第8話「車中の友人」
その男は、物を長持ちさせるのが得意だった。
周りからは「貧乏性」だと言われ、「新品はいいですよ」とからかう同僚もいた。
男は、一つの物を長く使うのが好きだったのだ。
男の家にあるものは大抵、五年や十年使っている代物ばかりだった。
ひび割れを継ぎ足して使っている茶碗や取っ手のないマグカップ、擦り切れて読めない定規まであった。
中でも男が愛用しているのが、自動車だった。
社会人になり、給料をためてやっとの思いで買った車だった。新車だったあの頃の光沢は失われているが、それでも男の行き届いた手入れにより、そこらの中古の車よりかはいくらか小綺麗だった。
男の趣味は、週末その車に乗ってどこかへ旅行することだった。
近くの山や、少し遠くの温泉まで、どこにでも行った。その車は最早親友のような存在だった。
ある週末の休みに、男は山へ出かけることにした。
向かう山の中にある温泉は知る人ぞ知る秘湯だったのだ。
その日の朝、男は日帰りの分の荷物をトランクに積み、家を出た。
男は高速道路をしばらく走っていた。
途中飲み物を買いに、パーキングエリアに寄った。
男はそこで飲み物や軽いつまみを買い、車の中に戻ってきた。
運転席に座ってペットボトルを開け、お茶を飲み、ようやく一息ついた。
その時、後ろの座席から声が飛んできた。
「ねえ、そのお茶って美味しいのかい?あまり見かけないメーカーのものだけどさ」
男は驚き、後ろを振り向いた。が、そこには誰もいなかった。
誰か隠れているのかと思い、車の隅々を探したが、何もいない。
男は首を傾げた。鍵は閉めてあるはすだし、車上荒しならさっさと逃げているだろう。
「なあ、誰を探してるんだ?俺とお前以外、ここには誰もいないぜ」
またも声がした。運転席の真後ろの座席からだ。
男は恐怖で声を震わせながら、声の主に問うた。
「だ、誰だ?お前?どこにいるんだ?」
「誰だってことはないだろう。今まで一緒に旅してきた相棒じゃないか」
「相棒?一緒に旅を……?」
「とぼけちゃって……。今日だって俺に乗って一緒に温泉を目指してるだろう?」
男は対話していた相手が「車」だということに気がついた。
その時男の恐怖は感動に変わった。
こうして愛情を注いで一緒にやってきた『友人』と話せる日がきたのだ。男は嬉しくてたまらなかった。
それから二人の会話は温泉へ着くまで途切れなかった。
男と友人は今まで行った場所や、男がいない時は何を思っていたかを話した。
やがて温泉についた。温泉の駐車場に車を止め、シートベルトを外すと、「いってらっしゃい」と友人が言った。男は「ありがとう。帰りもよろしく」と言ってドアを閉めた。
男は温泉を満喫し、湯気を立てて駐車場に戻ってきた。
ドアを開け、運転席へ座ると、友人が楽しそうに話しかけてきた。
「おかえり、相棒。すっかり暗くなってるぜ。スピードを落として山を出よう」
「ああ、そうだな。そうしよう」
男と友人は仲良く走り出し、温泉を後にした。
家の駐車場に友人を入れ、シートベルトを外しエンジンを切ると、後ろの座席から疲れたような声が漏れてきた。
「また来週、どこかへ行こうぜ相棒。またな」
「ああ、楽しみにしてるよ」
男はドアを閉め、鍵をかけた。
男は旅行に行くのが一層楽しみになった。なにしろ、一緒に旅をしてくれる気心の知れた友人がいるからだ。
職場では相変わらず「貧乏性」だの「意固地になって新品を使わない」だの言われているが、男は全く気にならなかった。
新品ばかり使いたがる人間には、こんな楽しみは想像だにしないだろうと、心の中で一笑していた。
ある時、男と友人は家の近くをドライブしていた。
男は思いつきで、「少し海を見に行かないか?」と友人に提案した。
友人はそれに大賛成だった。男と友人は二人で歌いながら海へ向かった。
男と友人は海と砂浜をずっと眺めていた。残照が眩しく輝いた頃、男は「もう帰ろうか」と言い、エンジンをかけた。
男と友人はいつものように談笑して帰っていたが、突然友人が大声をあげた。
「相棒!危ない!車が突っ込んでくる!」
男は対向車線から突っ込んでくる車に気づき、ハンドルをきったが、遅かった。
結果、友人の左半分の『顔』はぐしゃぐしゃに潰れていた。男は奇跡的に無事で、怪我一つしていなかった。
誰がどう見ても、友人は廃車状態だった。
男は悲しみに暮れ、家に帰った。とぼとぼと歩いていると、家の前のゴミ収集所の看板が目につき、「ああそうか、明日は資源ごみの日だ」などと思ったが、何かを考えた男はタンスを開け、しまってあった銀行の通帳を開いた。
男は家の電話機をとると自動車会社に電話をかけ、ある依頼をした。
それから数年、男はずっと旅行に行っていない。
ある強い決心をし、誘われて旅行へ行くのもずっと拒んできた。
ある日、自動車会社から連絡がきた。
男は急いで、連絡された自動車会社の工場へ向かった。
そこには、すっかり綺麗にされた『友人』がいた。
自動車会社の社員は嬉しそうな顔で説明している。
「いやあ、大変でしたよ。『廃車された状態から車を蘇らせてくれ』だなんて、おいそれとできるものではありませんでしたからね」
「ああ、ありがとうございます。ありがとうございます。これでまた一緒に旅ができる……」
「では、これからも大切にしてあげてください」
『友人』は後で自動車会社が家まで届けてくれるらしい。男はウキウキしながら帰っていった。
そして『友人』が直って初めての週末がやってきた。今日は数年ぶりに『友人』と旅行へ行く。
男は運転席に座り、シートベルトを締め、エンジンをかけた。
そのとき、子供のようにはしゃぐ聞きなれた声が後ろから聞こえた。
「よう相棒。久しぶりだな!今日はどこまで行くんだ?飛ばすぜ!」
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