 ファインダー越しじゃなきゃ、直には見れない。

 恐ろしいルート。難しいルート。未だ、ジェイムズさんが半分も行っていない。


 (登れなかったら――どうするの)


 其れを声に出して、聞くことも出来なくて。




 「あああああッ!!」


 右手を出す。挟むピンチホールド。

 悪い。悪い。落ちる。落ちなければならない。けれど――


 「――嫌だっ!」


 左足の、かかとを寄せて。耐える。耐えて、上に上がる。左手を出す。

 小さいホールド、指先半寸くらいの掛かり。摩擦で止めて。一度、小さく身体を振って。


 「ガアアアッッ!!」


 引け、引け。デッド、止まってくれ――!

 足が切れて、宙ぶらりんに。人差し指、中指、薬指、ガチャガチャでもう何やら。親指の付け根の、なんと言うか知らない肉で、挟み込む。


 (止まった――止まったのか!?)


 どうなんだよ。理解らないけれど、持っているって思い込む。

 そうじゃなかったら、落ちるだけ。


 (落ちるなよ! 落ちないでくれっ)


 右脚を上げる。左脚を振ってフラッギング、次は左手。

 ふ――


 「ああああくそおおおおおッッ!!」


 ポケット、と言うよりは小さい縦割れ目クラック

 強引にねじ込んだ二本の指が、酷く痛い。折れてひしゃげてしまいそうだ。

 

 「左足いぃッ!!」


 上がってくれ!

 上がれば、体重が乗るんだ。だからっ。


 「ぐううううっ――」


 右手人差し指を上げて、脚を乗せる隙間を作って。

 乗れ、乗れ、乗った!?

 シューズのエッジは、ダウントウは、掛かっている筈だ。そういう風に、作ったから――


 (みぎてええええっ)


 次の寄せ。右足はもう切った。

 掛かれ、掛かるか――


 「――ダああああああああああああああああッッッッ!!!」 


 ――何で、掛からないっ。




 「其れじゃあな、兄ちゃん。良いもの見れたよ」


 「嬢ちゃんもな」


 今日はもう、体力の限界で。二人ともお別れ。


 「はい。ありがとうございました」


 「……」


 僕らは、このまま岩場でテントを張る。

 暫くの、キャンプ生活だ。


 「ごめんフォクシィ。――時間が掛かりそうだ」


 遠ざかる二人を見送って。

 テントの骨組みを出しながら、僕はボソリと呟いた。

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