第21話「天国への階段」

 社会はまさに不況の真っ只中だった。日本の自殺率は年々上がり続け、若者は世界に絶望し、老人は昔作り上げた地位を守ろうと必死になって若者を蹴落とした。

 日本の経済はそんな現状を無視するかのように、低迷を続けた。


 そんな最中、インターネット上で「相談すると必ず幸せになれる相談所があるらしい」という噂が流れていた。

 インターネットには、実際に人生相談を受けた人間が次々と生活が改善された報告を書き込んでいった。しかも相談料は無料らしい。

 しかし、報告される「施設の場所」は人によって違って、情報が錯綜している状態だった。どうやら施設は場所を転々としているようだ。そういった曖昧な情報が、この相談所が「都市伝説」扱いされている所以だった。


 ある男はブラック企業に勤め、無駄働きをする生活を送っていた。

 毎日毎日仕事と上司に追われ、底なし沼の中でもがき、少しだけ息継ぎをしてまた沼に沈むような生活を強いられていた。

 ある日、帰りの電車の中で隣の席に座っていたサラリーマンの携帯画面が目に入った。隣のサラリーマンはスマートフォンで「幸せの人生相談所」のニュース記事を読んでいた。

 男は何故かその言葉に強く惹かれ、自身も携帯で調べてみた。家に帰り、じっくりとその記事を読み込んでいると、最近書かれた書き込みに男の家の近くで相談所を見たという情報があった。男は何かに突き動かされるように椅子から立ち上がり、簡単に支度をして家を飛び出した。


 男は書き込みにあった情報の通りに近所の裏路地に入り、看板を探した。

 すると、男の記憶では以前空き地だった場所に、「天国の人生相談所」と書かれた看板とともに小さな家が建っていた。赤いレンガの屋根と、白いレンガで造られた家だ。屋根には煙突がついており、煙をもくもくと吐き出していた。壁にはめ込まれた正四角形の窓にはぽーっとした灯りがついている。絵本のおとぎ話に出てくるような家が、高層ビル群の裏にひっそりと建っていた。

 男はその家からなんとも言えない不思議なオーラを感じた。「ここに行けば、何かが変わるかもしれない」という思惑が、男の頭を支配していた。


 既に世界は夜の帳に包まれていたが、男は構わずに門戸を叩いた。

「ごめんください、ごめんください」と二、三度ドアを叩くと、中からダボダボのパーカーを着た若い男が出てきた。ポリポリと頭をかき、目は赤くなっている。

「何か御用でしょうか」

「失礼、おやすみ中でしたか。相談をしにやってきたのですが」

「ああ、お客様でしたか。どうぞおあがりください」

 出迎えてくれたパーカーの相談員は、男を相談所の中へ招きいれた。


 相談所の中は、まさに「絵本の世界」というべき内装だった。

 木製の長椅子と長机。壁側には暖炉がついていて、薪がパチパチと音を立てて炎を上げていた。床も木で組み上げられており、歩くと少しキシキシと声を上げる。


「不思議に思うでしょうね。人に何かを相談する時にまで縮こまってしまうような内装にはしたくなかったんです。この服だってそうです。友人のようで気持ちを楽に出来ますでしょう?」

 パーカーの相談員は笑いながら服をつまみ、ひらひらと動かした。男は何だか体が軽くなっていくような錯覚を覚えた。足取りも段々軽くなっていくようだった。


 相談員は男をソファに座らせ、自身も対面のソファに腰掛けた。

「さて、相談の内容をお聞かせ願えますか?」と相談員は優しく男に微笑みかけた。「実は……」と男は語り出し、相談員は目を閉じてそれをうんうんと聞いていた。


 相談員は話を聴き終わると腕を組み、少し考え、口を開いた。

「なるほど、あなたは相当辛い思いをなさっていたようですね。あなたが幸せになれる方法はわかりました。私の言う通りにすれば、必ず幸せへの道は開かれます」

「ほ、本当ですか?」

「ええ、ですがその前に少々失礼します。同じような事案は色々とあるので、対処法を探してきます」

 そう言うと相談員は少しばかり席を外し、また戻ってきた。


 相談員の放つ言葉を男はじっと聴き、その内容を覚えた。

 相談員の答えを聴き終わった男はひとまず家に帰ることにした。簡単に礼をし、男は小さな家の相談所を後にした。

 相談員は、「明日またいらしてください。これからすべきことをお教えします」と言って玄関で頭を下げていた。


 翌日、男は仕事が終わると相談員の言われた通り上司の元に行き、「仕事が終わったので私は帰らせていただきます」と言って礼をし、帰ろうとした。上司はそれを聞いて「待て、まだ仕事は残っているはずだぞ」と男を呼び止めた。

