第14話「往復書簡」

 読書が趣味の男がいた。週末の休みに図書館で静かに読書をすることが男の唯一の楽しみなのだ。


 ある日、男は自分の読みたかった本が入荷していることに気がつき、早速手にとって適当なページを開いた。


 すると、本から何かがストンと落ちた。見ると、一通の白い洋封筒だった。

 男は封筒を拾うと封をしていないことに気づき、何気なく中身を読んでみた。


「初めまして。この手紙を読んでいるあなた、よろしければ私と文通をしませんか?返事をくれることを期待しています。」

 白い便箋にたったそれだけが書いてあった。薄く線の細い字で綺麗に書かれている。


 男は最初バカバカしく思ったが、どうにも手紙が気になって読書に集中できない。どうしても返事が書いてみたくなったのだ。


 男は手紙をカバンにしまい、その代わりにノートの切れ端に書いた手紙を本に差し込んで、その日は帰った。


 次の週末、男は少しの期待を胸に図書館へ向かった。読書欲からではない。

「自分の返信を相手は読んだだろうか。読んだなら、返事はくれるだろうか」というものだった。


 手紙が差し込んであった本は以前と同じ本棚に収まっていた。男は本を手に取ると早速開いてみた。すると、ストンと白い封筒が落ちた。最初に見たあの洋封筒だ。


 中身を見てみると、前の手紙と同じ字で返事が書かれていた。

「返信くださった方、ありがとうございます。ずっとこういった文通に憧れていたんです」

 真っ白な便箋の真ん中にそれだけが書いてあった。


 男は色々と想像を膨らませた。字から見て、手紙の主は女だろう。どんな方なんだろう。顔はどうだ。後ろ姿はどうだ。どんな思いでこれを綴っているのだろう。男は手紙をカバンにしまい、ノートを1ページちぎって返信を書き始めた。


 それから男は長いこと図書館で文通を続けた。図書館で本を読み、他愛ない話を手紙に綴って本に挟んで帰る。そんな生活を長く続けていた。


 ある時、男は仕事がうまくいっていないことを手紙に書いた。世間話の一つとして出しただけであったが、次の週に図書館で返信を読むと、手紙には「是非相談に乗らせてほしい」と書いてあった。まるで身を乗り出してそう言っているのが見えるかのように、そう走り書きされていた。

 男はなんだか嬉しくなり、詳しい悩みを手紙に書き、「よろしくお願いします」と文を締めた。そして手紙を丁寧に折って本に挟み、帰った。


 次の週、男の手紙の返信には詳しい分析と対策がギッシリ書いてあった。男は「自分の相談に親身になってくれている」と感動し、手紙に書いてある対策に従って行動した。

 すると、仕事は驚くほど円滑に進むようになり、悩みは解消された。

 男はそのことを手紙に書き、感謝の言葉を綴った。


 またある時、男は近所トラブルを抱え、精神的に参っていた。男はそのことを手紙に書き、「よろしくお願いします」と文を括った。


 次の週、返信にはまたギッシリと分析と対策が書かれていた。男はまた相談に乗ってくれたことを感謝し、その対策に従った。

 結果、ご近所さんと一緒にお茶をするまで仲良くなった。男は安堵と手紙への感謝で顔が緩んだ。


 男はその後も文通を続けていたが、どうしても手紙の主が気になって仕方ない。

 ついに男は手紙に「よろしければお会いしませんか」と手紙に書いた。

 男は祈るような気持ちで本に手紙を挟み、そそくさと家に帰った。


 次の週、いつものように男は図書館へ行き、例の本が収めてある本棚へ行こうとしたが、いつもと違い誰かが本棚の前に立っている。「清廉潔白」といった言葉が似合うような涼しげな美しい女だった。このあたりの本棚の本は図書館全体でも人気がなく、誰かが本を探しているようなことはあまり見たことがなかった。そのため、男はその女を見たとき、少しギョッとした。


 ふと、男が立っている女の手もとを見ると、いつも手紙が挟んである、例の本を持っていた。男は「もしや」と思い、思い切ってその女に話しかけた。


「もしかしてあなた、例の手紙の主さんですか……?」

「ええ、そうです。あなたがノートの手紙の方なんですね?お会い出来て嬉しいです」

 女はそう言って、軽く会釈をして微笑んだ。男は感激のあまり、しばらく何も言うことが出来なかった。

 男が息を整え、女と向き合って会話を始めた。


 二人はいつもの手紙に書いていることと大差ないような他愛ない話を続けた。今朝料理を失敗したこと、仕事で部下が頑張ってくれて感動したこと、手紙を書くようになって字が綺麗になったこと。男と女は図書館が閉館時間になるまで、ベンチに座って語らった。


 図書館から追い出された後、男は思い切って女を自宅へ誘った。女はその誘いに喜んで乗った。


 男の家に着き、二人はしばらく部屋で雑談を続けていたが、男はある決心をするため、大きく呼吸をして調子を整えた。二人きりの空間に、暫時の沈黙が流れた。


 男はキッと女の方へ向き合い、「今日会ったばかりで失礼かと思いますが、私とお付き合いしてもらえませんか」と告白した。


 女はその告白を受け、悩ましげな顔をし、男に質問した。

「この告白を受けてもらえることを、あなたは望んでいるのですね?」

「ええ、もちろんです。受けてくださりますか?」

「わかりました。あなたがそう望まれるなら、私はその告白を受けましょう」

「本当ですか?ありがとうございます。ああ、私は幸せ者だ」

「あなたの願い、三つも叶いましたね」

「ええ、手紙では仕事とご近所付き合いのことも解決に導いてくれましたし、私の告白も受けてくれました。私の願いを全て叶えてくれるだなんて、あなたは女神か何かのようだ」

「うふふ、私は女神ではありません。ですから、今度は私の願いも叶えてくれますか?」

「もちろんいいですよ。何でもおっしゃってください」

「私、一つ欲しいものがあるんです」

「そうなんですか。いいでしょう。何だろうとプレゼントしてあげますよ」

「ありがとうございます!では頂きますね?」


 そう言うと女は男の体へ手を伸ばした。すると、女の指先は男の体の中へズブズブと沈んでいった。まるで水の中に手を入れるように、どんどん手は体へ入っていく。

 男は驚いたが、声が出せなかった。それどころか、指先一つ動かせないほど全身は硬くなっていた。


 やがて女はズブズブと手を引きずり出していった。完全に取り出した女の手は何かを握っていた。朧げに光る玉だった。

 手を体から抜き取られた男はその場に倒れ、体は冷たくなっていった。


 女は手のひらにある玉を確認すると、それを懐へしまいこんだ。


 女は疲れきったように床に座り込むと、テーブルの上にあったタバコを一本取り出し、指先から小さな炎を出して一服し始めた。


「はあ、随分と時間がかかっちまった。魂一つとるのにも苦労するような時代になっちまったのか。昔は単純に現れて三つ願いを叶えてやるだけで良かったのに、今の時代の人間ときたら、『自分は悪魔だ』と言って姿を現わすと一目散に逃げちまう。おかげでこんな面倒な手段を使って願いを叶えないといけなくなったぜ。やっぱり時間がかかりすぎる。もっと他の手段を考えるとするか……」


 女は深くタバコを吸い、口から大量の煙を吐き出すと、煙と共に消えてしまった。


 やがて時計は12時を告げる鐘を鳴らした。

 誰もいない部屋の中、灰皿の中の一本の紫煙だけが活き活きと天井へ昇っていた。

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