第54話 揚々と

 早朝。通り慣れた、いつもの道を。今日は駆け足で、走り抜けて。

 逸る気持ちと共に、前へ前へと進む足が。私を、あっという間に目的地へと運んだ。


 ――通い慣れた、クラタの岩場。


 此処の所。色々な事が上手く行ってる気がする。

 ジェイムズさんと出会えた。人の目を見れるようになった。旦那様の次男、スティング様からの呼び出しが無くなった。使用人長からは褒められた。可愛くて優しいシエラ様が嫁いで来る。そして何より、ハートブレイカーを登ることが出来た。


 「私が登っていなかったら、こうは為らなかったのかも」


 そんな気がするくらいに、クライミングが私を変えた。だから、此れからも。私は登り続けるのだ。

 そんな揚々とする気分が、今日の私を駆り立てて。休む間も無く、準備運動を始める。


 「うん。今日も頑張るんだ――」


 ――私は、アデノア・フォックス。フォクシィと呼ばれることも、ドワーフであることも。最近は、あんまり嫌じゃない。




 「――ふう。そろそろ大丈夫かな」


 袖を捲って、裾を絞って。裸足で取り付いていた岩肌から、フォクシィは降りた。

 すっかり固くなった足の裏。ジェイムズから貰ったシューズも、ちゃんと有るけれど。その渡した本人が、「裸足での登りも続けた方が良いかもしれない」と言ったから。フォクシィは律儀に続けている。効果の程は定かではないけれど。


 「次は――」


 そうして、別の岩に目を付ける。今日の、本命。ジェイムズに貰ったトポにも無い、比較的低い、岩のライン。


 「多分、出来るよね」


 今の自分に、という事では無い。撃ち続けて、何れ登れるようになるものか、という意味。

 岩の右端をSDシットスタート。左のカンテに抜けて、上に登る。何手だろうか。横に6メートル程のライン。とても低い位置を通るから、ジェイムズには恐らく、狭すぎるだろう――登れないことは無いだろうが。


 「いや、やるんだ」


 どうにも、調子良く。フォクシィは、此れは自分のためにあるルートだと、そういう気になって。

 足を払って、シューズ履く。未だ降りたばかりだけれど、休みはしない。自分にある時間は少ないから、其の限りを、なるべく登攀に費やせるように。


 グッ――


 レースを締めるフォクシィの手に、力が入る。新品の様に、とはいかないけれど。良く磨かれたシューズ。

 毎日掃除する度に、内も外も汚れる事を嘆くが。其れで、履くことを止めたりはしない。物は、使わなければ意味が無いから。


 「よし!」


 両足、締め終わって。軽く足を動かし――問題ないだろうと。

 未だ、名前の無いルート。なんて名前にしようかと、そんな事を思いながら、フォクシィが行く。


 ――開始点に両指を掛ける。右足先を、スタンスに置いて、地面に座って。


 「多分、出来ないんだろうな」


 勿論、登り切るつもりでやるけれど。フォクシィは何となく察していた。

 其れでも、構わないのだ。時間は、幾らでも有る。ハートブレイカーは一年掛けた。随分と遠回りだったと思う。




 最後に、大きく。深呼吸をして。人生で一度きりの、オンサイトトライ。その一手目に、フォクシィは手を伸ばした――

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