 男は勢いよく振り返ると「やかましい!私は私の仕事を終えたんです!毎度毎度私が他の者の仕事を肩代わりしてやる義理はありません!」とピシャリと上司に言い放ち、会社を出た。放心状態の上司は目を白黒させ、もう男の背中には何の言葉もかけられなかった。


 男はその帰り、相談所に寄った。ドアをノックすると、相談員が出迎えてくれた。

 相談員は男をソファに座らせ、「明日仕事を辞め、新しい職につきなさい。きっと素晴らしい仕事が見つかります」とアドバイスし、男を家に帰した。


 次の日、男は仕事が終わると上司に辞表を出した。

 男は日々会社に怯え、虚ろな目で仕事を続け、生きながら死んだような生活を送ってきた。それもこれも男に勇気がなかったからであった。だが、後押しをしてくれる存在がいる今、何も怖いものはなかった。

 上司に対して啖呵を切るなど、今までの男では考えもしないことだった。アドバイスの力とはこれほどまでに大きいのかと、男自身も驚いていた。


 男は仕事を辞めたその日、家に帰るとそのままリビングの椅子にどっかりと座りこんだ。男は近くの棚から酒瓶とグラスを取ると、瓶の蓋を開け、グラスに少し注いで飲み始めた。酒を飲みながら、男はある事を考えていた。実際のところ、男の考えは固まっており、ほとんど頭を回すことなどなかった。決意を固めていた、という方が正しいのだろうか。

 男はグラスに残った酒を飲み干すと、椅子にかけた上着を着直して出かけた。


 そして男は光の届かない薄暗い裏路地に入り、あの人生相談所へとやってきた。男が扉をノックすると、相談員はいつも通りニコニコと出迎えてくれた。


「やあ、こんばんは。調子はどうですか」

「最高に良いですよ。あなたのアドバイスのおかげで勇気を出すことが出来ました。ありがとうございます」

「それは良かった。私もあなたのお力になれたようで嬉しいです」

 相談員は男の目を見るとニコリと笑い、温かい声で男を祝福した。

「それで……私は今日、仕事を辞めました。次の就職先をあれこれ考えたのですが、私は私のような境遇の人を救う仕事に就きたいと考えました」

「ほう、それは素晴らしいことですね。それで、次の仕事先の目星はついたのですか?」

「ええ、付いてます。ここですよ。私はこの人生相談所で働きたいんです」

「……それは、本気でおっしゃっているのですか?」

「もちろん。私のような人を一人でも救いたいのです。それにあなたとする仕事なら、どんな仕事だろうと出来ますよ」

「そこまでおっしゃるのならいいでしょう。私はあなたを歓迎します。よろしくお願いしますね。しかし、これはあなたが思い描く職業とは少し違うと思いますが、本当によろしいんですか?」

「大丈夫ですよ。想像と現実に差異があるなど当たり前のことですから」

 男は相談員の心配を笑い飛ばし、就職を許してもらった。ごきげんな足取りで家に帰り、男は早々に寝てしまった。


 翌朝、男は相談所へ出勤した。

 客が来ない間、相談員は書類の整理をし、男は適当に室内を清掃していた。

 そのうち、客が一人やってきた。客は男と同じく会社に違法労働を強いられており、辛い生活を送っているらしい。相談員は相談内容を聞き、「少々お待ち下さい」と言うと、席を外した。


 相談員は裏の勝手口のほうへ向かっていた。男はなんとなく気になったので、相談員の後をつけた。勝手口の前に行くと、相談員はどこかへ電話をしているようだった。男はまたもなんとなく気になり、失礼を承知で聞き耳を立てた。

