第44話 慣れないもの、慣れた話

 ヒブリア行の特急、始発電車の中。向かい合わせの、四人がけの席。自分以外に、人は居ない。

 だから、広げた折りたたみ式のテーブルを、ジェイムズは躊躇なく使わせて貰う。水筒、軽食、そして――


 「――いまいち、使い方が理解らないんだよなあ……」


 ボソリ、と声を漏らして。何のことか。否、判る。ジェイムズの手の中には、重々しい一つの機械。


 「カメラなんてさ……」


 所謂、一眼レフカメラが、収まっていた。




 帰省時の登攀についての報告を、カーナーシスにした折に受け取ったものである。いつまでも紙の報告書だけじゃ味気ない、そう言って。

 ジェイムズも戸惑った。一眼レフカメラなんて、高級品。月のスポンサードの額よりも、遥かに高い値段。二眼レフでも、ショーケースの中の物を見るくらいだったのに。


 「壊れても気にしなくていい」


 そんな事を言われたのだが。気にせずにはいられない。

 けれども、スポンサーの意向で有るわけだから、ジェイムズが断れる筈も無い。


 一先ず、何本かのレンズと共に受け取って。晴れて今回の遠征に持っていく事になってしまった。レンズは、50ミリの単焦点以外は置いてきたけれど。

 道中、使い方を必死に確認する事になってしまった。




 「タイマーも付いてるんだ……」


 小さいレバーを倒せば、二十秒後には勝手にシャッターが切れるとか。試しにやってみるけれど――


 ――バシャッ!!


 ミラーの上がる音が、想像以上に大きい。周りの乗客が、何事かと見つめてくるけれど、驚いてるのは、此方もだ。


 「仕舞っておこう……」


 元々、若者の一人旅の風体でカメラを抱えているだけでも、珍しいものだ。これ以上、奇異の視線で見つめられたら敵わない。

 ケースの中に、丁寧に入れて。鞄の中へ。次にコイツを出すのは、岩の前だと安心していたら――




 「――なあ、お兄さん。珍しいものを持ってたな」


 話しかけられる。中年の男だ。

 物盗りの男かと、少し警戒するけれど。どうにも、違いそうだ。先ず、物盗りなら、こうして話しかけては来ないか。


 「ええ、仕事で入用で」


 ジェイムズがそう答える。

 中年の男は、そうかと言って。


 「同類かと思ったんだけれど、違ったかな」


 そう、続けた。

 成る程、男は、分かりやすい風体だった。季節外れの、ウールのセーター。ニッカボッカに、ニッカホースの組み合わせ。ナーゲルが打たれたブーツと来れば、決まっている。登山者である。


 「いえ、似たようなものですよ。山中には入りますから。あなたは、どちらに?」


 そう、聞くと。何処其処どこそこの山だ、一泊二日で行くんだと答えられて。

 ジェイムズも、行ったことの有る山だった。自分にも登れるけれど、一般人には少し厳しい、岩稜の山。


 「良いですね。彼処あそこは楽しかった!」


 ジェイムズがそう言うと。やっぱり同類かと、男が笑って。話が弾む。山の話。装備の話。あれやこれや。




 ――気付けば、終点で。じゃあ、俺は此方だからと、男が言って。お互い、別のバスに乗る。

 此処から先は、一人。誰かと居るのは、とても楽しいもので。こういう出会は、心が弾むものだったけれど。


 「よし!」


 ジェイムズは、気合を入れる。

 だからこそ、一人は純粋なものになれる。登るためだけの存在に。


 「バス、早く付かないかな……」


 バスのあとは、歩き。岩場までは、あと三時間もすれば着く。

 今回は、鞄いっぱいの食糧と、肝臓に蓄えたグリコーゲンの持つ限り、登るのだから。余りく必要なんて無いのだけれど。


 ――高ぶる気持ちに身を任せていれば。其れに相応しい肉体に、変わるような気がするから。

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