第26話「自らの意思」
ある小説家がいた。何本かの連載をしてきたが、全ての連載は終了して、また新しい連載を始めるべく執筆活動に勤しんでいる。
小説家は独特な作風で一部のファンからの人気を誇っていた。特にひどい批判があるわけではなかったし、自分を認められているような気がしていて悪い気はしなかった。
ある日、小説家は自宅のPCで連載に向けてコンテストに提出するための原稿を書き綴っていた。今回の話は「ある貴族の娘が人殺しに間違われ、その誤解を解くため奔走するが、途中で本当の人殺しになってしまう」というものだ。
小説家はこの作品には手応えを感じていた。これを出せば間違いなく入賞はするだろうという確固たる自信があった。そのせいか、筆はいつもより早く進み、そろそろ山場に差し掛かるところだった。そう、「貴族の娘が本当に人殺しになってしまう」というところだ。小説家は頭に思い浮かぶ情景をそのまま原稿に叩きつけていった。指が踊るようにキーボードを叩き続け、一瞬にして余白は埋まっていった。
さあ、そろそろ貴族の娘が人を殺すというところで、小説家は若干の違和感を覚えた。さっき自分が書いた内容と、原稿の内容が異なっているように見える。しかし、執筆作業中にはよくある現象だった。無意識のうちに指を動かしてしまって別のものになってしまうというのはコンテストに追われている時にはよくある事だ。
小説家は気にせず、デリートキーを押して違和感のある部分を消去し、自分の構想通りのものに書き直した。
しかし、今度は違和感を覚えるなんていうものじゃない、明らかに異質な箇所を見つけた。無意識に指を動かして書いてしまうことはあっても、構想していた内容のものと若干似通っていて、多少脱線してしまう程度のものだったはずだ。しかし、今目にしている原稿画面には自分の構想には全く無かった物語が綴られている。小説家は異変を感じ、今まで書いてきた原稿の画面を隅から隅まで確認した。
小説家が確認作業をしていると、気になる箇所が出てきた。貴族の娘が人殺しに間違われた際、発見したメイドはひどい罵倒の言葉を浴びせるのだが、そのセリフの文字がじんわりと変わっていってるような気がしたのだ。
小説家が目をこすってじっとそのセリフを眺めていると、メイドは「何かの間違いなんだ」という娘の言い分に納得してその場を見逃すという文に変わってしまった。
小説家は謎の現象に驚き、頭を抱えた。これでは物語の趣旨に大きなズレが生じる。これは貴族の娘が孤独に奮闘し、孤独に葛藤を繰り広げる作品なのだ。貴族の娘に味方が出来てしまっては、心情描写に誤りが生まれ、全く別の作品になってしまう。いや、そもそもこの現象はなんなのだろうか。自らの疲れが見せる幻覚ということなら、今すぐに床に着いた方が良いのだろうが、幻覚にしてははっきりと見えすぎている。修正も可能なのだ。幻覚と言い切るには、少しばかり無理があった。
小説家は膝を手のひらで叩き、気を奮い立たせた。そしてすぐに原稿の修正を開始した。いくつも変わっていく文面を一つ一つ書き直した。その作業の最中にも、また文面が変わっていく現象は進行した。タイピングのスピードはだんだんと早くなり、文が変わる前に小説家は全ての訂正を終えるまでになっていた。小説家は椅子の背もたれに倒れこむようにして体重を預け、深いため息をついた。
すると、小説家は書き途中の原稿の文末に何かの文字が足されているのに気がついた。キーボードからは手を離しているのにも関わらず、画面上には文字がどんどんと続いていく。
「なぜ こ んなこと を書く のですか」まで書かれたところで、文字の入力が止まった。小説家は心霊現象の類かと少し怯んだが、執筆の邪魔をされた挙句「なぜこんなものを書くのか」と問われたのだ。小説家の心は恐怖を押しのけ、怒りで満ちた。小説家は改行し、その答えを原稿の中に書き込んだ。
「決まっている。これが私の小説だからだ」
「で もこんな ことは させないでく ださい 。ひど いです」
「ひどいだと?創作の物語の中で何を言っているんだ。誰なんだお前は」