「ええ、パターン4です。人間の名前は……で、その人間の仕事先の住所は……です」と、なにやら怪しい会話をしていた。男はそっと相談員の姿を見ると、しばし声を発することができなくなった。


 相談員の背中には、真っ白で立派な羽が一対生えていた。絵画に描かれているような美しさだ。

 男はそっとその場を離れると、給湯室の片隅で立ち尽くしていた。男は自分の手のひらを眺め、何度か握っては広げを繰り返した。自分は今夢を見ているのか、それすらわからなくなってきていたのだ。

 相談員は電話を終えると、そのまま客のいる席に戻った。そして、男が初めてきた日に言われた内容に似たことを話し始めた。男は何がなんだかわからないままだった。




 客が帰った後、男は相談員に恐る恐る質問した。

「す、すみません。あなたがどこかへ電話しているのを見てしまったのですが……その……」

「ああ、見てしまいましたか。まあいいでしょう。これから一緒に働くのですから、説明はしなきゃいけないと思っていたところです」

 相談員はソファに座り、テーブルの上の茶を啜った。男は相談員の対面に座り、指を組んだ。

「い、一体なんなんです?あなたは……」

「まず、ここは普通の人間が働く相談所ではありません。天界から天使が派遣されてやっている『社会矯正施設』なんですよ」

 相談員は何でもないことのように、さらりと答えた。男は相談員が何を言っているのか理解出来ず、口の中で言葉を噛み砕いて脳に入れた。

「天使……社会矯正施設……」

「はい。あなた、ご自分がお辞めになった会社が今どうなっているかご存知ないでしょう?」

「ええ、まあ……」

「あの会社は問題がある人間が少数いたので、適当に処理をして善良な人間が上につくように手配し、今はとてもクリーンな労働環境になっています。あなたを辞めさせたのは、環境が急に変わってあなたが相談所に何か不審を持っては困るからでして。会社を改善させるきっかけにしたのもありますが。人間は疑い深いので、自然な形になるようそういった采配を致しました」

 相談員はいつも通りのニコニコとした笑顔で言い、茶を啜った。

「処理とは……」

「それは知らない方がよろしいかと思います。私たちの仕事は悩める子羊達の抱える問題を聞き、本人とそれを取り巻く環境を改善することで社会を矯正するというプロジェクトを成功させることです。あなたは今はまだ人間ですが、そのうち天使の仲間入りをしてもらいます」

「ちょ、ちょっと待ってください。私はあなたに後押しされて自分の意思で上司に啖呵を切ったり辞表を出すことが出来たんですよ。もし私が弱気になって出来なかったら……」

「その心配はありません。あれはあなたの意思の強さだけで実現できたことではないですから」

 相談員は表情一つ変えず、湯飲みの中の茶を見つめながら言った。男は動揺し、相談員のほうへ顔を突き出して質問した。

「ど、どういうことです?」

「あなたの意思だけで出来たのではありませんよ。神は相談所の客であるあなたにきっかけと勇気を与え、それであなたはアドバイスを実行に移すことが出来た。人間が大した決心もなく、いつも出来ずにいた事を急に成せるわけがありません」

 男はそれを聞くと全身が力が抜け、ソファにへたり込んでしまった。


「とにかく、私たちの仕事は客の相談を聞き、その内容を神へ報告し、指示を受け、客にそれを伝えることです。ここの情報がある程度知られて客が増えてきたら、また新しい土地に引っ越します。私たちが手を下すまでもない相談が多く寄せられるということは、この周辺の地域はある程度浄化されたということですから。割り当てられた担当の地域を全て浄化し終えたら、私たちの今回の仕事は終わりです。天界に戻って新しい仕事を受けることになります。早く今回の仕事が片付くよう、頑張りましょうね」

 男は全てを説明され、頭の中が真っ白になり、しばらくソファから立ち上がれないでいた。




 男は相談所で働き続けた。相談を受け、相談内容とパターンを報告し、マニュアル通りの受け答えをした。そして時々引っ越し、同じことを繰り返す。

 相談所では何の不満もなく働いていたが、それでも男の心の中には何か言いようのないもやが漂っていた。


 これでは救われたのか、また同じ底なし沼に嵌ったのか、今の男には最早わからなかった。

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