第33話「蛇口」

 女は、よく独り言を喋るタイプだった。

 心に思ったことは無意識のうちに、口にポロリと出てしまう。女は人に指摘されるまでそれに気づかなかったが、人に指摘されてからも、特に改善する様子もなかった。ただ、「ああ、今、自分はこれを喋ってしまったんだな」と後から気づき、後悔するようになったただけだった。


 心療内科でもらった薬も試してはいたが、どれも効果は出なかった。

 女は人間関係を持つことを避け、孤独に暮らしてていた。


 ある日、女が仕事の帰りに道を歩いていると、いつもは空き地の場所に妙な店が建っていることに気付いた。小ぢんまりとした一軒家のような店だ。

「こんなところ、あったかしら」女は不思議に思いながら、カランカランとドアについた呼び鈴を鳴らしながら、その店に入った。

 店内は内装屋のようで、壁に蛇口やら窓枠やらのサンプルが掛けてあった。

 奥にいた店主は女に気付くと、「いらっしゃいませ」と物腰柔らかに挨拶しながら、店奥から出てきた。


「いらっしゃいませ、本日は何かお探しで?」

 ラフな格好にエプロンをかけた店主の男は女の目線に合わせ、少し身をかがませながら尋ねた。

「いえ、ここの近くに住んでいるのですが、こんなところが出来たのだと気づかなかったものですから、気になってしまって……」

「ああ、なるほど。ではウチの店のご説明をいたします」


 店主はニッコリと笑いながら、店の案内を始めた。

「当店で扱っているのはインテリア建材です。ただ一つ違うところと言えば、この建材は心に取り付ける、というところです」

「心に取り付ける、とはいったいどういうことでしょう?」

「たとえばこちらの窓枠、何の変哲もない窓枠かとお思いでしょう。しかし、取り付けた相手に心を開かせることが出来るのです。逆に、閉じてしまえば後腐れなく関係を断絶することが出来ます」

「はあ……なるほど」

 女は「インチキの類の商売だ」と感じ、店主から一歩引いた。

 店主はそれを見ると、「おや、信じていただけませんか。それも仕方ありません」とニコニコとした笑みを浮かべながら、距離を再び縮めた。

「いかがでしょう、ここで一つお試しいたしましょうか」

 店主は壁から一つの窓枠を外すと、それを女に差し出した。

「前からでも後ろからでも構いません。窓の戸を開けた状態で、自分の胸のあたりに当たれば良いのです」

「こ、こうですか?」女は自らの胸あたりに、その窓枠を当てた。


 途端に、女はなぜかこの店主がとても誠実に、義理堅く思えてきた。

 女はさっきまで疑問を感じていた自分を恥じ、反省した。なぜこんなにも人当たりがよさそうで、親切そうな店主を疑っていたのか、さっぱりわからなくなった。

「と、まあ、このように人に心を開いていただける窓枠なのです」

 気が付くと、女の前にいた店主は窓枠を持って見せていた。

 女は「さっきの気持ちはなんだったのか」と驚くと同時に、身をもって知った商品の効果に深く感心した。

「さて、お客様はどのようなものをお探しでしょうか?もしかしたら、今抱えているお悩みを解決できるかもしれませんよ」

 店主は壁掛けに窓枠を片付けると、女を店内に設置してある小さな椅子とテーブルに案内した。

 女は促されるがまま、椅子に腰かけた。テーブルには数冊の薄いカタログが並べられている。


「では、改めて、どのようなことでお悩みでしょう?」

「そ、そうですね……なんでもよいのですか?」

「はい、なんなりとおっしゃってください」

「ありがとうございます……実は私、独り言が激しくて、無意識のうちに口からこぼれてしまうんです」

「ええ、でしょうね。実は先ほどから少し漏れておりました。インチキの類いでは……と」

「す、すみません。失礼しました。漏れていたんですね……」

「いえいえ、お気になさらず。そんなお客様にぴったりの商品がございます。こちらでございます」

 店主はテーブルの上に置かれたカタログの中の一冊をめくり、ページを開いた。

 そのページには、よく見る銀色の蛇口の写真が載っていた。

「これはどういった商品なんでしょう」

「はい、こちらは心に『水門』を作る蛇口でございます」

「心に、水門を……?」

「はい。つい心の中の独り言が漏れてしまう、勢いで思ってもないことをつい言ってしまうといったお悩みのために発明された商品でございます。そういったお悩みはいわば、心の中の言葉という水の流れが氾濫しているようなもの。こちらを装着して蛇口をひねれば、その流れを止め、そういった言葉のトラブルが解消されるのです」

