第16話「嘘つきの染み」
あるところに品行方正な男がいた。
その男はスーツをキッチリと着こなし、マナーを弁え、人に対して丁寧な立ち振る舞いをする紳士であった。
なぜそうなったのかと言うと、生まれつき妙な物が見えたからだった。
染みだ。
薄黒い染みが見えるのだ。ちょうどスパゲティを食べた後の赤ん坊のように、服の胸のあたりに薄黒い染みが見えるのだ。服を脱いでも、染みは肌にまで広がっていた。
男は幼少の頃からこれを見続けていた。
幼稚園の頃、男と友達は虫を使った遊びをしていた。芋虫を切り刻んで糸で吊り、他の虫を釣る遊びだ。男はその遊びが大好きだった。遊びが見つかった時、先生には「なんて残酷を遊びをするんだ」と叱られた。
その時、友達は嘘をついて男に責任をなすりつけようとした。すると、友達の口から黒いもやがこぼれ、胸に染み込んでいった。そして友達の胸の染みはより一層濃くなったのだった。
男はこれを見て、「人がついた嘘がそのままこぼれて染みになるのだ」ということを知った。男は自分の胸を見て反省し、品行方正に生きるよう努めるようになった。
男は会社では紳士な立ち振る舞いが評価され、人を管理する立場にまでなっていた。
しかし、男は驕らなかった。自分のより上の立場の人間の胸を見ると、染みはもはや服も見えないほどの黒さになっていた。それを見て男は「立場に恥じぬ振る舞いをせねば」とより一層生活に気を使った。部下に優しく、自分に厳しくするよう徹した。だが、男にはどうしても解せない事が一つあった。毎日それのせいで男は頭を悩ませている。心に霞がかったような不安が常に残っている。人と対面すると何かわからない違和感を覚える。自宅での料理の最中も、会社で書類を裁断している時も、その違和感は心にこびりついていた。
どういうわけだか男の胸の染みは日夜黒くなり続けたのだ。気づけば自分の上司よりも染みは深く、ドス黒くなっていく。男は不思議に思った。
会議でもなんでも自分の意見は正直に打ち明けるようにしているし、誰かを騙したりなんかもしていない。それとは関係なしに、染みは黒くなり続けた。
ある時、他の部署から一人の女が異動してきた。
男はその女を見て驚いた。
真っ白なのだ。胸に染みが全く見えない。男がまともに他人の服を見たのは久しぶりのことだった。
男は女がどういう人間が知りたくなり、よく話しかけに行った。
女は裏表のない正直な人間で、自分の内を全て曝け出して生きているような人間だった。次第に男は、女のことを好きになり始めていた。
こんなにも正直な人間には今まで出会ったことがなかった。どんな人間も嘘はつく。みんなの胸には大なり小なり染みがあったのだ。
それが無い人間と初めて出会い、こんなにも美しく強い女性がいるのかと、男は感動していた。
間も無く、男と女は交際を始めた。どちらも正直でお互いを曝け出す性格をしていたため、相性は抜群に良かった。しかし、男の心の中にあるしこりは残されたままだった。その違和感がなんなのかもわからなかったし、男の胸の染みは依然黒くなり続けていた。
ある時、女はたまらなくなって男に質問した。
「あなたは何に悩んでいるの?あなた、たまに深刻そうな顔で頭を抱えてるわ。何かあるなら私に言ってちょうだい」
「ああ、君にはまだ言ってなかったな。実は……」
男は女に自分が見えてる染みについて全てを喋った。
女は腑に落ちたような顔をして言った。
「誰にも嘘はついてないんでしょう?だったら自分に嘘をついているんじゃないの?あなた、他の人のために何か我慢してるんじゃない?」
男は衝撃を受けた。自分を抑えていたんじゃないかと言われれば思い当たる節はいくつもあった。男は自分のやりたい事について色々と思いを巡らせた。
そのうち、男は「最もやりたかったこと」を思い出した。
「なあ、やりたいことを思い出したんだ。協力してくれないか?」
「ええ、いいわよ。あなたの好きなことをやって。私はそれを応援するわ」
「そうか、ありがとう。本当に感謝するよ」
男はそう言うと、女の心臓に包丁を突き刺し、体を切り刻み始めた。
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