「貴族 の娘 です」
小説家は夢ではないかと疑った。自らが産み出したキャラクターと対話をして、そのキャラクターから「ひどいことをさせないでくれ」と抗議されている。その上反発して中身まで書き換えようとされたのだ。カーテンを閉め切り、蒸し暑い四畳半の部屋の中、小説家は一人蹲り、頭をかきむしった。頭皮が少し傷ついて血が指についた。ズキズキとした痛みとともに、小説家は今が現実だということを確認した。小説家はもう一度PCに向かい、貴族の娘と対話を試みた。
「なんで文を書き換えるようなことをしたんだ」
「私は 人殺しな んかになり たくな い」
「これはフィクションだ。実際には殺しなんか世界のどこにも起こらないし、君の意思なんか本当はないはずだぞ」
「で も私 はここに いる。こ れから殺 す人だ っている」
小説家は何かを書きかけてやめた。彼女が発言をしているのならば、違うどこかの世界で彼女は存在し、こちらに言葉を発信しているのだ。しかしこちらにも仕事というものがある。今更新しいストーリーを考えている時間はないし、なによりこの物語を気に入っていた。小説家は対話を諦め、強引に物語を書き進めた。貴族の娘は文章を改変し、抵抗を続けた。
結果、小説家の書きたかった物語とは違う、全くの別物が書きあがった。貴族の娘は納得したのか、物語にはもう何の変化も訪れなかった。小説家はすっかり憔悴しきっていた。直しても直しても変わり続ける文面と格闘し続けて数時間が経ったのだ。
小説家の足元から「諦め」という感情がじわじわと這い上がり、蝕むように心を侵略していった。「作品の出来自体は悪くない。このままコンテストに出してしまおうか」という思いが頭の中を巡り、完成した原稿を前に小説家は虚ろな目で思考にふけっていた。
突然、どこかから声が聞こえた。一体誰が、どの方向から来ているのかすらわからなかったが、小説家にははっきりと聞こえた。男の声だ。天から聞こえてきているであろうその声は、小説家のこう囁きかけた。
「おい、その原稿をコンテストに出せ」
我に返った小説家は突然聞こえてきた声に驚き、あたりを見回した。男は玄関のドアを開け、アパートの廊下に誰もいないことを確認した。他の部屋のドアにはめ込んである磨りガラスを見ても、全て電気は消えており、人が立てるような音は何も聞こえなかった。沈みかけている夕日の眩い光だけが、小説家の住むアパートの廊下を照らしている。
小説家はドアを閉めると、四畳半の空間に戻った。この狭い城の中は自分が一番よく知っている。どこにも人が隠れるような場所などないはずだった。
だというのに、知らない男の声がはっきりと聞こえて来るなどありえないことだ。男はハッとしてPC上にある原稿のウィンドゥを見たが、何の変化も起こっていなかった。また小説の中の人物が語りかけてきたのかと思ったが、それも違ったようだ。
だとするなら、今度は一体誰が執筆活動の邪魔をしているというのだろう。
「おい、さっさとそれを応募するんだ」
またしても声が聞こえた。さっきと同じ男の声だ。語気が荒く、少々苛ついているように感じる。小説家は今度は直接声に出し、声の主に届くよう大きな声で呼びかけた。
「どういうことだ。誰なんだお前は」
「俺が誰かなんて、どうでもいいだろ。早くそれをコンテストに出すんだ」
「それは私が決めることだ。誰だか知らんがほっといてくれ」
「いい加減にしろ。こっちは急いでるんだ」
「急いでる?何のことだ」
「早くしろ。じゃないとボツにするぞ」
「なんのことを言ってるのかさっぱりわからないな。今ボツにするべきかどうか悩んでいるのはこっちなんだ。自分の意思で決めさせてもらう」
小説家がそう叫ぶと、声の主は深くため息をつき、何かのボタンを押す音が聞こえた。
「お前に意思なんかないんだよ」
その言葉を聞いた次の瞬間、小説家の意識はプツリと消えた。
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