「なるほど……その蛇口を開けたらまた、独り言を漏らしてしまうようになってしまう、ということですか?」

「ええ、そうですね。まあ、基本的には蛇口を閉めたお客様は皆さまそれでご満足頂いておりますので、再び開けることはあまりないかと思われますが」

「そ、そうですよね……ちなみに、こちらおいくらなんでしょう?」

「こちらの商品、三万円でございます」

 女はその値段を聞き、購入することを決めた。心療内科の病院に通い、医者の出した薬を買い続けるよりも、この蛇口を買って一度閉めてしまう方がよほど良いと考えたのだ。

 店主はニッコリと笑みを浮かべ、「お買い上げ、ありがとうございます」と深々と礼をすると、店の奥から蛇口とアイマスクを持ってきた。

「それではこちらを取り付けますので、こちらをお付けください。人によっては付けている様子を見てショックを受けてしまうので……」

 女は店主に言われるまま、アイマスクをつけた。

「十秒ほどで心への設置は完了いたします。まだアイマスクを取ってはいけませんよ。もう少し……はい、完了いたました。アイマスクを取ってご覧ください」

 女がアイマスクを取ると、女の右の胸のあたりに、公園の手洗い場にあるような蛇口が一つ、銀色に輝いていた。

 女は体に触られるような感触は感じなかったが、確かに右胸についていた。服も透過して表面に露出している。

「こちらの蛇口はお客様と私にしか視認出来ません。また、蛇口の開け閉めも、お客様にしか出来ないようになっております。もし、見た目が気になるというのであれば、今なら無料で背中に付け替えることも……」

「い、いえ、結構です。ありがとうございます。それで、この蛇口のノブを閉める方にひねればいいんですね?」

「はい。ご家庭の水道などで水が止まるくらいの強さで閉めていただければ十分でございます」

 女は早速、自分の胸に着いた蛇口のノブをひねり、キュッと止まるまで蛇口を閉めた。

「これで良いでしょうか?」

「はい、結構だと思います」

「この蛇口、ずっと胸についているのですか?」

「ええ。ですが、すぐに見えなくなりますよ。普段生活しているときは見えませんが、しっかり見ようと意識すれば、蛇口は見えてきます。お客様もご自身の『鼻』はずっと視界に入っているはずですが、あまり気にしたことはないでしょう。それと同じです」

 女は胸の蛇口をぼんやり見ていると、そのうちに蛇口のことが自然に見え、あまり気にならなくなった。

 女が胸のあたりを意識し、目を凝らすと、そこに蛇口があるのがわかった。

「どうでしょう?普段生活する分にはあまり困らないと思いますが、完全に透明化したいのであれば追加工事を承りますが」

「い、いえ、結構です。よくわかりました」

 女は説明に納得し、店を出ることにした。

「では、本日はお買い上げありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

 店主は入り口で深々と頭を下げ、店内に戻っていった。


 女は早速効果を試すため、「近況報告がほしい」と言っていた実家の母親に電話をかけることにした。

「もしもし、お母さん?」

「あら、どうしたの?何かあった?」

「そういうわけじゃあないんだけど、最近どうしてるかなって」

「私の方は元気だけど……アンタは最近どうなの?仕事上手くいってる?」

 女は心の中で「相変わらず一人で変なことばっかり言っちゃうけど、お母さんに言えるわけないよなあ……」と思った。

 女がハッとして口に手を当て、母親の反応を窺った。

 母親は電話越しに「ねえ、どうしたの?なにかあった?」と心配そうな声色で女に話しかけていた。いつもであればこの心の声が漏れ、母に叱られているところだったが、どうやら何も喋っていないらしい。

「へ、平気だよ。仕事場でも上手くやってるし」

「そう?なら良かったわ。アンタはわかりやすい子だから、そう言うのなら大丈夫ね。ありがとう。じゃあね」

 母はすっかり安心した声で電話を切った。女は目を凝らして胸に着いた蛇口を見て、「本当に、これからは独り言が漏れないんだ」と安心し、銀色に光るノブを撫でた。


 それから女の職場での評価は、見違えるように変わっていった。女からは以前のような不安そうな顔色は消え、自信に満ち溢れた瞳をしていた。

 生まれ持った長年の悩みが解消された女は今、なんでもできるような気がしていた。


 そして、女は初めて人に恋をした。

 相手は女と違う営業部署の男性社員で、たまたま廊下でぶつかってしまったのがきっかけだった。女が落とした書類を一緒に拾うのを手伝い、それから少し話すことが増えた。

 相手の男は軽快なトークで女を笑わせ、それを見て相手も楽しんでいるようだった。女は相手の男との居心地が良く、「これが恋なんだ」と自覚するのに時間はかからなかった。


 そのうち、相手の男から夜のデートに誘われ、告白された。女は二つ返事で了承し、幸せなカップルが誕生した。

 女は「これから、私の人生は変わっていくんだ」と感じ、幸せを噛み締めていた。



 ある場所に小ぢんまりと建っている内装屋に、一人の男が入店した。

「おや、お久しぶりですね。いらっしゃいませ」

「やあ、どうも。経過報告をしようと思いまして」

「例の気になっている彼女のことですか?いかがでしたでしょうか、あの窓枠の効果は」

「素晴らしいものでした。以前の彼女は独り言が激しいせいで何を考えているのか筒抜けだったのですが、どうも後ろ向きな性格なようでした。最近はそれを克服したようで、ハキハキとして更に魅力的になった。あの窓枠のおかげで、彼女にお近づきになりまして、最近交際まで始めたのです。本当にありがとうございました」

「いえいえ、ご満足して頂けたようでなによりです。またのご利用を、お待ちしております」

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