第23話「電線」

 閑静な住宅街の中、一台の梯子車が道を陣取っていた。梯子車の上では男が一人、電線に向かって作業していた。

 周りの住民は「ただの電気工事」だと思い、何とも思わなかった。

 しかし、この男は電気工事ではなく、一人孤独に戦っていた。


 この男の仕事はを撤去することだった。

 男は国から秘密裏に依頼を受け、その特殊な電線を撤去する公務員だった。


 その電線は他と違い、「意思を持って電気を操作する電線」だった。ある日、突然電気が使えなくなった家庭から電気会社へ連絡があり、そこから特殊な電線である「彼ら」の存在が発覚した。

 基本的に「彼ら」と意思疎通を図ることは出来ないが、行動パターンを研究していくにつれ、「彼ら」の習性は掴めてきた。

「彼ら」は他の工事されて設置された電線とは違い、「いつの間にか増えていた」電線だった。どこからともなく現れては普通の電線と繋がって寄生すると、電圧を強くしたり、逆に電気の供給をストップさせたりしていた。この行動原理は未だ不明のままだ。

「彼ら」は仲間意識が強く、群生していることが多い。群れ同士で争ったりすることはないようだった。移動することもなく、出没したエリアにずっと居座っていた。

 政府は「彼ら」の存在を害獣と同じように扱い、異常が報告され次第撤去するといういたちごっこを続けていた。


 男はそんな「彼ら」を撤去し、電気供給を正常な状態に戻すのが仕事だった。男はこの仕事を始めてから数年が経ったが、正直「彼ら」にはうんざりしていた。作業時間は怪しまれぬよう早朝か深夜に行われ、男の生活リズムはゴチャゴチャになっていた。その上、「彼ら」は切断されそうになると必死に抵抗するのだ。電線用のニッパーをひらり、ひらりとかわし、腕を伸ばすように伸びると、隣の電柱から伸びる電線と接続して男を電線で囲いこみ、じわじわと間合いを詰めてくるのだ。男はいつも死と隣り合わせの世界で仕事をしていた。

 当然、男は疲弊していった。政府からそれなりの報酬はもらっているが、それでも男は早くこの仕事を誰かに押し付けて逃げ出したかった。


 今日も男は「彼ら」の撤去に駆り出された。男は「いい加減辞表を出さないと、いつか殺されちまう」と身震いした。

 いつものように男は依頼書に載っている住所へ向かい、「彼ら」の撤去作業を始めた。今回は「彼ら」の数が少ない群れのため、男は撤去作業をいつもより早く終わらせることが出来た。男はホッと一息つき、コーヒーでも飲んで一服しようと考えた。

 自販機でコーヒーを買い、プルタブを起こしてコーヒーを飲もうとした。すると、男の耳に急に雑音が響いてきた。


 よく聞くと、それは子供の泣き声だった。

 男はあまり気に留めなかったが、帰っている最中も、家についてからも、寝る前も、なんとなく胸の中にあの子供の泣き声がへばりついていた。


 別の日、男はまた「彼ら」の撤去に向かった。結局、まだ辞表は出せずにいた。机の引き出しの中にある辞表を手に取るたび、あの子供の泣き声が脳裏によぎるのだ。男はそれが何故なのかが気になり、辞表を手にとっては引き出しに戻すということを数日に一回はしていた。

 男は現場に着くと、梯子車の梯子を伸ばし、「彼ら」の住み着いている電線まで登っていった。

「彼ら」は大きく揺れて体当たりを仕掛けてきたり、電線を伸ばして囲い込んだりといつものように抵抗した。男はそれをひょいひょいと慣れた体捌きでかわすと、電線用のニッパーで「彼ら」の寄生している電線の接続部分を切り落としていった。

「彼ら」を全て切り落とし回収すると、男は大きくため息をついた。その時、なんとなく「彼ら」の寄生していた先の電線を見た。

 電線の先にある家から、またもやかましい雑音が聞こえてきた。子供の泣き声だ。

 男ははっきりと違和感を覚えた。「何かおかしい」と頭の中に疑問符が浮かんできたのだ。思えば、前に「彼ら」を撤去した時も子供の泣き声が響いていた。何か関係があるのだろうか、と男は考えた。


