第6話「資格」

 面倒くさがりの男がいた。

 人と関わることを嫌い、あらゆるリスクを避けて通ってきたような人生だった。


 ある日、男が会社から帰ってだらだらと歩いていると、なんの前触れもなく一台のトラックが突っ込んできた。男は避けきれず、トラックに轢き殺された。




 目を開けると、男は真っ暗な空間で椅子に座っていた。

 デスクが一つと椅子が二つ、向かい合うように置いてある。

 男の向かいにはサラリーマン風情の男が座っていた。


「こんにちは、わたくしは死者の今後をサポートする相談員でございます。」

 訳もわからずキョロキョロとあたりを見回している男を尻目に、その相談員はニコニコと笑いながら自己紹介をした。


「私は死んだのですか?あのトラックに撥ねられて?死者の今後をサポートするとはどういうことです?」

 男は動揺し、矢継ぎ早に質問を浴びせた。不可解なこの状況を一刻も早く理解したかった。

 相談員は依然ニコニコ顔のまま、一つ一つ丁寧に質問に答えた。


「ええ、そうですよ。あなたは今死んでおられます。原因も交通事故ですね。ご想像の通りです。死者のサポートというのは、来世あなたが何になるか、それを叶えるためにサポートをするということでございます。」

「来世何になるか、ですって?」

 男はまたも首を傾げた。

 その様子を見て、相談員はさらに言葉を続けた。


「つまり、来世は何に生まれ変わりたいか、ということです。ある人はセミとして生まれ変わりました。ある人は机として生まれ変わり、学校で暮らしています。ある人は木になり、アフリカで生きております。次の生涯を決めるのが、この相談窓口というわけでございます」


 相談員の言っていることを何とか飲み込んだ男は、頭を抱えて悩んだ。

 次の生涯を決めることは容易いことではない。ほいほいと決めてしまって、後悔したくない。それこそ一生ものの後悔だ。


 相談員は椅子の後ろからモニターを取り出し、男に向けた。

「これはあなたの走馬灯です。あなたも一度見たと思いますが、思い出せるよう死者には全員見せることにしております。これをご参考にして次の生涯を決めて頂こうというわけでございます」

 モニターはゆっくりと男の人生を映し出した。


 男はじっとモニターを見ていた。モニターを見ているうち、自分の今までの生き方を後悔し始めた。

 男は決意を固め、相談員に言った。


「私は、もう一度人間になりたいんですが」

「左様でございますか。しかし、人間として生まれ変わるには試験がございますが」

「試験ですか?」

「ええ、『人として生きる資格』をとって頂きます。でないと、人間として生まれ変わることができません。たまにズルをして無理やり人として生まれ変わる方がいらっしゃいますが、おすすめはできません。その方法で生まれ変わっても、皆様ろくな死に方をしておりませんので」

 相談員は手元の資料に目を落としながら淡々とした口調で言った。


「その試験はどうすれば受けられますか」

「試験は毎日、希望者全員に対し行っております。死後の世界とはいえ時間は経過しておりますので、逝去された本日から49日間の間に試験を合格されませんと、人間の資格試験を受けられなくなります」

「その試験はどこでやっていますか」

「あちらでございます」

 相談員が指を差した方向を見ると、机が一つ置いてあった。机の上には鉛筆と消しゴム、一枚の紙が置いてある。机の前には少し間隔が空いてカレンダーと目覚まし時計が浮いていた。

「いつ問題を解き始めても結構です。ただし、試験は一日一度だけですので」

 相談員は流れるように説明した。


 男は窓口の席を立つと、その机に向かい、問題を解き始めた。

 問題は全て倫理の問題だった。

「列に人が割り込んできた場合、どう注意すべきか」「レストランで子供が騒いでいる。どう対応すべきか」「借金を返さない友人はどう諭すべきか」と、ずらずら問題文が並んでいる。男は一つ一つ考えながら解答欄に書き込んでいった。


 やがて浮いていた目覚まし時計がジリリリリンとけたたましい音を立てた。それと同時に、問題が書いてあった紙は机に溶け込むようにして消えた。男が目の前のカレンダーを見ると、今日の日付に真っ赤なバツ印が書かれていた。


「不合格でございますね。本日の試験はもう終わりです。」

 少し離れた窓口から、相談員は微笑を浮かべながら言った。


 男は問題にあったような場面は全て避けて通ってきたのだ。事なかれ主義に寄りかかり、全てを妥協して過ごしてきた。

 男は自分の生き方を反省した。それと同時に悔しがった。


 それから男は相談員の下で試験勉強を始めた。いくら勉強しても眠気も疲れも訪れなかった。相談員曰く、「疲れや眠りを必要とする体はもうない」からだそうだ。


 不合格に不合格を重ね、49日目の試験がやってきた。

 カレンダーはもう真っ赤なバツ印でいっぱいだった。


 男は心を落ち着かせ、問題を解き始めた。男は問題用紙に完璧な回答を書き続けた。

 やがて、目覚まし時計のけたたましいベルが鳴った。


 問題用紙は机に溶けるようにして消えた。

 男はばっと顔を上げ、カレンダーを見た。


 49日目の日付には、青い丸印がついていた。その瞬間、机の上にコトリと何か落ちる音が聞こえた。見ると、免許証が机の上に置かれていた。男は喜び、相談員も拍手で祝った。


 免許証を持った男は相談員に連れられて歩いて行くと、「人間」と書かれた扉にたどり着いた。

 男は相談員に礼を言い、扉を開いた。

 扉の向こうは眩い光で満たされており、男は眩しさのあまり目をつむった。




 あるところに育ちの良い男の子がいた。勉強ができ、人に優しい紳士だった。

 しかし、その男の子を良く思わない他の子供達が男の子をいじめた。


 男の子がボロボロになって学校から帰っていると、一羽のカラスと目があった。

 男の子はゴミを漁っているカラスを眺め、ため息まじりに吐き捨てた。

「勉強が出来たって、生きていく上で何の意味もないんだ。道徳のテストが100点だって、社会では誰も道徳なんか使わないんだ」

 カラスは男の子をしばらく見つめると、カァと一つ鳴いて飛び去った。


 男の子は段々とだらしなくなっていった。全てを面倒がる怠け者になった。

 人を避け、学校に言われるがまま職に就き、上司に言われるがまま仕事をする男になった。


 男は今日の仕事が終わると、だらだらと家路に着いた。




 そこに、一台のトラックが突っ込んできた。

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