第29話「幸福の音色」

 その男の子は、母親と一緒に公園でやっているフリーマーケットを見に来ていた。


 母親が色々と商品を見たり、出店している人と世間話をしている間、男の子は暇を持て余していた。

 男の子は母親の元を離れ、フラフラと何か面白いものを求めて歩き出した。


 ふと、男の子はある露店が目に止まった。

 そこにはプラスチックの宝石や、小さめの観覧車の模型なんかのオモチャが並べてあった。

 男の子はそれに惹かれ、露店をじっと見つめていた。

「お、どうしたのボク。見ていく?」

 露店の店主の男は気さくに男の子に話しかけ、男の子はそれを聞いてそろそろと近づいた。男の子は自分のポケットに三百円あることに気づき、商品を手にとって店主に聞いた。

「おじさん、これはいくらなの?」

「それは千五百円だよ」

「これは?」

「それは五百円」

 男の子は色々と手に取って聞いたが、どれも三百円だけでは買えないものばかりだった。気の毒に思った店主は、「どれか好きなもの、三百円でいいよ」と言ってくれた。

 男の子はどれがいいかしばらく悩み、一つの小さな箱を指差した。

「それはオルゴールだね。でも、どうしても蓋が開かなくて曲が聞けなかったんだよ。それでもいいの?」

「うん。お母さん、オルゴール好きだから」

「そうかい。おじさんが買った時に店の人から言われたんだけど、このオルゴールの曲を聞くと幸せになれるって聞いたんだ。もし君がその蓋を開けて曲が聴けたら、きっといいことが起きるよ」

「ありがとう、おじさん」

 そう言って男の子は店主からオルゴールを買うと、早速ねじを巻いて開けようとした。が、どうしても開かない。何かが上から押さえているかのように、ガッチリと閉じられている。

 男の子が母親の元に戻ると、母親は「騙されてただの箱を買ったんじゃないか」と疑ったが、男の子は店主の言っていたことが嘘とは思えなかった。母親も、男の子の「お母さんがオルゴールが好きだから」と言うと、顔を綻ばせ、オルゴールを買ったことを許してくれた。

 男の子はオルゴールを大切に飾り、ときどき開かないか試した。しかし、オルゴールの蓋はいつまで経っても開かなかった。たまに母親も開こうと蓋に手をかけたが、同じように開くことはなかった。


 やがて男の子は成長し、立派なサラリーマンとして働いていた。

 男は体の弱くなった母親を介護しながら、毎日汗水垂らして働いていた。


 ある日、男が会社で働いていると、上司からひっそりと呼びだされ、そこで「大きな取引があり、後輩と一緒にコンペに出て契約を勝ち取ってきてほしい」と頼まれた。

 男は承諾し、優秀な後輩と一緒に資料を作り、コンペに出た。結果、コンペで男の会社が選ばれ、その大きな契約をとることが出来た。


 男は大喜びで会社に戻り、それを報告した。

 しかし、それで評価されたのは後輩の方だった。後輩は男よりも先に上司に報告をしていた。あたかも、自分の手柄のように。

 後輩はこの一件で昇進し、男を顎で使うようになった。


 不満がたまり、酒を飲むことが多くなった男は母親から心配された。しかし、男は耳を貸すことをしなかった。

 母親の心配が募り、それが負担になったのか、母親の容態は急変し、そのまま息を引き取った。


 男は母親の葬儀をし、鬱屈とした気分で母の遺品を整理していた。

 絶望と疲労で頭の中が真っ白になっている男は、いらないと思ったものは全てゴミ袋に放り込んでいた。

 部屋の遺品を全て片付けた男は、ゴミ袋を片手に母親が寝ていた寝室へ入った。

 男が寝室の遺品を片付けていると、母親の枕元にオルゴールが置いてあったことに気づいた。

 男が幼少の頃、フリーマーケットで買ってきたオルゴールだった。

「なぜまだこんなものが」と男は懐かしく思った。同時に、これを売った店主から「このオルゴールの曲を聞くと幸せになれる」と言われたことを思い出した。

 男はなんとなくオルゴールのねじを巻き、蓋に手をかけてみた。


 意外にも、オルゴールの蓋はあっさりと開いた。

 蓋が開かれたオルゴールの円筒は櫛歯を弾き、小気味良く美しい音色を奏で始めた。

 穏やかだが、どこか切ないメロディであった。


 男はそれを聞くと、突然幼少の頃を思い出した。

 まるで昨日あったことかのように鮮烈に、ありありと思い出した。

 友達と公園で遊び、学校で勉強をし、母親と台所に立って料理をしていたあの頃が、濁流のように頭のなかに流れ込んだ。

 気付けば、男は涙を流し、オルゴールを抱きかかえていた。

 何故泣いているのか、男にもわからなかった。ただ、それは決して悲しみの涙などではないことだけは分かっていた。


 円筒が最後の櫛歯を弾くと同時に、男はその場に倒れこんだ。

 男はゆっくりと目を閉じ、そのまま開くことはなかった。

 その顔はまるで疲れた子供が眠っているかのような、穏やかな顔だった。


 オルゴールは音色の余韻を残し、独りでに閉まった。

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