 男は梯子車の梯子を畳むと、そのまま帰らずに泣き声の主を探した。

 しばらく歩くと、アパートと見られる建物の前で、子供がわんわん泣いていた。男は、その子供に声をかけてみた。


「やあ坊や、何を泣いているんだ?」

「ママがおうちにいれてくれないんだ」

「どうして?こんな朝早くに締め出されたのか?」

「違う、もっと前だよ。真っ暗な時に外に出されたんだ」

「それじゃあ、ここで一晩明かしたのか」

「そうだよ」


 男は「もしや」と思い、児童相談所に連絡をした。

 案の定、そこの家は児童相談所に何度も通報されている家庭だった。男は電話で児童相談所の役員に、「前に撤去に行った作業現場近くの住所で、通報されていた家はあるか」と聞いた。役員はしばらく調べ、「ある」とだけ答えた。

 男はその時、頭の中の点と点が結ばれた感覚を得た。


 また別の日、男は撤去作業に向かった。男は自身の考える悪い予感が当たらないことを願いながら、車を走らせた。

 現場に到着した男は「彼ら」を発見し、撤去作業にかかった。男が電線に近づくと、「彼ら」はいつものように抵抗を始めた。男は巧みに避けながら、ニッパーを手に「彼ら」の接続部分を切り落とそうとした。

 その瞬間、男の耳に雑音が届いた。男はおそるおそるその雑音の鳴る方向へ、首を回した。


 小さな男の子が、ベランダの柵に捕まって泣いていた。男の悪い予感が当たってしまった。

「彼ら」が発生する場所には、「育児放棄」や「虐待」といった問題を抱えた家庭が存在するのだ。そして電気トラブルが起きて連絡がいった住所も、その家庭と一致する。他の家庭には何の問題も起きていなかった。

 男は、『』と考えた。だとすれば、自分がやっているこの仕事は一体何なのだろうか。あの家庭の子供が救われれば、「彼ら」も何もしなくなるのではないかとも考えた。しかし政府は「彼ら」を害獣と同等に扱っている。ただの「コードを齧るマウス」にすぎないのだ。そんな「彼ら」を片付ける仕事を自分が今こなしている。男は今、自分が善なのか悪なのかわからなくなっていた。


 自問自答を続けていた男がハッと「彼ら」に目をやった。明らかに「彼ら」の数が増えていた。男がこの現場にたどり着いた時の「彼ら」はもっと少なかったはずだった。男は周りを見渡すと、遠くの方から二本の電柱に伸びる電線を交互に伝って、大量の「彼ら」がこっちに向かってきていることに気付いた。今まではこんなことは無かったはずだ。男は少しの間考え、アレが「彼ら」のだということに気がついた。「彼ら」は仲間意識が強く、群れで自分を倒そうとしていた。今回は余計な時間がかかっていたため、遠くの電線から他の群れの援軍がやってきたのだ。


 男は、ついにニッパーを手放した。仲間のために身を呈して助けにやってくる「彼ら」のどこが悪だというのか。男は四方から迫ってくる電線を眺めながら、携帯電話で児童相談所に電話をした。

「もしもし、ベランダで泣いている子供がいます。様子から察するに、何時間も締め出されているようです。早くきてあげてください。住所は……」


 男は電話を切るとメールの作成画面に文字を打ち込み、ゆっくりと目を閉じた。後任の者がこれを読んでくれるかどうかはわからないが、男にできることはこれくらいしか無かった。男は今まで撤去してきた「彼ら」と、気付いてやれなかった多くの子供達に懺悔し、頭を垂れた。


 高圧電流を纏い、四方から迫る「彼ら」は、ついに男の首に接触した。




 通報を受けて警察より先に回収にやってきた政府関係者は、梯子車のボンネットの上に携帯電話が落ちていることに気がついた。


 携帯のメール作成画面には、『彼らの代わりに、子供達に手を差し伸べてやってくれ』とだけ書いてあった。

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