第57話 好敵手

 二段ベッドの、主のいない上の段。其処に掴まって、フォクシィは懸垂をしていた。

 懸垂は基本のトレーニングだと、ジェイムズが前に言っていたから。二日おきくらいで、出来る限り。


 (チンニング。水平懸垂。片手ロックオフ)


 手を変え品を変え、体に鞭を打つ。

 今日は生憎の雨で、外には登りに行けないから。特にハードに、トレーニングを重ねる。


 (懸垂は終わり……)


 腕に、背中に。乳酸が溜まっている。蓄積した疲労に音を上げた筋肉が、これ以上の負荷を拒む。

 其れでも、休憩は未だ。


 (次は、スクワット。片足づつ――)


 此れをすれば、バランス感覚がよくなるとか。スラブに強くなるとか――そんな事を言っていたのも、ジェイムズで。

 確かに、何となくだけれど効果を感じて。だから、余計にやめられなくって。


 (取り敢えず、二十回!)


 深呼吸をして、右足から屈伸させる。以前は、一回をやるだけでもまともに出来なかったのに。随分と上達したと、フォクシィは思う。


 (次っ、左足!)


 自分に厳しいだろうかとか、そういう事を考える機会は、今までフォクシィには無かった。だから、常に精一杯。仕事をこなすのに、支障が出ないギリギリまで、自分を追い込んで。

 ただ、少し――


 (っふう。トレーニングは、楽しいなあ……)


 ……普通では、無いかもしれない。




  ――トライを始めてから、実に一ヶ月。


 「ダアッ……!!」


 両腕を広げて。オポジションを得て。フォクシィの足が上がる。


 「乗った!」


 左足の爪先は、サイドホールドを確実に捉えて。返す刀で、左手が、上へと伸びる――


 「止まれ……」


 止まるとも! 確実な安定を得た肉体。限界の動きムーブで蓄積した疲労に、彼方此方あちこちが悲鳴を上げようと。確かな二点支持が、フォクシィの左手を先へと導き、保持させる。


 「ようしっ」


 疲れてはいるが、調子よく。左足を其のままに、フラッギングで、次手へと出て――足は切れるけれど、手は悪くない。振れた体を、サイドホールドに、左足のヒールで止めて。


 「シッ――」


 右腕を引き付けて、正対で上へ出る。カチだが、問題ない。

 そして、来る。第二の核心部、止められるか――


 「左足、上げて――」


 先ずは、足を上げてのフラッギング。しっかりと振って、左腕も引きつける。そして――


 「来いッ!」


 願うように、カンテラインへ、右手を出す。届く限りの何処を掴んでも、良くはないから。其れを、保持力で止めきらなければ――

 右手が伸びて、指が岩の角へと触れる。第二関節が掛かる。挟み込むように、胸に力が入って――止まった!


 「ふっ」


 でも、気は抜けない。未だ核心を超えていないのだから。

 足を乗せ換え、左足を先に送る! クロスで、左手もカンテラインまで届けと、出して――




 「――ハアァッ……」


 息が続かない! 力が抜けて。左手がカンテラインを触る前に、重心が壁から離れてしまった。


 ――ダンッ!


 またも、フォクシィは地面に落ちて。


 「いい加減、悔しくなって来た……」


 此処で落ちるのは、実に三度目。毎度のトライで辿り着ける訳じゃ無いからこそ、此処ぞで落ちる悔しさは一入ひとしおだ。


 「でも、やれるんだ」


 だからこそ、少女フォクシィは折れない。戦うことを覚えたからこそ。引いたりはしない!

 

 「君の名前、付けたよ」


 岩肌のラインに向かって、フォクシィは話しかける。マトモな人間が見れば、随分と奇特な光景だけれど。

 でも、可笑しいことなんかじゃ、無い。




 「――小人のトラバース。絶対、登るから!」


 ――いつもの丁寧な言葉遣いも忘れて。フォクシィは改めて、己が好敵手へと、挑戦状を叩きつけた。

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