第72話 雇い主

 病院で、フォクシィを一泊させて。僕達はオストックに戻ってきた。

 大した理由じゃない。今日、明日でフォクシィが働く予定だった場所に、断りを入れに行くためだ。


 (本当は、電報で済ませたかったけど。住所も知らないんじゃ、仕方ない)


 フォクシィの具合は、悪いが最悪では無かった。頬骨はヒビが入っているけれど、ズレちゃいなかった。指は、腱をやっていたが、断裂したワケでは無い。

 其れでも、どちらも暫くは使えないが。


 「何か食べたいモノとかは、有る?」


 「いえ……」


 其れよりも酷いのは、心の方。出会った頃よりも、更に酷く。


 (以前だって多分、つらい目に遭ってたと思うけど――)


 其れでも彼女は、笑えてた。

 だというのに、彼女がここ迄壊れてしまったのは。


 (働いても、登っても。否定され続けて――抗えなかったんだね)


 日雇いの労働。この辺りで出来るのは、果樹の採集と、其れにまつわるアレヤコレヤ。労働としては、マトモだけれど。其処にいる人までは、マトモとは限らない。


 「じゃあ、行ってくるから待ってて」


 フォクシィから、返事は無い。

 僕はひとり、果樹園の事務所に歩いて行く。


 (僕は、どうすべきだろう)


 考え事、そうそう答えは出なくても。ジェイムズに出来ることは、いつだって一つ・・しかなくて。




 「……ふう。フォクシィ。此れから、どうしたい?」


 たっぷり葡萄ジャムを塗った、食パンプルマン・ローフを齧りつつ。フォクシィに聞いた。

 パンは少々ぱさついてるし、僕の好みじゃないけれど。葡萄のジャムは、香り高くて悪いものじゃ無い。


 「働き、ます……」


 此方を見ないまま、フォクシィが呟いた。手に持ったパンにも、少ししか手を付けていない。


 「うん。働かなきゃ、生きていけないしね」


 肯定する。この社会は、そうやって出来ているから。文明とは、そういうものだから。

 其れで、思いついた事を言ってみる。


 「じゃあさ、お願いがあるんだ。僕がオストックに居るあいだ、僕を手伝って欲しい」


 「……」


 また、フォクシィは黙ったまま。

 でも、構わずに続ける。


 「やって欲しいのは、写真だ。報告の際に必要なんだけれど、自分じゃ上手く撮れない。周りの人に頼み続けるのだって、無理がある。だから、頼みます」


 此れは、本心。カメラを受け取ってから、何回か岩場に行ったけど。どうしても、自分で撮るのは難しい。

 一眼レフなんて、フォクシィも使ったことは無いだろうけれど。タイマーをやりくりするよりはマシだから。


 「お金は、日に此れくらい」


 紙に書いて、渡す。大した額じゃないけれど、適正な額。農場で一日働いたほうが、よっぽど稼げる筈。

 でも、労働の対価を蔑ろにはしたくないから。この額は変えない。後は、フォクシィに選ばせる。


 「……わ」


 フォクシィが喋ろうとして、言葉が詰まる。顔の包帯のせいで、口の筋肉が上手く動いてない。

 でも、もう一回。小声なのに、少し大袈裟な発音で。


 「分か、り、ました……」


 了承してくれた。喜んで、という風には見えないが。


 「ありがとう」


 御礼の言葉を言って。

 パンの、最後の一口を放り込んだ。

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