第27話「自販機」
ある男がいた。
その男は家庭環境や交友関係に特に不自由のない、ごく普通の男だった。
しかし、男は退屈だった。周りとはそれなりにいい関係を築けているし、職場にも不満は特になかった。恋人はいなかったが、それは男の退屈を紛らわすには不足しているようにも思っている。一生の思い出となるような熱いラブロマンスなど、今まで生きてきた人生の中でいきなり起こるとは思えない。平凡そのものだったのだ。
ある日、男は会社帰りにコンビニへ立ち寄り、切れていたタバコを買った。コンビニの裏には灰皿が置かれており、喫煙できるようになっていた。
男がタバコを一本取り出し、仕事終わりの一服をしていると、妙な違和感を覚えた。昨日までなかったものが、何かある。そんな気がした。
男がタバコを咥えながらキョロキョロと周りを見渡すと、灰皿の二メートルほど先に、あるものが設置されているのに気付いた。
自販機だ。
このコンビニに前に立ち寄ったのは二日前だったが、自販機は設置されていなかったはずだ。丁度喉が渇いていた男は、小銭入れを取り出しながら自販機の前に立った。
男が小銭入れのジッパーを開き、何を飲もうかと顔を上げ、飲み物を選ぼうとした。
しかし、男は自販機のラインナップを見て、少しの間脳が停止した。
その自販機の缶はカラフルなデザインに「Happy 幸福」や「Time 時間」や「Fortune 幸運」など、文字が書いてあるだけだった。値段はどれも百三十円で、売り切れ商品はなかった。
たまに変わり種の自販機なども存在するが、この自販機は何やら他の自販機とは違う、異様な空気を放っていた。
男は試しに百三十円入れ、「Happy 幸福」と書いてある缶のボタンを押した。
ガコン、と下の取り出し口から音がした。一応きちんと販売されていて、小銭が飲まれる代物ではないらしい。
男が取り出し口から缶を取ると、自販機のガラスの中に置かれたサンプルそのままのデザインの缶が出てきた。文字は「Happy 幸福」とだけ書かれている缶である。
男はプルタブを起こし、缶を開封してみた。
すると。缶の口からは何やらピンク色の
少し不思議だが、どうということはない。ジョークグッズのようなものだったらしい。男は自販機に消えた百三十円を少し惜しく思った。しかし、普段このようなものにひっかかることはない。確かに百三十円は惜しく思うが、少し面白かった。
男は缶をゴミ箱に入れると、そのまま家路を辿った。
男が家に着き、風呂に入り、夕食をとり、就寝しようというとき、部屋が埃っぽいように思い、窓を開けて部屋の換気をした。
すると、夜空にキラリと何かが光った。
男がよく目をこらすと、また夜空に何かが光った。その光は流れ星だった。流れ星を見た男は、今朝のニュースで「今夜流星群がくる」というニュースがやっていたのを思い出した。
男はしばらく、無数の星が流れる夜空を眺めていた。
翌朝、男はパッチリと目を覚まし、テキパキと朝の支度をした。
朝の弱い男にとって、こんな朝はなかなか珍しかった。
それからはいつも通り仕事をして、帰りにタバコを買いにコンビニへ立ち寄った。
タバコに火をつけ、煙をふかしていると、横にある自販機が目についた。
男はなんとなく、また自販機の前に立ち、百三十円を投入した。
今度は「Fortune 幸運」のボタンを押した。ガコン、と缶が落ちる音がした。男が缶を取り出し、プルタブを起こして缶を開けた。
すると、今度は金色に光るような
帰り道の途中、男が通りがかったスーパーの店頭に店員がメガホンを持って出てくると、「これからトイレットペーパーの安売りを開始します」と告げた。
どうやら予告無しのセールのようだ。男は家のトイレットペーパーが切れていたことを思い出した。男はたまたま店の目の前にいたので、すぐに手に入れることが出来た。
男は両手にトイレットペーパーを持って帰宅すると、夕食の準備を始めた。
卵を割ってボウルに入れると、その卵は双子だった。男は「珍しいこともあるものだな」と思い、ニンマリと頬を緩ませながら料理を作った。
次の日、仕事が終わった帰りに男はコンビニの裏に立ち寄った。今日はタバコを吸いながら、まっすぐ自販機の前に向かった。
この間の幸運も幸福も、この自販機で缶を買ってからだった。単なる偶然ではないという確信を持っていた男は、色々と試してみようと自販機をジロジロ眺めた。
そのうち、「Time 時間」という缶が目に留まった。
「幸運」「幸福」はわかるが、「時間」とは一体なんだろう。
