第60話 新しい波

 白熱灯の灯りだけが、煌々と照らす部屋。デスクで頬杖をつきながら、男は物思いに更ける。

 ――男は、老人である。


 肉体は、ただ朽ちるの待つだけで。精神もまた、日に日に停滞していく。焦燥を感じるべきその事実に、抗おうとするだけの反骨心は、もう無い。


 「老いとは、そういうものなのだろうな」


 未だ、体は動く、頭も回る。だけれど、未だ、だ。

 五年か、十年か。否、もっと早いかもしれない。其れくらいで、きっと駄目になる。人間としての役割も、生物としての機能も果たせなくなる。


 「それで良い。社会も文化も、作るのは若者だ。老人に出来るのは、その若者たちが活躍する場を、少しでも広げることだろう」


 脳裏に、青年の姿を思う。自分がスポンサーになった青年。ジェイムズ・マーシャル。


 「何時迄も、パトロンをやれるワケでも無いものな……」


 自分が死んだら、アイツは職を失うワケだ。その気になれば、クライミング・バムでも悦んでやりそうなものだけれど。日雇いの労働力は、賃料の安いドワーフで事足りている。


 「実家は裕福だという。路頭に迷いはしないだろう」


 その代わり、専業のクライマーでは無くなる。そうなれば、私が惚れ込んだ技術も肉体も、すぐに衰えていくだろう。

 最悪、自分の遺産をやることもできる。孫も子もいない。妻には先立たれた。其れが最も単純で、良い方法なのかもしれないが。


 「いや違う。私が見るべきなのは、ジェイムズそのものでは無くて、その先にあるものだ」


 ジェイムズだって、いずれ老いる。その時に、アイツの持っている全てを、アイツ一人で完結させないために。そのためにこそ、私はスポンサーになったのだ。

 ――だから。


 「――掛け合う所が出来たな」


 私は、カーナーシス。鉄の男としては、既に錆びついた身でも。財界では、未だその名を知らす勇である。

 そうと決まっては、デスクに暗い影を落としている場合ではなかった。




 「ソレで、何ですか。お話って言うのは――」


 後日、カーナーシスは一人の男と落ち合った。

 雇われ記者から叩き上げで、とある雑誌の編集長に上り詰めた男である。未だ四十代、思想も比較的には先進的。

 名前を――


 「――私が君を呼ぶんだ。勿論、山で、雑誌の話だよ。ピーター」


 「そうでございますか」


 ピーターは、登山誌の編集長である。自分自身も山をやる。カーナーシスとの間柄は、過去の登山史についての特集の際の、インタビューをしただけであるから、今回もそういう話なのは分かっている。


 (今日は、休日だったのにさあ)


 カフェのテラス席。洒落た雰囲気に似合わない中年と老人が、コーヒーを啜りながら話しても、楽しいワケがないのだ。それに――


 (読めないよなあ)


 一介の、趣味娯楽雑誌の編集長が持つ権力は少ない。それなのに、こんな大物が出しゃばって話しを持ちかけて来るのだから、相当に骨が折れる内容になるだろう。

 無理難題でも、無下には扱えないのだから。


 「――それで、具体的な内容は?」


 引き伸ばしたって仕方ない。こんな面倒な面会はさっさと終わらせたかった。

 カーナーシスにも、別に長々と話す理由は無い。単刀直入に、本題から切り出していく。




 「新しい山岳誌、否、クライミング誌を作らないか――」


 ピーターは頭を抱えた。やっぱり、厄介事じゃないか、と。 

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