第8話 異人種のこ
「ああ、そういえば」
デヴィッドは言う。最初のリードはデヴィッドが取るから、体に幾つものナッツをぶら下げて。最新鋭の6,6-ナイロン製ザイルを、手際よくダブル・エイトノットに結んで、体に巻いたスリングに括っている。
「モルテンに岩場が在った。北のクラタという低山だ。ボルダーだ」
畳み掛けるように放ったデヴィッドの言葉は、ジェイムズの祝の席には良いプレゼントである。
モルテン市。確か、サクソンの、どちらかと言えば西の方。西に行けば山岳地帯に向かうから、必然、平地も減っていく。クラタという山は知ら無いけれど、その情報を知って、行かぬ訳にはいかないだろう。其れが自分の仕事だという、大義名分もある。
「岩は、どう?」
たまらなくなって、そう、ジェイムズは聞く。短い言葉は、ジェイムズの意図を示すには明らかに足りない。けれど、デヴィッドはよく解釈して、返す。
「凝灰岩かな。汚れていて確かじゃ無い。ルートの取れそうな岩は結構あった。七つくらいは見たよ。尾根筋から見えなくない位置にあるし、帰ったらアプローチ図を書くさ。ただ――」
「ただ?」
何か気になることがあるのか。少し、言葉を溜めて、デヴィッドは言う。
「先客が、いた。少女だ。――ドワーフだ」
ジェイムズは気になった。自分は反ドワーフ屋で無ければ、執拗な弱者庇護に気触れてもいない。けれど、壁面にルートを見出す者は、彼にとって
「作業着を着ていたから、労働者だろう。何でそんなことをしていたか分からない。けれど、
靴を脱いで。裸足で、登る。つまり、その日気紛れで登っていたわけじゃあ無い。
人は靴を履く。其のドワーフもきっと、靴を履いている。デヴィッドが、靴を脱いで、と言うのだから、そういうことなのだ。そして、その普段履いている靴を、岩の登攀のために脱ごう、とは普通ならない。肌を容易く傷つける凝灰岩の岩肌を、素足で登ろうとするのは、何時か、辿り着いたのだ。裸足の方が、登れるのではないかと。其れは、試行錯誤の上である筈だ。
「グレードは?」
ジェイムズは聞く。好奇心か、対抗心か。止まぬ興味が、沸々と湧き上がる。
「判らないよ。遠巻きに眺めただけだ」
デヴィッドの返事。ああ、当然なのだ。素性はどうあれ、口出しをする様な事は出来る事ではない。放って置くのが正解であろう。でも、
「けれどジェイムズ。お前も会うだろうさ。お前は登る。そして、彼女も登る」
だから。
「お前が見て、聞けば良い。岩の前で、対峙した其のときに」
デヴィッドはそう言った。まるで決まったことの様だけど。きっとそうなのだ。
「承知したよ」
やることが一つ出来た、ジェイムズはそう、独り言つ。そして――。
登攀の準備を大方終えたデヴィッドは、軽く柔軟をし始めた。
「こっちはそろそろ行けるぞ」
デヴィッドは言った。ジェイムズはエイト環の小径に通したザイルを、カラビナに掛ける。思えばエイト環の此の使い方も、デヴィッドと始めた事であった。そう思いつつ、八の字巻きに纏め直したザイルを軽く見る。
「ああ。何時でも大丈夫」
そう言って、デヴィッドを見た。体にぶら下げた、幾つものナッツとクイックドロー。其れをジャラジャラと鳴らしながら、開始点へ歩いて行く。此の姿を何回も見て来た。あと何回見るかは解らない姿。
「了解。じゃあ、頼む」
デヴィッドは、岩肌を少し撫でて。そして、クラックに手を差し込む。テーピングをした手が、ぴた、と割れ目に収まる。
ジェイムズは直ぐに送り出しが出来る様、右手を下に、左手を上に。グローブ越しにザイルの感触を確かめる。
――少しの寂しさと恐怖感に身を委ねつつ、デヴィッドは一手目を切った。
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