男は百三十円自販機に入れ、「Time 時間」のボタンを押した。
ガコン、と音が鳴り、缶が取り出し口の方へ落ちてきた。男はそれを取り、缶を開けた。
その瞬間、男は何か異様な雰囲気を感じ取った。
自販機のガラスに留まっていたハエがピクリとも動かない。それだけではない。自販機のある通りにいたスズメも、飛び立とうとした瞬間のまま、動きを完全に停止させている。
一瞬で「時間が止まっている」ということを悟った男は、ボーッとしたまま動けなかった。理解はしたが、脳の処理が追いつかない。この場合何をしたらいいのか、さっぱりわからなかった。
男の体感で二分ほど経った頃、いつも通り世界は動き始めた。
男は缶を眺めながら、「缶を開けたとき、百三十円分だけ時間を止めたのだ」と理解した。
男は素晴らしい体験をした喜びを噛み締めると同時に、恐ろしくもなってきた。
男にはこの力を悪用しようという意思はなかったが、それでも強すぎる力は弱者には恐ろしいものだった。どんな強靭な精神をしていても、拳銃を渡されたら並みの一般人はそれだけで恐怖に支配され、触れることすらしたくないだろう。
そこで男は、「同時に何本も缶を開け、街を歩いてみよう」と思い立った。誰に迷惑をかけるわけでもなく、それでいて「時を止める」という感覚を体感出来ると考えたのだ。
男は休日の昼間、それを実行した。両替した大量の小銭を持ち、自販機で「時間」の缶を大量に買った。不思議なことに、何本買っても「売り切れ」のランプが点かなかった。そして、男は手持ちの小銭を全て使い切るほど缶を買った。
男はそれを家に持ち帰り、ずらっと目の前に並べた。
そして一本一本、「時間」の缶を連続して開けていった。
全て開封し終わった男は、まず窓を開いた。どうやら自分が触れているものは動かせるらしい。
街はしんと静まりかえっている。風船を持って笑う子供や、全開の窓から片腕を出し、ドライブを楽しんでいる青年やサイクリングに勤しんでいる中年、全てが静止していた。
男は街を散歩した。
普段は入れない工事現場などにお邪魔し、動き出さないよう機材に触れずに色々と見て回った。
次は競馬場に入った。馬券を握り叫んでいる人たちの間をくぐり、走っている最中の馬を間近で眺めた。
男は一本で約二分ほど時間を止められることをわかっていたので、缶の本数で止められる時間の長さもわかっていた。タイマーも触っていれば使えるようだったので、残り時間がどの程度かも把握出来ている。
色々と見ていると、やがてタイマーが鳴り響いた。時間停止解除三十秒前を知らせるブザーだ。
男は急いで裏路地に入ると、街は何もなかったかのように動き出した。
「なかなか面白い遊びが出来た」と男は満足げだった。
工事現場の横を通り過ぎようとした瞬間、上から「危ない!」という声が飛んできた。
男が「それは自分に向けたものだ」ということを理解したのは、頭上から降ってきた鉄の塊が眼前にきたときであった。
ある家の居間では、老人とスーツの男がテレビを見ながらお茶を飲んでいた。
「……大量に『時間』を使った人間がいるな。先の寿命は短そうだが」
「おお、売れたか。そいつはよかった」
「全く、あんたのおかげだよ。俺たち悪魔も魂とってればいい時代も終わっちまったし、人間の持つ力のいくつかを頂かないと割に合わないようになった」
「悪魔も世知辛いな」
「ああ。だが、あんたと出会ったおかげで俺は楽して人間のエネルギーを奪えるようになった。悪魔の簡易契約を缶に詰めて、エネルギーの『前借り』をさせようなんてな。最高のアイデアだ」
「自販機でいちいち内容物の記載を読む輩なぞなかなかいない。そこに契約内容と合意の印を記載すれば問題はないじゃろう。缶を開けた時点で『同意した』ことになっているからな。契約の際に『代償』がいるという話だったが、自販機という形にすれば、金を払うことで代償はクリア出来る」
「おかげで俺は苦労せず人間の『前借り』した分の寿命やら幸福やらを先の人生のケツの方から頂ける。こんなにうまい話はない。あんたと組んでよかったよ。しかし、これじゃあどっちが悪魔だかわかりゃしないな」
「何を言っておる。お前さんは楽して人間のエネルギーを頂ける。わしは自販機で金儲け出来る。お互い利益のある関係じゃないか。それに、わしと他の人間、どこが違うというのだね」
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